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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

7年間、そして8年目の春へ

2008年12月06日 09時59分19秒 | Weblog
 単位が出せる正規の授業で、野口体操を教え始めて7年目の後期が、終盤に入った。
 
 実は、今年からはじめた大学では、通年の授業が実現した。
 ほとんどの学生が後期も履修している。
 このクラスは今年が初年度の学部ということもあって、1クラスの人数が少ない。
 そこで、前期に提出してもらったリポートに赤を入れ、ひとりずつ話もしながら返却したのは、10月初旬だった。

 そのとき11月末に、後期リポートの草稿を見る約束をしてあった。
 ひとりの学生が、見違えるほどの内容を見せてくれた。
 その内容は、マクルーハンと鈴木大拙を取り上げ、野口三千三の野口体操について論じているのだ。
 こうした捉え方をしてくれる学生が出現したことに、ある程度ぎりぎりの妥協線を見出しながら、若い学生と過ごした7年間は無駄ではなかった、と安堵している。
 同時に、学びなおしを迫られたのである。
 
 来年、1月で7年間の一区切りがつく。
 そして再びの春。
 あたらしく一歩が踏み出せる予感に震えを覚える。
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新刊本 『宇宙の渚で生きるということ』 海象社刊

2008年12月05日 14時06分04秒 | Weblog
 12月15日発売の新刊本の知らせが編集者から送られた。
 試みにカット&ペーストしてみたら、上手くいったようなので、そのまま公開します。

 以下、紹介文です。

 **********

クリスマスプレゼントにおすすめの新刊本
『宇宙の渚(なぎさ)で生きるということ~いのちの文明への旅立ち』
省エネルギーセンター出版部 編 
取材・構成/丸岡鷹次 写真/久保雅督

地球という名の〝なぎさ〟から
いのちという〝永遠の一瞬〟を駆ける
旅人たちが、今、語り明かす
「私たちは,地球という名の“渚”に立っている」と,宇宙物理学者でオルガニストの佐治晴夫博士は語ります。宇宙の渚にたたずむ小さな生きもの,それが宇宙から見た私たちの姿なのでしょうか。
          
          ◆ 

本書は,月刊『省エネルギー』(省エネルギーセンター刊)に連載された巻頭インタビュー〈時世の地平線〉を再編集したアンソロジーです。 
当代一流の科学者から哲学者,宗教者,芸術家,小説家・ジャーナリスト,実業家,発明家,武術家……,それぞれの舞台で道を究める〝コズミック・ライフ〟の体現者たちが,“宇宙史137億年”,“生命史30数億年”のスケールで,知られざる
センス・オブ・ワンダーを語り明かします。
    
          ◆

「ここはどこ?」「わたしはだれ?」────
いのちの文明への希望を乗せながら,“宇宙の渚”に響きあう珠玉のメッセージを,あなたに。

四六判・376ページ  2008年12月中旬発売
定価1800円(本体価格1714円)

【登場人物】龍村 仁・佐治晴夫・名嘉睦稔・柳澤桂子・玄侑宗久・中村桂子・栗田昌裕・本川達雄・鎌田東二・池内 了
三橋規宏・枝廣淳子・石井吉徳・大久保泰邦・村上和雄・田坂広志・高柳雄一・柳瀬丈子・宮脇 昭・甲野善紀・星川 淳
羽鳥 操・赤池 学・草木雅広・綾部経雲齋・速水 亨・板垣啓四郎・藤村靖之・小柴昌俊・天外史朗・上原春男・堀 文子

海象社 〒112-0012 東京都文京区大塚4-51-3-303 
Tel.03-5977-8690 Fax.03-5977-8691 Mail:info@kaizosha.co.jp
書店でご購入いただくか、海象社HP:http://www.kaizosha.co.jp からご注文ください。

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 お楽しみに!
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膠原病(SLE)

2008年12月03日 09時36分37秒 | Weblog
 12月2日付け朝日新聞朝刊「患者を生きる 827」-難病 安奈淳さんの幸せ①ーを読んだ。
 膠原病のうちのSLE(全身性エリテマトーデス)で、今日は二回目。

 実は、6年前に亡くなった父は、65歳のときにSLEを発病した。
 最初は、風邪かと思い、近くの診療所に3ヶ月ほど通院していた。
 抗生剤をもらって、飲み始めると熱が下がり、治っていくように見られた。
 ところがひとつの抗生剤が切れることになると、またまた熱が出始める。
 すると新しい薬に換えて様子を見ることになる。
 同じような経過を繰り返して入るうちに、眼科へ、歯科へ、整形外科へ、と通うことになった。
「病気のデパートだわね」
 何だかよくわからないうちに、次々と痛みを伴う炎症が拡がっていくのが家族にも不思議に思われて仕方なかった。

