goo blog サービス終了のお知らせ 

羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

結城紬の里から新宿紬へ

2010年03月07日 09時40分29秒 | Weblog
 今朝NHK・GTVで「結城紬の里」を取材した番組を見た。多分「新日本紀行」ではないかと思う。
 千年、この里では紬が織り続けられてきた。茨城県結城市である。
 真綿から絹糸を紡ぎ出す女性。その糸を染める前に、柄を描いた下絵をもとに白い文様を残すためにおよそ一万箇所に及んで糸をくくりつける作業を行う男性。次に染め上がった縦糸と横糸を織り込んでいく機織女性。
 文様を浮き立たせる糸からげは三ヶ月を要すという。神経を集中して柄をずらさずに織り込んでいく作業では、一日に三十センチ織り進むのがせいぜいだという。
 更に一反の布が織りあがってから、一級品の品質保証をもらうために検査所に持ち込み、ながい時間待たされる。保証書を布に貼り付けてもらい問屋に出かけて、いよいよ現金化することになる。

 さすがに紬の里だけあって、この町には洗い張り屋も残っていて、再生された着物は母から子へと何代も着継がれていく着物が、今でも生きているのだ。縒りを強くしない糸ゆえの肌触りの柔らかさと光沢の美しさがこの紬の特徴だ。母の胸に抱かれた子供にはその柔らかさとぬくもりが刷り込まれているらしい。だからこそ代を重ねて着られていく。

 百年続く機屋さんが登場していたが、地道な作業をただひたすらに営々と続ける姿に本物を生み出す気概が伝わった。

 こうした三十分弱の番組を見終えて、ふと、自分の来し方を振り返った。
 今日も午後から朝日カルチャーのレッスンに出かけるが、この三月で三十二年間ほとんど休まずに通ったことになる。野口三千三先生の助手としての二十年間、没後の十二年間は長かったともいえるし、いつの間にか歳月が流れていったに過ぎないともいえる。
 カルチャーが入っている住友ビ三角ビルは、生まれ故郷の新宿にある。
 小学校三年生まで過ごした新宿。両親や祖父母が暮らした新宿。この地に通い続けた日々に織り込まれた文様が、目に浮かび音が聞こえ、匂いまでも甦る。そうだ‘新宿紬’とでも名前をつけて、一反の織物代わりに一冊の本を綴ってみようかな、と思った。

 それはそれとして、何事も一に根気、二に根気、三、四がなくて、五にも根気あるのみ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする