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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

手逆立ち考③ ーふわっと宇宙の逆立ちー

2005年11月15日 11時08分59秒 | Weblog
 手の真上にからだの重さが一直線で乗る感じがつかめるまでに、ひとつ折り合いをつければならない大事なことがある。
 
 それは、「恐さとの折り合い」だ。
 ところが、こればかりは、意識で排除しようとしてもどうにもならない。
 「恐いものは恐い」
 
 その恐怖感を感じさせなかったのが、野口三千三先生の逆立ちの包助だった。
 何がいいって、タイミングがいい。
 なれない人の時には、すこし早めに腰へ手を添えてくれていた。
 ご自身では、こんな風におしゃっておられた。
「目で見ているのではないんです。からだ全体が、逆立ちをする人を感じ取っているんです。鉛直方向、つまり地球の中心方向も目では、わかりません。
 立っている自分が、縦軸を感じながら、逆立ちする人の鉛直方向にあわせていくような……」
 野口先生にしても、ことばで表すのは難しそうだった。

 では、野口先生に包助していただいた私の実感は、というとこんな感じかな。
 先生自身のからだの軸が決して固まった状態ではなく、太くやわらかな中空構造のような軸が感じられて、そのことによって、逆立つ自分のなかに軸が感じられる「共感覚」があったように思う。
 
 でも~、これも~、ことばで言うと、うぅ~なんとなく違うような感じが~するってわけ。
「体操は、ことばにならないところに本質がある」
 野口先生のこのことばは、まさにその通り。

「逆さまになってからも、上へ上へと伸びるイメージを持ち続けてみて」
 先生の言葉。
「いちばん伸ばすところは肩の周辺よ」
 そして鼠径部を鉛直方向に一致させていくことだと言われた覚えがある。
 そこに集中すると、確かに私の場合は、胴体が反り返ることはない。
 二本の足で立つ場合と一緒で、からだの長軸を鉛直方向に一致させることに尽きるわけだ。

 立ったときは、東西南北・左右前後といった日常的に大切な方向感覚は、どちらでもよくなる。
 ただあるのは上下の方向のみ。
「伸びて、伸びて、伸びる」ただそれだけ。


 “のびのびの世界に遊ぶ”心地よさは、もしかすると大人になって味わうところに、深い感動があるのかもしれない。
 だって非日常だもの。
 この感覚には、スリルがある。
 一つ越えなければならない感覚の壁がある。
 意識ではどうにもならない。でも意識も働く。でも過剰な意識は邪魔にこそなれ味方ではない。「でも」がいくつも重なってくる。
 一ついえることがある。

 野口逆立ちは、恐がりさんの方が、まっすぐな逆立ちへ到達する通行手形をもらえる確立が高いようだ。
“何が何でも立ってやろう意識”は、とりあえずどこかへ置いてきてください。
 
 野口先生が目指しておられた逆立ちは
「ふわっと宇宙の逆立ち」って言えるかな~。。。。。。。。。
コメント (1)
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