ねじめ正一さんのお父さんが、本来の商売である乾物屋を奥さんに任せきって、店の一部で民芸品を扱っていらした。
当時、小学生だった私は、生意気にもその店が好きで、遊びに行った。
そして区画整理になって移転するまで、通い続けた。
それは多分、中学生から高校生になる頃ではなかったかと思うが、はっきりした記憶が失せている。
店内には益子焼きを中心に、東北地方の民芸品が並べられていた。
民芸ブームが起こる前のことで、はじめのうちは数えるほど。
電車通学をしていたので、帰りにお店に寄る。そして新しい品物が入ると、母に報告。
制服を着替えて、出直すときは心が弾んだ記憶は鮮明である。
例えば、黒の四角銘々皿は、今でも好きで、お茶のお菓子をのせてお出ししている。
一片が13~14センチほどの真四角の皿で、二切れのカステラやどら焼きなど、大き目の菓子が十分にのる。
料理も彩を考えてのせると、‘いかにも’という風情を醸しだしてくれる。
他にも最近は使う回数が減った大皿や中皿など、楽しませてもらった。
なんでこんな話を書いているのか、というと、先日、新宿高島屋で‘黄金の茶室’を見た足で立ち寄った紀伊國屋書店で見つけた雑誌「pen」の2月15日号が、利休を特集していて、器を巡る物語にも興味を惹かれ、そのついでに昔を思い出したというわけ。
とくに色について。
漆黒と朱、焼かれた土色。
やはりこのブログのテンプレートはこのまましばらく‘赤’でいくことにする。
落ちがつきました。つまり‘落ち着き’!
当時、小学生だった私は、生意気にもその店が好きで、遊びに行った。
そして区画整理になって移転するまで、通い続けた。
それは多分、中学生から高校生になる頃ではなかったかと思うが、はっきりした記憶が失せている。
店内には益子焼きを中心に、東北地方の民芸品が並べられていた。
民芸ブームが起こる前のことで、はじめのうちは数えるほど。
電車通学をしていたので、帰りにお店に寄る。そして新しい品物が入ると、母に報告。
制服を着替えて、出直すときは心が弾んだ記憶は鮮明である。
例えば、黒の四角銘々皿は、今でも好きで、お茶のお菓子をのせてお出ししている。
一片が13~14センチほどの真四角の皿で、二切れのカステラやどら焼きなど、大き目の菓子が十分にのる。
料理も彩を考えてのせると、‘いかにも’という風情を醸しだしてくれる。
他にも最近は使う回数が減った大皿や中皿など、楽しませてもらった。
なんでこんな話を書いているのか、というと、先日、新宿高島屋で‘黄金の茶室’を見た足で立ち寄った紀伊國屋書店で見つけた雑誌「pen」の2月15日号が、利休を特集していて、器を巡る物語にも興味を惹かれ、そのついでに昔を思い出したというわけ。
とくに色について。
漆黒と朱、焼かれた土色。
やはりこのブログのテンプレートはこのまましばらく‘赤’でいくことにする。
落ちがつきました。つまり‘落ち着き’!
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