羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

意識の流れ

2009年02月07日 09時28分36秒 | Weblog
 はじめて野口流ヨガの逆立ちが上手くいったのが、いつの頃だったか、いくら記憶を辿っても思い出せない。
 
 それからしばらくしたある夏の日だった。
 自宅の座敷で立ったとき、頭の一点で重さを受けている実感を得たことがあった。
 それもいつごろだったか、思い出せない。
 しかし、そのときの感覚は鮮明に残っている。
 重さを受けている点にちかい実際は面だけれど、そこにスーッとつながり通るものがあった。
 頭の中心は痛くも重くもない。
 ゆらゆらとバランスの小さな揺れが感じられる。
 その揺れは風が吹いたら倒れるくらいに、微妙なバランスで立っている実感だった。

 そして、2009年に入って、少々気恥ずかしい言い方だが‘新境地’といいっても差し支えない道筋がつかめてきた。
 それは他の人を立たせてしまう道筋なのだ。
 初めての人でも軽々立てるように導ける‘道筋’のつけ方だ。
 方法と言うのかもしれない。しかし、単なる方法ではない。
 からだから時々刻々生まれる意識の流れなのだ。
 意識過剰の意識とは違う。
 イメージとも違う。
 ある状況がからだの内側に生まれるように動きを重ねていく。
 その状況のなかで何かが熟したら、そこで逆立ちに入っていく。
 すると結果として立ってしまう、という境地。

 これを読まれても、何のことやら? と思われる方がほとんどかもしれない。
 動きを説明するということはそういうことだ。
 そのうちにもっと言葉に出来るようになると思っている。
 今日のところは、このくらいで。
 とにかく午後の朝日カルチャー土曜日クラスで、更に実践してみようと思っている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする