12/24日 今日もインディアンサマー居眠り日和です。いよいよ広島から延々赤間迄の街道歩き最終回。昨日は女狐に化かされながらも、頑張って予定通り厚狭から小月まで踏破。最終日の残された行程は小月から赤間まで、最後の一踏ん張り。
無風快晴なんの問題もなし、一つ有りとすればホテルの朝食が予想外に美味しくて、チョッピリ食べすぎ体が重いのです。
今日の街道沿いには、長府藩の古い町並みが残されている、その脇を街道が通っているので、功山寺など古刹に立寄ることが出来るのです。広島周辺はお寺といえば新しい、浄土真宗の寺ばかり、優雅なお庭も無ければ、由緒ある仏像の拝観なども望むべくもありません。そこに行くと長府の町は…
過ぐる12/14日、広島藩と赤穂事件の講座で、長府藩にお預けになった赤穂浪士に関する記録がほとんど無く、他藩に比較して長州藩は、冷たい仕打ちではないか?と話題になったことをフト思い出した。
記録に残ったのは二人のみ、そのうちの一人:間新六は若干24歳ながら、介錯人の用意が整わない内に、刃を腹につき立て20センチ以上切り裂いた、見事な切腹であったと記録されているという。
二人目は高齢62歳の村松喜兵衛:介錯人の名前を聞き、年寄りなので無作法があるかも知れないが、その時はよろしくと頼み、堂々と切腹したという。
さすがの長州藩も、あっぱれな両人の事は、記録せずには居られなかったのである。
関門大橋に夕日が沈む頃、我が一行は山陽道の基点にたどり着いた。まずは広島から全行程を踏破した三人が、舞台に上がって万歳三唱、万感の思い
続いて会員、Tさんの奉納フラメンコ。ホントこの探歩会は役者が揃っていて感心します。すごい
おいらは台風のため歩けなかった、欽明路が抜けているため、皆勤賞はならず。小学校以来の表彰を逃したのです。
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