「このままではいけない。デパートだなんて言っていられない」
 そのうちに呼吸が苦しくなり始めて、そこで決断。
 順天堂医院の内科を飛び込み受診した。
 
 一週間して再び受診すると、女医先生が「ただ事ではない」と言う診断で、血液内科に回され、翌々日、緊急入院となった。

 検査の結果、高齢の男性としては珍しいSLEという診断が下るまでに一ヶ月は要した。時間をかけたのは、医師たちの「まさか」という思いと、確定するために、主に熱の推移をみるためだった。
 それからステロイドの大量投与による治療がはじまった。
 効果覿面。
 ベットのそばにマットを敷いて、体操を始めるまでになるにはそれほど時間がかからなかった。もちろん野口体操である。それにプラス‘腕立て伏せ’という念の入れよう。
 
 退院の時は、自分でもボストンバックを手に持って、なんと電車で帰宅すると言うほど元気を取り戻したのだった。
「試してみたいのよ」
 父と二人、電車に乗って帰還した。
 
 退院後はステロイドの量も減って、二週間に一度の血漿交換治療を受けに、リュックサックに一日入院用の必需品を詰め込んで、ひとりで病院に通っていた。

 この記事を読んで、安奈さんと同じような症状で、同じような治療を受けていたことを知ったが、父の場合は、ここまで緊急になる前のところで病院に駆け込んだ
ことに気づいた。それでも相当に病状は悪化していた。

 当時、この病院が膠原病治療に関しては、先端をいくところだったことが幸いだった。
 その上、男性患者は、全患者数のなかで1%という珍しさもあって、担当医師は経過も含めて学会発表を行ったそうだ。

 ところが思いがけなく元気になれたことが嬉しくて、仲間たちと山梨に出かけた父は、足首の骨折して担がれて帰ってきた。
 再び、順天堂に入院し、手術を受けたのだった。
 手術中も何度も血液検査を繰り返しながら、ステロイドの量を微妙に調節しながら行われた。つまり、ステロイドを切ることはなかった。
 整形外科の医師に麻酔医に膠原病の医師に血漿交換室の医師と、総勢10人を数える医師団がついてくれた。

 足の手術後、装着していたギブスが取れて、自分の足で歩けるようになるまで、底上げをした靴を履き、足に重さがかからないようにする装置を付けて、松葉杖をつきながら暮らしていた。
 筋力を落とさなかったために、すべての器具がはずれて時には、自分の足で歩くことができたのにも驚かされたのだが。

 それから人生最後に乗りたかった‘クーパー・ミニ’を手にいれて、今度はひとりで山梨までドライブ行くのには、懲りない人だというしかなかった。
 その間、血漿交換治療も投薬も受けながら、仕事も続けていた。
 ひとことで言えば、父は病人として運がよかったのである。
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今日、一日のこと

2008年12月01日 19時06分59秒 | Weblog
 師走、初日。
 5時起床。日の出が6時30分ということで、あたりは真っ暗。
 1時間ほどかけて新聞を読む。読みながら、私も年寄りの部類に随分前から入ってしまった、と思った。

 早い時間帯に、学生の中間リポート・43人分に目を通す。授業で意図するところがかなり伝わっていることを確認。コメントをメモとして記す。

 銀行まわりして記帳をすませる。
 昼食後に11月分の収支帳簿をつける。
 のこり1ヶ月である。

 七回忌のお知らせを手紙にして投函する。
 思っていたより多くの人が参加してくれる様子に、母が活気付く。
 十三回忌は、出来ないだろうという予測。
 会食は美味しいものを食したいという。
 お寺の本堂でいただけるのは有難い。年よりは移動が難しいので。

 常備菜を3種類つくり置く。
 夕飯の献立の一品に、残っていたカブの葉+玉葱+干しエビの炒め物は甘酢あんかけにしてみたら、予想外に美味しかった。最後のごま油は、魔法のように味を引き立ててくれる。
 そして、野菜のすべてをちゃんと食べきることができると、なんだかとても嬉しい。

 これから明日の朝日カルチャーと大学の授業のレジュメをつくる。
 今日も、もう一ふんばりだ。

 それが終わったら、本日のしめに、体操をしよーっと。
 
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