羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

漆黒の闇…新たな能舞台

2005年11月17日 08時47分56秒 | Weblog
 古くからの知人から、久しぶりに封書の手紙をいただいた。
 その手紙に11月11日「フジサンケイ・ビジネスアイ」の新聞の切抜きが同封されていた。

「日本の伝統文化と宇宙の融合―能と古武術―野口飛行士が活用」という題がついている。
 そのなかで野口飛行士が語たる次のような記述が目に留まった。
「宇宙服のヘルメットを通しての限られた視野は、能面をつけた状態での舞に通じるのかなと思った」

 去年、女性の面打ち師の方の話を伺う機会があった。
 実際にご自身が作られた面を展示しながら、面を打つ作業も見せてくださった。
 そのとき、檜にノミを入れて、おおまかにカットした状態で、まわしてくださった。
「うぁ~、いい匂い」
 口々に、今、目の前で削られたばかりの檜の香が、予想外に強いことに、皆、鼻をぴくぴくさせ、目をくるくるまわし
「すご~い」
 一言で、同感の頷きが次々と交わされた。

「どなたか、実際に面をかけてご覧になりませんか」
 だれも手を挙げない。
「はい」
 私は、名乗りをあげた。

 なんと手渡されたのは、般若面だった。
「般若は角に、気持ちをのせていきましょう」
 因みに、小面は頬だそうだ。

 1メーター先くらいが見える程度の視野の狭さ。目からではなく鼻の穴から、のぞき見る。近眼の強い私は、眼鏡をはずしたら、さぞ足元がおぼつかないのかと怖れを感じていたことが杞憂であることに気がつくのに時間はかからなかった。
 不思議と恐さもなく、穴からよく見えるのである。極めて狭い空間は、見えながら見えない・見えないながら見える、という矛盾した在り方が同時起こりつつ、自分のからだの動きに、意識が自然に促されていく。
 腰は落ち、足は摺り足の方が安全だ。
 声もからだの内側によく響く。なるほど能の発声は、この面がかもし出す内なる空間条件から、生じることだと納得する。

 記事の先を読むと、野口さんはこんな素敵な話を続けられていた。
「昼間の宇宙は地球が明るいために暗黒だが、夜の宇宙は満天の星が輝き地上には夜景の彩りも見える」という。

……漆黒の闇……
「暗黒舞踏」とは、本来は宇宙の星々の舞のことだったに違いない、とその記事を読み終えて私は思った。
コメント (1)
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