いじめによる自殺が、長い年月続いています。
なにひとつ、いじめについての解決は、なされていないという
悲しい現実です。
1993年に出された、「私のいじめられ日記」は
親友と思っていた友人たちに、執拗にいじめをうけ、さらに信頼
していた担任にも、裏切られた一中学生が、精神の限界状況の
中で綴った魂の日記、「私は許さない」の内容にて、
土屋 怜/土屋 守著
の娘と父親が書いた本である。
父親の土屋 守さんは、精神科医で不登校になった子の
カウセリングをしている。
怜さんの心の叫びを。
・ 正義は必ず勝つのに、いじめだけは正しい方が、
負けている。そんなのおかしい!
・ もう、私と母はおかしくなりそうです。
誰か助けて!
・ 今、いじめている人、苦しませている人、あなたのしたこと
は、あなたにかえります。
二倍、三倍になって返ります。このままじゃ、許さない。
・ いま、いじめられて、私と同じ苦しみを受けている人へ。
絶対に、負けないで・・・
私が自分の嫌な体験を、日記を、こうして出したのは、
私と同じように苦しんでいる人に
“私はまわりの大勢の人の心を受けてがんばっているから
こんなに傷ついていても、それでも必死で生きているから”
と伝えたかったからです。
この本を読んでくれた人に、どうかほんの少しでも勇気が
元気がわいてくることを願います。
父親の言葉。
・ 一般の人間は弱者に対し、“いたぶってやろう”という
不気味な凶暴性を心の底に、潜ませているものだ。
いじめがたえない、そして、教師もその例外ではないという
ことだ。教育とは恐ろしい営みなのである。
・ 率直にいって、この教師たちの、人間的次元の低さに
私は、慄然とする。
・ 学校の教師には、いじめ、つまり人間の尊厳を冒す行為に
対しては、体がふるえるような怒りを、覚えてほしい。
いじめはいけないと「教える」のでは足りない。
いじめは「許さない」という姿勢を、真剣に示してほしい。
そうでないと、子供には何も伝わらない。
・ いじめられたことによって、必然的に起こってくる心身の
疲労、精神的ショック、相手に対する攻撃性などの心の
揺れを、どう上手に処理されるかということだ。
「いじめられ」そのものの解決と同じに、
大きな課題であった。
*** 文中より ***
怜さんの場合は、本にしたことと、テレビ、ラジオ雑誌関係の
人々の支えが有り、また、1人の友だちの励まし、友情があった。
心変わらず接してくれる友人ほど、心強いものはありません。
良い友人が側にいたことも、支えだったでしょう。
(本が出されて、13年も経過しています)
いじめは、人の心の痛みも、苦しみも、悲しみも
分らない人が、するものです。
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ウオーキング~45分=5,700歩