行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2011年7月11日(月)の日記

2011年07月11日 | 日記

朝から気温が高くて、電車は一応、冷房は入っているがしだいにワイシャツが汗でぐっしょりになってきた。ワイシャツは、そんなに汗をかかないときは2日続けて着るが、この暑さではだめ。汗を吸ったら2日目は着られない。去年、形状記憶タイプ(つまり、家で洗濯できるからクリーニング代がかからない)の半袖のワイシャツを3着ぐらい買って、オールシーズン着るワイシャツ(長袖のは袖を折り返して着る)と交代で着用した。今週からは、半袖ワイシャツの出番だ。

晩飯は南行徳メトロセンターの松屋豚生姜焼き定食

そして、今日はダンベルエクササイズをやる。今回は下半身メニュー。やる間だけ、冷房の設定温度を低くするが、それでも息が上がる感じ。やっぱりもう真夏だ。


2011年7月10日(日)の日記

2011年07月10日 | 日記

午前中も午後もDVDを見てすごす。でも、運動不足になるから昼飯ついでに自転車でぐるっと走ってくる。 

走るといっても一生懸命走るのではなく、のんびりペースで熱中症にならない程度の時間、走るだけ。でも、それだけではなく、地域の公園や校庭で行なわれる盆踊りや夏祭りの情報がないか、街頭の自治会掲示板をチェックしていく。そうしたイベントがまもなく始まる時期だ。自分が住んでいるのが南行徳のバイパス側だが、行徳地域全体を対象にしたサイトだから、イベント等については近いところに偏ることなく、できるだけ満遍なくとりあげようと考えている。だから、これまで夏のイベントで足を運んでいない地域を走ってきた。去年は夏イベントのとき4箇所を自転車で回ったが、ちょっときついと思ったので、今年は1、2ヵ所にするつもり。開催日が異なる2ヵ所というのもいいだろう。自転車でなく、電車と歩きで行って、模擬店で生ビールを売っていたら一杯飲むのも楽しいし。あとは行徳新聞などでもイベント予定をチェックするようにしよう。

昼飯は南行徳メトロセンターの一心亭盛岡冷麺中辛を食べる。暑い季節はやはりこういうのが食べたい。

途中、野鳥の楽園を通る。緑はすっかり夏の濃さになっていて、木陰はちょっと薄暗い。でも、木の間からの日差しがきつい。

晴れると、空も水も青が濃い。

欠真間三角の鴨場正門の向かい側。夏の花が咲いていた。

帰ってきてから午後に見たDVDは、デアゴスティーニの「スタートレック・ベストエピソードコレクション」で「スタートレック・ヴォイジャー」のファーストエピソードとファイナルエピソード。

残りはあと1号となった。次は「スタートレック・ザ・ネクストジェネレーション」のファーストエピソードとファイナルエピソード。

晩飯は大谷亭鶏の竜田揚基本食

この店はしっかりと定着したようで、日曜の午後7時前後で、ほとんどのテーブルが埋まっていた(2人掛け×6卓でそんなに大勢、入れるわけではないのだが)。自分が入ったときに1卓だけ空いていたのは運がよかったようだ。 


2011年7月9日(土)の日記

2011年07月09日 | 日記

居酒屋オンドリ閉店に関して思うところをトップページレポートに書いて、夕方にはUPした。昨日の日記にも書いたが、トップページレポートとしては異例の長文になった。

南行徳に引っ越してきて、自分のお気に入りの店第一号となり、22年あまり通った店となると、それだけの時間を積み重ねているのだから、単に飲み屋が一軒閉店しただけというわけにはいかない。何もしていないと、ひどく喪失感に襲われる。こんな感じがこれまであったかと考えると、一度だけあった。2008年の秋、ジャズライブのHot Houseで演奏を続けていたアルトサックスプレイヤーの郷間和緒さんが亡くなったときだった。あのときも、ひどい喪失感を感じた。

オンドリのことを、行徳雑学館で紹介したり、行って食べたり飲んだりしたことをブログの日記に書くのも、別にマスターから頼まれたわけではないし、何か見返りを求めたわけでもない。自分のお気に入りの店となり、付合いが長くなると、自然と愛着も湧いてくるから、バブル崩壊以来の不景気の中、応援したい気持ちになって勝手にそういうことをやるようになった。逆に言えば、そういうことをやりたい気持ちにさせるいい店だったのだ。だからこそ、喪失感に襲われるのだろう。

何事にも終わるときは来るし、ここ2年ぐらい、リーマンショック以来の不景気でオンドリもかなり苦しいとマスターも言っていたから、閉店もありえると頭では理解できる。でも、数年で閉めてしまった店も多い中、バブル崩壊依頼の20年にわたる不景気を乗り切ってきたのだから、まだまだ続くと思っていたし、期待もしていた。

何もしないでいると、喪失感でどんどん気持ちが沈んでくるから、いつもの土曜日と同じように、掃除も洗濯もクリーニング出しもやる。会社へ履いて行く靴に痛みが出てきたのがあるので、リペアの店にこの週末に持っていこうと考えていたが、それもやる。そして、トップページのレポートを書く。過去から現在までを振り返り、文章にまとめて行く作業をやるのは、精神のバランスを保つためにはいいことだ。

靴をリペアの店に持って行くついでに昼飯。南行徳メトロセンターのやよい軒冷しゃぶ定食

関東甲信は今日、梅雨明けした模様ということだ。午後は冷房を入れないときつい。外が暑いと、推奨されている28度設定でなんとかいける。

夜も家でじっとはせず出かける。ジャズライブのHot Hosueへ。 

今日はアルトサックスが中村誠一さん、ドラムが横山和明君、そしてピアノが松井節子さん。

なんかリクエストはないかとママさんに聞かれ、(たいてい、毎回聞かれるので)待ってましたと"St.Thomas"をリクエスト。夏になると季節感にぴったりの曲として聴きたくなるが、梅雨明けして「夏!」の今日にはもっともふさわしい。

Hot Houseのエアコンも設定温度を上げているので(というか、効き目が今ひとつのエアコンらしいのだが)、団扇が用意されていた。でも、清酒月桂冠の大正時代風広告の絵の団扇は一体、どこのものだろうと思い、

裏返して見ると、酒の河内屋のだった。

どうやって入手したのかは聞かなかったが、お客さんのだれかのツテではないかと思えた。

居酒屋オンドリで6月に特レバを調理しているところを動画撮影させてもらい、YouTubeにUPした。また、YouTube動画を埋め込んだ特レバいについてのページも作成した。こういうのは文言を変えて残すことにした。

食の部屋の飲んで食べる店だが、オンドリは一番下の閉店した店リストに移す。そこから、特レバについてのページをリンクするようにした。


2011年7月8日(金)の日記

2011年07月08日 | 日記

晩飯はなか卯牛カレーうどん

帰ってきてから、トップページレポートに閉店した居酒屋オンドリについて書き始める。店との付合いが引っ越してきたときから22年あまり。店が開店したのはその6年前で自分が社会人になるかならないかのころ。これぐらいの時間となると、自分の人生との重なりも長くなり、またそのときどきの世相なども頭にどんどん浮かんでくる。そうしたことも交えた文章になるから、トップページレポートとしては異例の長文になりそうだ。

明日にはUPできればよいが。


2011年7月7日(木)の日記

2011年07月07日 | 日記

今日は朝からいきなり大ショックなことが起こった。

駅へ向かう途中で居酒屋オンドリの前を通ると、なんと閉店の貼り紙。

昨日の朝、前を通ったときは「本日休業」の貼り紙が出ていたが、たまたま休みになったものだと思っていた。帰りは別の道を通り、オンドリは遠目に見えるが休みだから当然、明かりが点いていないと思ったら、実は閉店だったとは。

どうにも悪い夢を見たような気がしてしょうがないので、帰りに前を通ったらやはり、閉店で間違いない。

確かにリーマンショック以降の不景気、東日本大震災での外食控えなどで店の経営は苦しそうだったが、マスターは金曜・土曜のアルバイトがこの前やめてから代わりを探していたし、おすすめメニューにも新しく工夫したのが出てくるから、まだまだやる気だと思っていた。それが、急に閉店したのだから、想像するに、やはりお金の面で行き詰ったのではないかと思える。

