先日、赤坂見附から新宿区霞ヶ丘・明治神宮絵画館まで散策した。
まず、虎屋本店で美味なる「栗おこわ」を食してから出発。
向かい側に渡って「豊川稲荷東京別院」に参って、赤坂御用地に沿って青山通りを渋谷方面に向かう。
今回はこちら側から、草月プラザ・高橋是清記念公園は眺めるだけで省略。
青山二丁目を右折し、銀杏並木を聖徳記念絵画館を目指す。
初めて館内に入った。
80枚の絵画を一枚ずつ鑑賞。明治維新からの官軍・明治政府が描いた日本を見る。
たった45年間の短い時間で、強引に行った欧化政策・富国強兵の姿を見せてもらった。
歴史の裏側に・・・・戊辰戦争の悲劇がべったりとついていることを想像しながら・・・・
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実は、最近の私の散策は、鹿児島であろうと東京であろうと、幕末から明治・大正・昭和にかけての群馬県が果たした役割を別の角度から見て、その輪郭を明確にするための行動のようである。
思いなしか高崎や前橋が果たした近代の役割が、はっきり見えはじめてきたようだ。
くわえて東京から見た群馬と薩摩・鹿児島の距離感をもって、江戸・明治における地方都市としてのその後が比較できた。
群馬の地の利は、養蚕・生糸輸出産業を可能にし、戦時中は中島飛行機を中心として飛行機製造にはもってこいの場所であった。
戦争末期には陸軍・高崎十五連隊がぺリュリィー島に本部を移しての悲劇的な歴史がある。
加えて前橋飛行場が作られ、特攻兵がここから飛び立ち若い命を空に散らしたのである。
利根川の水利は、早い時期から水力発電による電気を供給してきた。
そのことが知識としてだけではなく、私の中で身体感覚を伴って、こなれてくれたような気がしている。
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絵画館で絵画を見てから、その玄関に立った。
右手には原宿・明治神宮につながって代々木の練兵場があり、正面から左手には青山練兵場があった。
かつてのイメージを持って、しばし、佇む。
それぞれが、それぞれに、どれほど軍事的な役割を果たしてきたことか。
ちなみに虎屋赤坂本店の三階バルコニーからは、樹木とビルの間から防衛省の建物の上部がわずかに眺められる。
歴史の時間と交差して、東京と群馬を結ぶ空間が、私の身体の中で明確になりつつある。
言ってみれば、群馬は近代現代の中心地・東京にとって、広い意味での“兵站”だった。
だとすれば、その群馬に生まれた野口三千三に、終戦まで与えらえた使命の必然としての重さを測ることができる。
だが・・・・・
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