羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

肋間神経痛の痛み そして 老いの自覚

2010年03月06日 08時50分56秒 | Weblog
‘肋間神経痛’の痛さは、患ったものでないとわからない。急性期には手を添えただけで痛がった。介助が出来ないのだ。一人でジワジワ動かす以外に方法はない。見守っている方も辛い。手が出せないのだから。
 これにかぎらず病というものはすべてそうだが、患ってみてその痛さ苦しさ不快さ不安を知る。何事も体験して始めてわかることが多い、ということだ。

 さて、そろそろ一週間になる母の病状だが、昨日は驚くほどの回復を見せた。
 姿勢を換えるときはまだまだ痛そうだが、背骨をまっすぐにして立つ状態・正座では何事もないようにしっかりしている。歩くことも出来るようになったのは嬉しい。
 そしてソファに腰掛けて、訪ねてくれた知人と話したり、同じ体験をしている私の友人からもらった電話で楽しいそうに話をしてすっかり回復している、と思いきや姿勢を換える時には‘いたたたた!’と声をあげている。
 しかし、その声もだいぶ小さくなって急性期の切迫したものとは明らかに違う。
 今週の初めごろは虐待か?と間違われるような声だった。
「叫んでいる方が痛さを逃がせるの」
 おかげさまで峠は越えた。あと一週間が辛抱と忍耐と我慢だ、と三つも言葉を重ねておきたい。

 皆さんに‘転ばぬ先の杖’いざと言うときでは間に合わないからと薦められていた介護保険の申請をしてきた。
 こうなってくると思うこと多々。
 こんな風に老いの自覚(自分も含めて)が出来ると同時に、準備も整ってくるわけだ。
 あぁ、実に寂しい。けれど仕方がない。現実を受け入れるしかないのだから、と言いつつも……あぁ~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする