羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

漆黒、朱、焼かれた土色

2009年02月06日 18時49分23秒 | Weblog
 ねじめ正一さんのお父さんが、本来の商売である乾物屋を奥さんに任せきって、店の一部で民芸品を扱っていらした。
 当時、小学生だった私は、生意気にもその店が好きで、遊びに行った。
 そして区画整理になって移転するまで、通い続けた。
 それは多分、中学生から高校生になる頃ではなかったかと思うが、はっきりした記憶が失せている。
 
 店内には益子焼きを中心に、東北地方の民芸品が並べられていた。
 民芸ブームが起こる前のことで、はじめのうちは数えるほど。

 電車通学をしていたので、帰りにお店に寄る。そして新しい品物が入ると、母に報告。
 制服を着替えて、出直すときは心が弾んだ記憶は鮮明である。
 例えば、黒の四角銘々皿は、今でも好きで、お茶のお菓子をのせてお出ししている。
 一片が13~14センチほどの真四角の皿で、二切れのカステラやどら焼きなど、大き目の菓子が十分にのる。
 料理も彩を考えてのせると、‘いかにも’という風情を醸しだしてくれる。
 他にも最近は使う回数が減った大皿や中皿など、楽しませてもらった。
 
 なんでこんな話を書いているのか、というと、先日、新宿高島屋で‘黄金の茶室’を見た足で立ち寄った紀伊國屋書店で見つけた雑誌「pen」の2月15日号が、利休を特集していて、器を巡る物語にも興味を惹かれ、そのついでに昔を思い出したというわけ。
 とくに色について。
 漆黒と朱、焼かれた土色。
 
 やはりこのブログのテンプレートはこのまましばらく‘赤’でいくことにする。
 落ちがつきました。つまり‘落ち着き’!
 
 

 
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