羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

いつも波のように

2011年08月02日 19時19分28秒 | Weblog
 古い資料は大変に読みにくく、Scanしてからワードに打ち込み直しをしました。
 本日は、それをひとつここに公開します。
 野口三千三先生45歳11ヶ月のときのエッセーです。

      ***********



   デッサンと談話の会 

談話会記録(1960年5月~9月)
 
 第1回 5月8日  〈人体美学随想〉西田正秋先生 
                 (人体美学専攻 東京芸大教授)
 第2回 6月25日 〈制作の祈りにふれて〉佐藤忠良先生
                     (彫塑、新制作協会会員)
 第3回 7月24日 〈絵画と民族性の問題について〉岡本太郎先生
                      (絵画、二科会会員、著述家)
 第4回 8月28日 〈高島屋のウィンドゥディスプレイについて〉
            坂田恒雄先生(商業美術、高島屋宣伝部装飾係長)
 第5回 9月25日 〈美しいフォームのために〉野口三千三先生
                       (体育学、東京芸大助教授)

 以下、野口先生の文章です。

 第五回談話会テキスト
            テーマ「美しいフォームの創造のために」
            講師 野口三千三先生 
                日時:9月25日(日)午后6時
                会場:東電神楽坂支店集会室            

*いつも波のように
 動物の進化の過程の大部分は、水中での生存競争の歴史であるという。したがってこの生存競争の勝者である現在の高等動物の多くのものが陸棲とはいえ生まれつきかなりの游泳能力を具えていることは当然のことかもしれません。しかしその高等動物中でのチャンピオンである人間が、相当練習しなければ泳ぐことができなくなっているのはどうしたことでありましょう。
 映画『沈黙の世界』、『海底の神秘』などに見られる水棲動物の動きは、見る人によって非常に美しくも感じられ、また気味悪くも感じられるでしょうが、動きの速いものも遅いものもいちように或る種の『波の動き』であることに気づかれることでしょう。水棲の生物は水中生活に適応して水そのものの持つ動きと共通の波の動きを得たが、陸に上がった生物が大地と大気の間にあって、それに適応して、どのように形や動きが変化して来たのか、そしてどのように変化するのが好ましいのか……。陸棲の高等動物でも、猫科の(ライオン、ヒョウ、ネコなど)は、両棲類や爬虫類のように、明らかに波の動きを失ってはいません。人間が泳ぎを忘れ、波の動きを失いつつあるのは、果たして陸上生活に適応した進化なのか、それとも退化なのか。
 
 人間の文化生活の花形である電気も、音楽における音も、美術における光も、すべて波であるという。人間の肉体に滑らかな効率の高い『波の動き』が失われてきたのは、人間が文化生活によって動物であることを忘れて動くことを怠り精神的な持続的緊張を強いられて肉体の中にも無意識の持続的緊張が生まれ、それが錆びつきとなり抵抗となって波の流れを阻み絶縁してしまうからだと考えられます。また、「気ヲツケ、緊張、疲労、○○(直線?)」を連想させるような不自然極まる從来の体操によって、自然の動きに対する感覚を麻痺させてしまったのだと考えてはいけないでしょうか。
 
 人間も動物であり、大自然の中の一つの『もの』に過ぎないことを思って、一つの動物としてどのように動くことが必要なのか、一つの『もの』としてどのように動くのが本当であろうか。こんなことを私は新しい体操として本気に考えているのです。そして頭脳の働きがその効率において、どんなに精密な機械よりも比較にならないほどすぐれている人間が その肉体の働きに於いても大自然の動きの理法『波の動き』に素直にしたがい、それを活かしていったならば、頭脳のそれのようにすばらしく適応進化してゆくであろうと甘い夢を描いているのです。

 以上です。

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コメント (2)
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