羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

動きとイメージ……中心、重心、鉛直軸、重力軸、あぁ~!!!!

2012年02月02日 09時34分53秒 | Weblog
 野口体操に出会って、はじめの15年は「静かなるほぐし」に、多くの時間をあてたように記憶している。
 そのうちの10年目くらいになって、ようやく逆立ちの稽古を本格的にはじめた。
 その頃から自宅でも立って行う動きなども、ひとりの稽古に組み入れた。このような亀の歩みに、野口の我慢が切れなかったことが不思議なくらいだ。相当にイライラが募ったのではないか思う。
 ゆっくりの理由は、からだの内側からほぐれた実感が持てなければ、レッスンの場ではともかく、一人では不安があったからだ。そうした僅かに発する危険信号をキャッチする能力だけは、しっかり持ち合わせていたようだ。よくも悪くも、裏表の関係にあるのだが。

 さて、20年目にして『野口体操 感覚こそ力』を上梓させてもらった。自分自身のなかで野口体操をどの程度理解しているかを外側に出してみたかった。存命中の先生に原稿をすべて読んでいただき、赤を入れてもらえたことは、今となっては幸運としか言いようがない。
 そのなかでも「野口体操 動きの理論」の章は、野口から話を詳しく聞くことができた。
 からだを柔らかくすることにつれて滑らかな動きを導くために大切なことは「梃子の原理」をイメージとして描くことができるか、が問題だということを教えられた。
 立って行う動き、静かなるほぐしの動き、共通に「梃子を短くするイメージ」を持つようにと強調された。初めは意味が分からなかった。しかし、どうやら、そのことが動きにとってほぐし行為にとって問題だ、ということだけは理解できた。
 
 このブログを書きながら、『野口体操 感覚こそ力』春秋社 174㌻~を読みなおした。
《『動き』を中心にして、からだの構造を、いちばん単純にいうと、それは『梃子』の原理で成り立っているんです。例えば、脚を例にとります。骨格筋というのは、一つの骨から始まって関節を通り越し、他の骨についています。そして、一つの関節の動きに関係して、反対の働きをする二つの筋肉(拮抗筋)によって、単位の関係が成り立っています。片方の筋肉が収縮して、脚は伸ばされたり、他の片方の筋肉が収縮して曲げられたりします。滑らかな動きを求める場合、実際にある骨の長さでは、長過ぎる場合が多いんです。そこで、僕がいつも言っている、ほぐすことによって『柔らかなからだの動き』の意味が出てきます。骨が相当に長い梃子、だとすると、固いまま動くとたいへん重いんです。つまり、動くエネルギーがたくさんいるわけです。梃子は、重さの大きさと距離との積でエネルギーが示されます。したがって動く場合の梃子は、短い方がいい。できるだけからだの中をほぐすということは、からだのなかを『短い梃子』に変えることなんです。その時のからだのすべての関節の複雑微妙な関係のあり方でそれぞれが可能なのです。》
 ここを読むと野口体操が「イメージ体操」と言われる所以が納得できる。

 こうして「静かなるほぐし」で、ほぐしそのものに動きがともない、次に他の姿勢に変えるときなど、液体的なイメージと同時に、この「短い梃子」のイメージを同時に持っていないと、重さを活かす動きは生まれないということを実感するまでには、余分な力がぬけることが条件になる。

 液体的なからだ、そのからだの内側に存在する内骨格としての「骨」、それらの微妙な関係の取り方こそが、「ある激しさをもつ動き」「立位のほぐし」、「素早い動き」「滑らかな動き」、そして「静かなるほぐし」、すべてを通して貫かれていることだ、と教えられた。
 
 ここにきて問題にしている、液体的なイメージのなかに「鉛直軸」を求めることと、その時々に変形する「骨格の形」をつくる骨をつなげる関節、そうしたなかに「中心点」を求めることと、時々刻々動きにつれて変形するからだの縦軸のなかに「重心」を求めることと、それらが複雑に絡んだからだの内側に感覚を集中させることが、稽古のひとつの目的でもある。だから時間が必要なのだ。それは焦らずゆったりと流れる時間のなかで求められてほしいのだ。

 さらに176㌻には次のような記述がある。
《『中心というのは、動きの支えになる点のことを指します。それに対して『重心』というのは、ものの形の違い・ものの内部の比重の違いから、必ずしも見かけの中心とは限らないことがある、ということです。動きにとって難しいのは、動きの支点になる中心と、バランスになる重心の関係なんです。つまり『梃子』と『振り子』は、動きにとっては兄弟のような関係にあるということなんです。》
 梃子に対して「振り子」という概念も加わっている。さらに動きを複雑にするのは、人間のからだが単振り子ではなく、関節がいくつもつながった多重振り子である、という点に集約される。

 液体的な筋肉と骨の関係、少ないエネルギーで支えられる骨格。構造を生ものの動きとして支え成り立たせる「中心」「重心」・「重力軸」「鉛直軸」、それらを実感として捉える稽古は、稽古のなかの稽古と言えるに違いない。もし、野口体操が難しいと言われならば、ここにこそ問題が潜んでいる、と言えそうだ。
コメント
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