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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

新・動画専用ブログに思う

2007年01月21日 09時51分46秒 | Weblog
 1月18日から、本の発売に先駆けて開設した新しいブログ「野口体操・身体感覚をひらく」は、動画を中心にしたものだ。
 一気に「のぐちくんのたいそう」口絵ページの動画と写真をアップした。
 朝日カルチャーセンター土曜日クラスのレッスン後に、撮影をするためにモデルになってくださった方が、本とブログを照らし合わせて、初めてやっていることの意味がわかったと電話をいただいた。
 動画だけを見ていたときにも、それなりの理解が出来たらしい。しかし、実際に本を見ながら次々動画を見てみると「なるほど納得」して、腑に落ちるものがあったという。

 ウェブ2・0の時代がいいか悪いかという二者択一ではなく、ともかくも本の写真だけでは伝えきれないものを、思い切ってブログ上で公開してしまった。
 これはDVD付きのムック本とは、まったく異なる価値を生み出していると思っている。

 ただ、問題は、本と動画を見ることで「わかったつもり」になってしまう読者の存在だ。危惧されるところだが、ある人が言った。
「そういう人は、何を見ても何を聞いても何を知っても、わかったつもりにすぐなる人でしょう」
 仰せのとおり!

『身体感覚をひらくー野口体操に学ぶ』のなかで、そのことに近い話は書いている。「つもり」はあくまでも「つもり」なのだ。
 生きるということのなかで、「何かがわかる」ということは、生半なことではない。
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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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つもり (ぐるぐる)
2007-01-22 13:20:02
「つもり」について。
ある人が「気づいている」の反対は「思い込んでいる」と書いてありました。
最近、前傾して手を床につけようとして一番痛いところで指先をすこしグルグル回すとさらに下まで下がると書いてあるので試してみたらビックリ。こんなことで喜んでしまうのは、先生のご本を読む資格もなさそうですが、気づきは頭ではなく体を通して実感するのだとの思いを一層強くしています。
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ややこしい話 (古々米)
2007-01-22 16:09:44
自分が分かっていることは、誰でも分かります。
分からないのは、自分が何を分かっていないかです。

ブログの動画を見て「分かった!」と思うのは、「自分が分かったこと」について分かっただけで、「動画を見ても分からなかったこと」については、それが何で、どのくらいあるのか、神様じゃないと分からないわけです。

動画を見て100%分かったと思う人は、よほど大雑把な人でしょう。それほどではないけれど、やや大らかな人がいて「フムフム、自分は80%くらい分かったぞ」と思ったとします。でもこの人は、後の20%が何なのか、何が分かっていないのかは分かっていないわけですよね。その人が20%と思った「残りの部分」が、実は「分かっている部分」の10倍くらい大切なことだったりするかもしれません。

…となると、「80%わかった!」というのは、その人の思い込みに過ぎないわけで、そんなことを思うのは、その人が、まだまだ大雑把な証拠です…なんて言ったら、そうとうに意地悪でしょうか?

ただ、「どうも、このへんから自分は分かっていない気がする」というのは、心を研ぎ澄ませば誰にでも、多少とも…かなりボンヤリとでも…何となく感じられるのではないでしょうか。これは有難いことで、「このへんから分かっていない」と分かれば、その先を研究することが出来ます。

つまり…うまく言えませんが…大切なのは「分かっていること」に対する感覚ではなく、「分かっていないこと」に対する感覚の鋭さなのではないかと私は思うのですが、いかがなものでしょう。
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お久しぶりです。ぐるぐるさん! (羽鳥操)
2007-01-22 19:19:21
お叱りなんてとんでもない。無理はなさらないで。
気づきはからだで、ということは真理のようです。
新しい本、読んでください。
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確かにややこしい話ですか (羽鳥操)
2007-01-22 19:25:00
古々米さん、コメントありがとうございます。
野口先生が、「わからないことをわからないまま大切にして」とよくおっしゃってました。
目あき千人・目くら千人とはよく言ったものだと、いただいたコメントを拝読しながら思いました。
 
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Unknown (きたむら)
2007-01-22 20:13:35
私のお仕事(雑誌の編集)には、ある意味、「わかったつもりになること」が前提として含まれています。そうじゃないと、ちょっとだけ取材して、それについてとうとうと記事を書く、などということはできません。
基本的には「ここまではわかった」という範囲のなかでモノを書くわけですが、その時に、先に続いているであろう「まだわかっていないこと」への展望を予感しつつ(願わくば敬意を払いつつ)、大局観としては本質を外さないように注意しながら、でもどこかで「えいや」と割り切って、その時点での理解に基づいてバサッと物事の一断面だけを切り出す・・・という作業は、毎月毎月、自分の底の浅さを世の中に向かって露呈しているようなもの、とも言えますから、「つもり」にでもなれなければ、精神衛生上、大変です。
でもそういう作業を繰り返す存在が、ジャーナリストという名目で歴史的に一定の価値を置かれてきたわけですから、そういう行為にもきっと何らかの意味があるのでしょう。
・・・・すみません、趣旨とずれましたね。
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つもり……きたむらさんへ (羽鳥操)
2007-01-23 13:24:22
ジャーナリストでもない私が言うと「それを言っちゃおしまいよ」とお叱りを受けるかもしれません。
でも、きたむらさんのコメントを拝読して、よくわかります。実は、本を書いたり、写真を載せたり、取材を受けたりするときに、あまり良心的になりすぎると苦しいときがあります。つまり何も発言も発信できない。
どこかで「わかった(つもりも含めて)」内容を、言葉にし写真や動画のモデルになります。何事も程度ものですね。
「今のところここまでが私が理解していることです!」と開き直って発信していることもしばしばです。
野口三千三先生の言葉に「感覚とは錯覚、理解とは誤解、判断とは独断、意見とは偏見」『ことばに貞く』(春秋社)105頁に詳しくあります。
この言葉を悪用せずに、できるだけ良心的にいきたいと心に誓っておりますが。
バランスをとりながら、ウェブ2・0時代にのって、新動画サイトは続けたいとおもっています。携帯でも見られるように、15秒以内で携帯の画素の荒いビデオ映像という条件で、読者の皆様にお届けしたい。
最後は、話がずれました。悪しからず。
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