めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

目で見えないもの、聞こえないものを感じる

2016-06-03 12:52:19 | 人生

私達は、日常的に、見えるもの聞こえるものには、全て気が付いていると
思い込んでいます。
しかし、誰しも、様々な外部からの刺激をすべて取りいれている訳でなく、
自分の都合のいいもののみを見たり聞いたりしているのです。

実際には見えていても聞こえていても、自分にとって関心が無かったり
必要でないものに対しては、脳の中で自然に受け付けない様になっています。
この事は、生きて行く為にとても大切な事であり、全ての刺激を受け付けない
関心を持たない様にする事に因って、無用なストレスを取り込まない様に
自然に身に付いてくるものです。

しかしながら、この感覚が、日常的に、無関心を呼んだり、孤立を生んだり、
生活する上で人々の心に足かせをする場合が増えて来る事が問題です。
自分に必要な事に関しては触角を広げ、興味ない事には感覚を遮断し
周囲とのコミュニケーションを極力減らしていく生活は、本人にとって
自分の事だけを考えていれば良い様で、非常に都合がいいのかも
知れませんが、次第に対人関係の対応能力が衰え、生活に於いて
また仕事に於いて的確な対応が出来なくなる可能性が有ります。

近年増えつつある、クレーマー、ストーカー、イジメ、各種ハラスメントは、
自分の都合しか考えられない人々によって起こされています。
ネットの世界や自分の趣味の世界では、自分中心の世界観を持っても
周囲の人々とのやり取りが上手くできなくとも問題は無いのですが、
実際の生活に於いては、様々なトラブルを生む事と成るのです。

インターネットや情報網の発達により、人々が身に付ける知識は
膨大な量と成っています。
必要な知識は、世界中から集める事が出来切る為、自分だけの
世界を創る事さえ簡単な時代と成っています。
そのため、現実の世界に馴染めない人たちが、ネット世界を中心に
自分の日常を構築し始めると、周囲の人達とは、増々縁遠い人間と
見られる様になってしまいます。

かつては、単に人間嫌いであったり、社会的な不満から、世間の人々と
合い入れない人たちも多かったのですが、現代社会に於いては、
ごく普通の学生や社会人が、一般社会とは完全に隔絶した世界で
自分たちのルールで生きている場合が珍しくないのです。

しかし、一般社会から逃避したと言っても、彼らが一人ぼっちかと言いうと
やはりそこは、同じような考えの人達が多く集まる場でもあり、新たなる
社会がネット上で創られている事も知られています。

とは言っても、現代社会は、ネットを利用するしないに関わらず、
次第に対人関係にトラブルを抱える人が増えているのは事実です。
社会が不況からいまだ脱却できない事もあり、生活を再建できない
多くの国民が居るだけでなく、最近は、毎年訪れる災害から、
生活を奪われる人々も増えています。

有り余る所得を得ている層と、ぎりぎりの生活を強いられている層が
ますます両極化する傾向にあり、経済性のみならず、様々な環境で
二つの生活圏が分離した社会が生まれている事も明かに成って、
日本に新たなる差別社会が生まれつつある事も気になります。

大人の世界のみならず、子供達の世界に於いても所得差は歴然であり
国民が平等の教育を受ける義務すら失われつつあります。
所得格差が、教育格差と成り、子供達の未来が両極に分けられる事は
自由平等を唱える我が国の今後に大きな暗雲を抱かせます。

子供達の夢も、昔と随分変わってきて、最近では、希望する将来の職業に
ネットチューバーと言う新しい分野が出てきました。
ネット上で、映像を利用し、様々な商品を売りさばく職業だそうですが、
いかに、ネットが子供達に蔓延しているかが解ります。

しかしながら、ネットを通じた様々な機能は発達しているものの、
それを動かす人間本来の美しい心は、むしろ荒廃しているのが問題です。
特に、対人的なやり取りは、若くなる程疎く、相手の気持ちを察する能力は
次第に弱体化して、自分の主張を前面に押し出す、欲求追求型に
成りつつあるのが心配です。

