語源にしても字源にしても、なるほどと納得はしてしまうのだが、どこかこじつけ感を否めないことが多い。
そんなこともあって、語源俗解とまで言わなくても、語源・字源を扱う学者は、二流学者と言われることに頷くこともある。
さて、それはそれとして、野口三千三存命中には、出会うことがなかった藤堂明保『漢字語源辞典』が手に入ってはじめて「単語家族」の概念が掴めた。
この本によると「単語家族」とは、幾つかの字で書かれたコトバをひとまとめにして、その基本義を探り当てる研究で、厳密に言うと語源研究とはやや違う、とある。
藤堂明保の履歴をインターネット上ではあるが、検索してみて驚いた。
藤堂漢字・言語学は、当然のこととして「音韻論」を中心にしてなされるように、運命付けされていたことがわかった。
彼は、中国大連で生まれた。その後、第一高等学校から東京帝国大学へ進学、昭和13年に卒業と同時に、留学生として北京に赴く。
その後、大陸で招集され退役してからは軍属として中国語の通訳を務めた。終戦時は上海にいたという経歴を持つ。
生涯のうち前半は、中国各地の音をふんだんに聞いていたことになる。
「言葉は音である」から、繰り返すが彼の漢字学が、音韻論を中心とした解釈になっても不思議はないことが想像できる。
《字形の異同から共通する音義素を抽出しようとする伝統的な文字学の手法ではなく、字音の異同を重視し、字形が異なっても字音が同じであれば、何らかの意義の共通性があると考える。》
以上のことから、藤堂は「単語家族」を提唱していった。
そこで私自身の名前でる「操」の字を調べてみた。
基本義:上に浮く、表面をかすめる。
単語家族:巣・燥・藻・抄・鈔等々。
「操」の旁(つくり)は、高い木の上に鳥が集まって、口々に鳴きさざめくことを表す。そこからいくつかの経過を辿って「上に浮く」という基本義を導き出す。
《「操」の意味は、「把持するなり。手+旁(パソコンで打ち出せない) 声」・・・・マユの表面から生糸をかすめて手中に収める意であったのが、のちに「手中に収める」方に重点が移り、「操守」の意となった。名詞は「ミサオ」と訓じる。》
志をしっかり守り通すという意味の「操」となったわけだ。
それなりにわかる、しかし・・・。
「単語家族」に素直に納得できることと、中国語の音を理解していないところからくる「なぜ?」という疑問を感じることとがあって、そこを考えるのが面白い。
以前「医は仁術展」で知ったことだが、「漢方」というのは、中国の医療を学んで日本人が日本国内で発展させた日本の医療行為をさしている。つまり「漢方」は中国伝統医療そのものを表しているのではない、ということと考え合わせると、極論だけれど、日本語の中の漢字は、すでに日本の文字としての意味を持っていて、日本の「漢字」だと言えないだろうか。
伝統の中に脈々と流れる字音や字義が、時代とともに変遷を遂げる。さらに日本では訓読みするという翻訳を行った。そこに日本の意味が加わって、言葉の奥行きが増し、異質な文化の陰影が加わると思いも掛けない「言葉の世界」が誕生する。
こう考えてみると、漢字の解釈の広さと深さが浮き彫りになるが、もともと言葉とは自由な広がりを持つものとして、改めて、言葉とは何か? 文字とは何か?を考えてみたくなる。
野口先生が、漢字の字源、大和言葉の語源をたどる面白さにハマった、その危うさも承知しながら、昏迷する世界に入り込まないことを祈りつつ、『漢字語源辞典』のページをめくる日々である。