羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「垂直」と「鉛直」の違い……野口体操で最も重要なこと

2017年01月09日 10時03分17秒 | Weblog
 『人間が人間であることの基礎感覚は、地球の中心との「繋がり感覚」である』
  野口三千三著 『野口体操 おもさに貞く』4頁より

 年があけて調べはじめたのは、「鉛直」と「垂直」いう言葉だった。
 この言葉を聞いたことがある、とこたえる人は少ない。
 まして使ったことがある、とこたえる人は殆どいない。

 すくなくとも野口体操を始めた1975年頃に、野口の話ことばとして「鉛直」と「垂直」の違いを聞いたのが、私にとっては、最初のことだった。
『「鉛直」は、地球上では絶対的な方向です。それに対して「垂直」は相対的な概念です。そして「鉛直線」とは糸や紐の先に鉛の玉をつり下げた時に出る直線のことです。だから「鉛直」なんです』
 
 それから40年、はじめて小学館『国語大辞典』を引いてみた。(なんと遅かったことよ!反省) 

「えんちょく(鉛直)」
1、鉛直線の示す方向と等しいこと。また、そのさま。
2、ある直線が、ある直線・平面に対して垂直であること。また、そのさま。
「えんちょくせん(鉛直線)」
1、物理学で、重力の方向を示す直線。すなわち、物体をつり下げた糸の示す方向の直線。水平面と垂直をなす直線。
2、一点からある直線。平面に対して垂直な方向に引いた直線。

「すいちょく(垂直)」
1、まっすぐに垂れていること。また、そのさま。
2、水平面・地平面に対して直角の方向を示すこと。また、そのさま。物体を糸でつった時、糸が示す縦の方向。重力の方向。鉛直。
 数学では(1)二つの直線が互いに九〇度で交わること。
     (2)一つの直線が一つの平面と交わりその平面に含まれその交点を通るすべての直線と九〇度で交わること。
     (3)二つの平面が交わり、一方が他方と九〇度で交わる直線を含むこと、をいう。

 なぜ、国語大辞典を引く選択だったのか、それにはわけがあった。
 この二つの言葉が、日本ではいつの頃から使われるようになったかを知りたかった。
 おそらく西周や福沢諭吉が、盛んに翻訳語をつくりだしたり使い出したりした明治期に違いない、と当てずっぽうに始めたことだった。

 国語大辞典には、その例文が挙げられている。

「鉛直」1、の意味では、『二人の女房』〈尾崎紅葉〉上・三「杉箸を鉛直に立てて遠くから測量して」
  『妄想』〈森鴎外〉「砂山の岨(そは)が松の根に縦横に縫われた、殆ど鉛直な、所々中窪に崩れた断面になってい(旧字)るので」

「鉛直」2、の意味では、『青年』〈森鴎外〉「権現前から登って来る道が、自分の辿って来た道鉛直に切る処に袖浦館はある」

「鉛直線」では、『浮世絵の曲線』〈寺田寅彦〉「全体の支柱となるからだの鉛直線に無理なく流れこんでいる」
 
「垂直」では『灰燼』〈森鴎外〉一三「お種さんは大きな麦藁帽の縁が垂直になる程傾いてい(旧)る」
      『歩兵操典—第四八』「床尾踵を右足尖の傍に置き銃身を概ね垂直に保つ」

 やはり思ったとおり、「鉛直」も「垂直」も明治の作家と近代兵術を取り入れた「歩兵操典」で、軍事で使用されているのだった。
 尾崎紅葉の場合は測量に使用されている。
 森鴎外の場合は、鉛直は地形の表現に使用され、垂直は人工のものの有様に使用されている。(因みに、「灰燼」という題がなんともやるせないが)ちゃんと、書き分けられている。
 
「垂直」という言葉、「歩兵操典」に使用された軍事用語だが、軍医として陸軍に所属していた鴎外が、「鉛直」と「垂直」を使い分けていたところに注目したい。

 多くの日本人にとって、正確に言うならば日本語を国語とし、さらに母語としても育てられた人々にとって、この二つの言葉は、「垂直」に集約されて使われいる、と言っても過言ではない。

