めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

被災者の心を晴らすには

2016-03-03 14:51:00 | 災害

後一週間もすれば、また、あの日がやって来ます。
仕事をしている最中に、突然、部屋が大きく揺れ始め
居合わせた方と、恐怖に身を縮めた事を思い出します。
東京の交通網は、あっという間に大混乱となり、
帰り道、長い道のりを歩いて帰った時の、あの異様な
人々の光景はいまだに忘れません。

しかし、同じ時間、東北の街は、信じられない程の

惨禍の中にあり、多くの人命と財産が奪われ、
心も身体も傷付いた人々の苦難の道が始まったのです。
歴史的に被害を受ける事は解っていても、自分の時代に
見舞われるとは思ってみなかったはずで、現実となって
初めてその恐怖を体感した時、人々は、私達人間の
生活がいかに脆弱であるかを知ったのです。

あれから早5年になります。

明日からどうやって生きて行ったらいいのかと思った
多くの被災者も、その後の多くの支援によって、何とか
今まで生活を繋いできました。
街は、日に日に形を変え、かつての街とは比べものに
ならない程の地方都市に変わって、海辺には、巨大な
堤防も建築される様になりました。

あらゆるところに津波対策が取られ、二度とあの被害を

受けない様にと、新しい街が再建されました。
少しずつでは有っても、元の地で生活できる人も増えて
これからの東北は、未来に向かって、明るい兆しが
感じられると街を作った関係者は思ったのですが、
実際の所は、人々の心は、相変わらず、曇り空です。

前より強固な防波堤、安全な街が出来る事が、住民にとって

最大の喜びと思っていたのは、復興に携わった政府、
並びに政策担当者だけの様です。
でも、何から何まで援助してもらって、そんな贅沢は
言ってられません。新しく住む安全な場所が得られた事に
喜ぶ事が当たり前と心に言い聞かせている被災者が
多いのも現状です。

私達人間は、ただ、食べていければいいという訳では

有りません。
周りの人々のみならず、生きて来た、生かされて来た
環境で心も身体も育って来たのです。
だからこそ、人々は、故郷に郷愁を感じるのです。

しかし、その故郷が、豹変してしまったら、、

どんなに便利で、安全な環境に成ろうとも、そこで生きる
住民にとっては、毎日が、他人の土地他人の家に住んで
居る様に感じるものなのです。
計画した執行部、作り上げた業者にとっては、一つの
仕事を成し遂げたと言う満足感が有るのでしょうが、
そこに住む人々が本当に幸せとは限らないのです。

これまで、何世代にも渡って東北沿岸の人々は、大津波に

多大なる犠牲を強いられてきました。
歴史的にも、必ず繰り返される悲劇が有るにも関わらず
何故子孫はその地を捨てず住み続けてきたのでしょう。

日本は、至る所で災害が起こり、同じように復興計画が作られ

新しい街が建設されてきました。
しかし、その度に、被災地は過去の面影が消え、
日本中どこにでもある、規格品の様な街に変わってしまいました。
被災した人たちは、援助を受ける側として、自分たちの思いは
出来るだけ心に留め、全面的に支援者の言いなりと成る
傾向が有ります。

復興と言うのは、単に、生活が出来る街を作れば良いと言うのでは

無い事を知らなければなりません。
どんな街でも、その地に住む人々の思いが有り、その思いを
繋げる復興計画でなければ、その後その地に住む理由が
無くなってしまうのです。

何度も津波の襲われた東北の街の人々は、これから先、

多くの人々が故郷を捨て、そこに、新たなる外部の人達が
自分たちの思惑だけで住み付いて来ます。
外から来た人達は、過去の歴史も自然も体験していない事から
街に対する価値観が根本的に違っています。

その土地の魅力を肌で感じない人々が、故郷の自然や伝統を

守り続ける事が出来るかは疑わしい物が有ります。
立派な街が出来て、人々が住める安全な東北が出来つつあります。
しかし、そこに住む人々の思いは昔ほどではなく、自然と一体の
その土地が作り出した東北の魅力は次第に薄れて行くと思われます。

個人的にも、被災された方々を応援したいとは思いますが、

昔の美しい、人と自然が溶け合った東北が消えて行く事に因って
これから先、東北の地へ足を向ける事が少なくなりそうで
私の気持ちも曇り空が続きそうです。



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