日本社会が増々欧米化し、生活が便利になるにつれ、日本人の精神構造も
やや荒っぽさと、無関心が目立ち、人と人の間の大切なやり取りが出来ない
マニュアルが無ければ何もできない大人が増えています。
対面商売を行なう店舗は、あらかじめ決められた応対が、人間味の薄い
形だけの店員を増やし、客との信頼関係を失わせています。

物を売ることだけが目的と成り、気持の良い接客が出来ない店員が
日本中に蔓延しています。
特に利益率を上げる事のみを追求しているある種の大型店舗においては
まるで、テープレコーダーが置いてあるかのような、接客マニュアルに
もう一度来店しようと思えなくなってしまいます。

正しい日本語、美しい言葉が口にできない人たちが何と多くなったでしょう。
美しい日本の女性を象徴していた多くの言葉が、醜い単語に置き換えられて
もう何十年になるでしょう。
喋り言葉を聞いていて、顔を見なければ、男か女か解からない女性が
巷に多くなったことに、私達高齢者のみならず、同年代の男性たちは
少なからず辟易しているのではと思われます。

優しい女性らしい言葉を使う事は、決して、女性を弱いもの、男性の下に置くもの
と言うのではなく、女性が本来持っている、素敵な魅力を見せる事なのです。
しょせん、女性が一般的に男子から劣っているのは、腕力ぐらいですから。

人の生活は、本来、男女だからとか子供だから年寄りだからどうこうと言う事
では無くて、それぞれが、それぞれの特性を持っていて、その特性で
御互いが助け合い、幸せになる事が出来るのです。

仕事に於いても、男女の仲に於いても、人が関わり合うと言う事は、

自分の行動は、相手の心と行動で大きく変わっていくと言う事です。
もし、自分が素敵な未来を望むなら、同じように、周囲の人々にも夢を叶うべく
手を差し伸べ、夢を叶うお手伝いをしなければなりません。
幸せを望むなら、自分以外の人に幸せを望まないと、自分の夢は中々叶わない
だけでなく、自らの事ばかり望むと、周囲から夢を取り上げられる可能性すら
有るのです。

私達は、集団で生活して来た事から、何をするにしても、周りとの連携無くして
達成は出来ないのです。
一人の力では中々思い通り出来ないのがこの世の中の仕組みです。
そのためには、どんな職業に於いても、例え家族の間であっても、
相手の事を考え感じて、相手の喜びを考える事が第一なのです。

太古の昔から、その喜びの役目を果たしてきたのが、お金です。
お金は、何にでも代えられ、望みをかなえる魔法のカードです。
何かを得る時にお金を渡す意味は、物を買うためと言うより、
貰う物と同じ対価のお金で、相手に喜びを与えているのです。

そのため、お金が有れば何でもできると短絡してしまう方が出てくるのですが、
お金よりも、もっと価値の有るのが、人の思いやり気遣いなのです。
トラブルを回避するためにも、自分の夢をかなえる為にも、
助けてもらう多くの人達に、喜びを与える行為を考える事が大切です。

便利さに感けて、人と関わる力を失うと、幸せは遠のき苦しみが
蔓延する生活がやって来るのです。
欲しいものが手に入らないのは、お金が無いからでは無くて、
お金を得る為の心遣いが無い事が問題なのです。

今の世の中、対価であるお金を得る事を目的としている方が多いです。
お金を出したくなる気持ちを起こさせる気遣いが出来ない人や、
人の心に土足で平気で踏み込む人が多いのです。
痛みや苦しみを与えてお金を得る事はいかに疾しい事であり
恥ずべき人間の行いなのです。

日頃、人との関わり合いを断っていると、いかに苦しい思いをするか
便利さに気を盗られて、目の前の人の心を見失ってしまうと、
幸せはますます遠ざかるのです。
自分だけの世界を持つ事も大切ですが、人の中で生活をしている人類は
人との関わり合いを失うと、必ず不幸に見舞われるのです。
単独で生きられる現代こそ、以前にも増して、人との関わり合いを大切にして
先ずは、自分の周りの人の幸せを願う事が出来ないと、自分の夢は
遥かに遠いものと成って行くのです。

 



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