先週の金曜日に来たが、午後6時半頃に入ったときには先客が2組いたし、その人たちは自分より先に帰ったが、あとからまた2組入ってきた。決して閑古鳥が鳴いていたわけではない。でも、これぐらいの客数は以前なら(2,3年ぐらいまで前なら)平日程度。金曜、土曜はテーブル、座敷もけっこう人が入っていて、店にとっては稼ぎ時だったはずだ。やはりここ2年ぐらいの不景気と大震災による追い討ちで、立ち行かなくなったのだろう。

オンドリは自分が南行徳に引っ越してきて以来、22年あまり通ってきた店。それで、昔のことを思い出しつつ、いろいろと考えた。これはこの日記だけでなく、今度の週末に行徳雑学館のトップページレポートにも書いておこう。行徳雑学館の誕生とオンドリは実は深いつながりがあったのだから。

でも、これだけ長い付き合いがあって、生活の中に大きな位置を占めていた店が消えるのだから、家に帰ってきてから、しだいに気が滅入ってきた。

オンドリ以外にもいろんな店(飲み屋だけでなく)と付き合ってきたが、左前になってやがて閉めてしまう店では、最後のほうは掃除が行き届いていなくて汚れた感じになっていたり、物が乱雑に置かれていたり、故障した箇所がそのままだったりとか、あるいは料理の質が落ちたりということがあった。もちろん、最後までちゃんとしていた店も多い。オンドリは先週、金曜日に行ったときもそれまでと変わらず、きちんと掃除がされていたし、料理もしっかりしたものが出てきた。マスターは最後まできちんと仕事をしたのだ。

そして、閉店の挨拶の貼り紙もしっかりと書かれている。
「永い間のご利用ありがとうございました。」
なら、自分のほうも、ちゃんと返事をしておこう。
「永い間、おいしい酒とおいしい料理をありがとうございました。」


2011年7月6日(水)の日記

2011年07月06日 | 日記

ジョブローテーションでのいろんな引継ぎも今日でひと通り終わる。ホッとしたし、帰りは飲んで行こうと上野広小路へ。午後6時半だが、今の季節は明るい。

上野広小路は日本料理の行徳へ。

ビール小瓶とお通し。

今の季節のこの店にははも(鱧)が登場する。お品書きをみると"はも"があった。ところが注文すると、残りが1人前に満たないという。それで、最初の食べ物は平メの刺身にする。でも、最初にはもを注文したので、親方、平メと一緒に残った分のはもを付けてくれた。

ビール小瓶が終わって、白雪の樽酒。

次は何にしようかとカウンターの前の冷蔵ケースを見ると、目に付いたのがおこぜ。前に来たとき、きんきにするかおこぜにするか迷って、きんきにしたので、今回はおこぜにする。

煮物でなく刺身にする。

刺身にできないあらなどはから揚げで出てくる。

これだけでけっこう分量になったので、樽酒は3杯、飲んでしまった。これはよく回る。


2011年7月5日(火)の日記

2011年07月05日 | 日記

月末月初の忙しさで滞っていたタスクの引継ぎが、ようやく行なえるようになった。それが終わったら、次は自分が引き継いで新しい仕事に取りかかる番になる。

昨日、ダンベルをやったら、会社のカフェテリア食堂での昼飯では肉が食べたくなって、シチューハンバーグを選ぶ。すると、晩飯はあっさりしたものが食べたくなり、なか卯ざるうどんだけにした。

そして、帰ってきてからは、CDを1枚聴いて、それから保存版にした録画番組を1本見る。たまにはすぐにパソコンを立ち上げたりせずに、ゆっくりとするのもいい。


2011年7月4日(月)の日記

2011年07月04日 | 日記

朝から南風が強かった。電車が心配だったが、ダイヤ乱れはなかった。予報では昨日よりも気温が高くなるようだったが、風があるおかげで体感的には昨日より暑いとは思わなかった。

晩飯はラーメンのえじそんつけ麺醤油

昨夜は飲んではいないが、昨日の日記を見るとうっかり書き漏れしたものがあった。夜に見た、録画した映画のタイトル「太平洋ひとりぼっち」をどこにも書いていなかった。午前中は冷房を入れずにがんばったが昼頃にはきつくなってきたのは書いたが、出かけて帰ってきてから冷房を入れたり、電気予報を見たらやはり休日は使用率が低かったとか、そういうことを書いておくつもりで忘れていた。それを、今日、追記する。