 それでは英語ではどうなるのか。
「鉛直」vertical 意味:重り(錘)を糸でつり下げたときの糸が示す方向、すなわち重力の方向。水平面に対して垂直の方向。鉛直線 vertical line、plumb line とはその方向の直線のこと。
 *「測鉛」水深を図るときに使われる紐に鉛をつり下げる道具の意味でもあった。
 *「鉛」Plumb の語源は、ラテン語の「鉛」。垂直に きちんと といった意味である。

「垂直」vertical,perpendicular の数学においては、次のような使われ方である。
「垂直(すいちょく)」英: perpendicular であること、すなわち垂直性 (perpendicularity) は直角に交わる二つの直線の間の関係性を言う。この性質は関連するほかの幾何学的対象に対しても拡張される。
 ここまでくると「鉛直」と「垂直」の概念を持っているかどうかを、ネイティブの方に確かめる必要がありそうだ。

 日本語として使われたのは、いったいいつの頃か、と先ほども書いたが、『日本における近代物理学の受容と訳語選定』と『明治初期日本数学界における伝統数学と西洋数学の競争』をひも解いてみると、明治13年7月に東京数学会社が、「訳語会」をつくった、とある。西洋数学を日本語に翻訳する際に、数学用語を統一するための述語をつくりだすためである。
 物理学の述語に関しては、会津藩士だった山川家の山川健次郎、他、が中心になって「物理学訳語会」が、明治16年に活動を始めたとある。
 いずれにしても明治期の近代化を学術的におしすすめた日本人の熱意は、想像を絶するほどであったことが「鉛直」と「垂直」を調べることで伝わってくる。

 野口の『地球の中心との「繋がり感覚」』を、地球での鉛直線の性質で言ってみると、こんな風になる。
『地球上のあらゆる鉛直線は地球の中心の一点で交わる』
 このとき、重力の方向と一致することから
『物体を自由落下させたとき、物体が辿る経路は鉛直線に一致する』
 これが「おもさに貞く」という原点なのであろう。

 こうして調べてみると、野口の思考は、実に物理学的発想によっていることがわかる。
 つまり野口体操の理論“おもさを生かす基本感覚”は、近代物理学の基本概念から導き出されたことである、と言えるし、「おもさ」に注目し「鉛直」や「垂直」を厳密に分けた野口発想は、戦後体育の世界では、はじめてのことだと言っても過言ではないだろう、と私は思っている。

 この「鉛直」「鉛直方向」「地球の中心方向」といった一連のことばは、どれほど多く野口の口から発せられていただろう。レッスンのたびに、耳にたこができるほど聞かされていた。

 よくよくその経緯を思い返すと、野口がこれらの言葉と概念に極度なこだわりを見せるようになったのは、宇宙飛行士にTBSの秋山さんが選ばれて、無重力空間での体験を話すころからだったように記憶している。そしてその回数は頓に増えた。
 高田栄一さんを朝日カルチャーにお呼びして『蛇に親しみ 蛇に貞く』公開講座を行ったときのは一発触発寸前となったことがあった。
「自然はすべて曲線です」
 という高田さんに
「いや、そうでもない。直線だってあるんです」
 刀でスパッときったような直線をもつ貝殻を見せていた。
 この対立を起こしたのも、無重力による人体への影響、心理的変化、等々の研究が進み、多くの情報がもたらされてからの出来事だった。
 宇宙の無重力空間に対して、常に地球の中心に働いている力を動きの基本とし、その感覚を育てることが大切であると自信をもって強調するようになった時期に、私は野口体操を始めたのだった、と、今、振り返っている。

『野口体操 おもさに貞く』9頁には、次のようにまとめられている。
『今、西ドイツに住む長男一家とも、水平方向を指さしても方向が間違ってしまうが、地球の中心への重さ(思ひ)の方向なら間違うことなく確実に地球の中心で結ばれることを感ずる。妙なことに、いつでも一緒にいるような気がするのである。「地球上のすべての存在の究極のふるさとは地球の中心である」ー「地球感覚」とでも名づけたい、私にとって大切な感じ方なのである』

 最初に読んだ時には、「実感? ホントかな?」と思ったものだった。
 皆さまは、いかがですか。

 本日は、備忘録として書かせてもらいました。
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