そのあとはダンベル。今回は上半身メニュー。


2011年7月3日(日)の日記

2011年07月03日 | 日記

朝飯はホームベーカリーのホシナでパンを買ってくる。

それぞれ100円ので、3つで300円だから安い。

昨日の残りの洗濯をやるが、晴れそうなのでベランダ干しにする。暑いからジーンズも早く乾いた。

午前中は、昨日、IZAKAYAあびぃろぅどで撮影してYouTubeにUPしたマスターのドラムと歌の動画について、「君といつまでも」や加山雄三とどうつながるかなどについていろいろと書いたページを作る。エアコンは付けずに窓をあけてがんばったが、正午頃にはさすがにきつくなってきた。

昼飯と、それからトップページの季節ものレポートのネタを探しに出かける。行徳駅南側の商店街にあるビアイタリアーノで食べる。

パスタランチにする。まずサラダとスープが来る。

パスタで選んだのはツナとほうれん草のトマトソースパスタ

何年も前は、今の時期には行徳駅前交番に七夕飾りがあったが、今はやっていなくて、そのかわり駅の高架下にあるカスタードナカムラの前に大きな七夕飾りが置かれている。去年の7月初めにもトップページレポートで取り上げた。今年もまたこの七夕飾りのことになった。ただ違うところは、今年はやはり大震災の被災地応援や復興願いの短冊が目に付いたこと。

暑かったが、運動がてらそのままぶらぶらと歩いて妙典まで行き、電車で帰る。

あびぃどぅどの動画についてのページと、トップページレポートを夕方までに仕上げてUP。今日の外の気温はおそらく30度を超えていただろうと思う。帰ってからはさすがに冷房を入れた。設定温度は節電のために推奨されている28度にした。あとは、室内でもドアを閉めたりして冷房を効かせる範囲をできるだけ狭くする。実際、外が30度以上だと設定温度28度でも十分なぐらいだった。午後3時ごろにYahooジャパントップページの東京電力管内電気予報を見たら使用率80%。やはり休日は使用率が減少している。

晩飯は三龍亭へ。

チャーハン焼餃子にする。

 

夜はつい2日ぐらい前に録画しておいた映画「太平洋ひとりぼっち」を見る。他にも録画しておいて見ていないものがけっこうあるが、これは優先して見たい。1962年にヨットで日本人初の太平洋単独横断を成し遂げた堀江謙一の冒険を描いたもの。1963年(昭和38年)の作品。

これは、石原裕次郎が石原プロモーションを設立して、最初に作った作品。そしてまた、昨日、あびぃろぅどのマスターに返してきた「大特撮」によると、円谷英二が円谷プロダクション(当時の名前は円谷特技プロダクション)を設立して、初仕事がこの映画の特撮場面だという。だから、優先して見たかったわけだが。

画面に登場するスタッフを見ていると、

この部分。「特殊技術 川上景司 円谷特技プロ」

川上景司という人は円谷英二の一番弟子で、戦時中から昭和30年代中頃まで松竹に移っていた(引き抜かれたということらしい)が、円谷プロ設立に参加し、「ウルトラQ」の特撮監督を務めている。確かに見覚えがある名前だ。

実写映像の撮影が無理な、ヨットが嵐に翻弄される場面が円谷プロによる特撮映像。


特撮が売りの映画ではないから、特撮場面はごく短い時間だった。

この映画はたしか中学の1年か2年のときに見ている。その当時、堀江謙一は偉業を成し遂げた有名人だったから、小中学生にも名前は広く知られていた。もちろん、当時は円谷特撮が含まれていることは全然知らない。それから出演している俳優がだれかということも全然、意識しなかった。

堀江謙一役は石原裕次郎。自分が中学1~2年のころだと、刑事ドラマ「太陽にほえろ!」で毎週テレビに登場するようになって2~3年経った頃。自分はというと、「太陽にほえろ!」はまだ、あまり見てはいなかった。それに、刑事部屋のボス役の石原裕次郎はもう中年太り気味で、それが自分の同年代の人間が持つ石原裕次郎の第一印象だ。「太平洋ひとりぼっち」はその10年前だから、「太陽にほえろ!」を毎週見ていても、同一人物とはすぐには分からなかっただろう。

今回、この映画を見て気が付いたが、石原裕次郎が関西弁をしゃべっている。それは堀江謙一が関西の人間だから。太平洋横断にヨットが密かに出航するのも、大阪湾に面した兵庫県西宮の港。それで、石原裕次郎の関西弁はどうかというと、かなりがんばって練習したとは思えるが、やはり関西出身者からみると、しばしば変なイントネーションになってしまっていた。


2011年7月2日(土)の日記

2011年07月02日 | 日記

夕方になってから振り返ると、日が差して暑い時間もけっこうあったが、朝はどうなるか分からなかったので、洗濯は今日と明日で半分ずつやって脱衣場干しにする。

掃除とクリーニング出しもやって、ヤマダ電機・ダイエーへ買い物へ。途中、南行徳駅前のCoCo壱番屋で昼飯。チキンと夏野菜カレー1辛を食べる。

大学2年のちょうど今頃に買った関数電卓が、さすがに古くなって来て不調となってきた。去年の夏場にも、電源を入れてからしばらくはキーを押しても反応せず、使えるようになるまでちょっと時間がかかる状態になった。そのあと、秋になると不調が消えたので使い続けてきたが、また暑くなって湿気が高くなると同じような症状が現れてきた。それに加えて、「(」のキーを押すと足し算が行なわれたりとか、機能もだめになりつつあるようだ。四則計算はかろうじて、ちゃんと行なえているが、これもいつまで持つか...

それで、新しい電卓を買うことにした。これまで使ってきたのを買ったのは大学2年のときの今の時期だったから、1981年の7月上旬の頃。なので、ちょうど丸30年で引退となった。当時も、四則計算と平方根とメモリーの機能がある電卓は持っていたが、工学部の2年の科目での試験で電卓持込み可だが、関数電卓がないと答えを出せないような問題が出るということで必要になった。うまい具合にその時期、大学生協が電卓フェアをやっていたので、そこで購入した。

でも、関数機能を使ったのは大学在学中だけで、卒業したら特に使うこともなくなった。大学に入って親元を離れてから、ずっと金銭出納長を付けている。別に、古いものを保存してはいないし、家計簿のように1ヶ月や1年で集計するようなことはしていないが、単にその日、自分が何にどれぐらいお金を使ったか意識するためにやり初めて、うまく習慣になって今まで続いている。だから、使うのは四則計算ぐらい。新しい電卓も四則計算と数字のプラスマイナス逆転とかメモリーとかの基本機能だけがあればよい。

この写真の左が今日、買った新しいほう。右が30年間使ってきた関数電卓。

入っていた箱とか取扱説明書も机の引き出しにまだ取ってあった。ビニール製ケースに挟んであるメーカー(SHARP)のロゴ入りメモ用紙は30年間使わずにそのまま。最初、ちょっとだけ読んだ取扱説明書を30年ぶりに見たが、この電卓の商品愛称は何と「天才電卓ピタゴラス」だった。こんな名前だったということに改めて驚いた。大学卒業から27年間、四則計算だけに使ってきたのがもったいないと思える名前だ。

新しいほうはカシオので、今日、ヤマダ電機で880円。大きさはこれぐらいがちょうどいいと思えた。20歳のときに買った関数電卓の小さいキーは、50歳の現在では徐々にきつくなってきた。

 

5月中旬IZAKAYAあびぃろぅどへ行ったとき、マスターが「大特撮」という本を見せてくれたが、見せてくれるだけでなく貸してもくれた。でも毎日、帰ってから今日のブログ日記には何を書こうかとかで、なかなか読み始められなかったが、この2週間ぐらいで帰宅後の時間をやりくりして集中的に読む。途中で眠くなってしまった日もけっこうあったが。

一昨日までになんとか読み終え、今日はあびぃろぅどへ行ってマスターに返してくる。

本を返すだけでなく、せっかくの週末だから飲んで食べてくる。最初は生ビールで大ジョッキ。

去年の12月に一回、大生を注文したことがあったが、冬の寒い時期には大きすぎるサイズだった。でも、今は猛暑の季節になったから、大きいサイズのジョッキも満足。

食べるほうはまず、和風からあげ

次はかつおのたたき。ビールが終わったら次はグラスワインの白。

そして、あさりの酒むし。グラスワイン白はもう一杯。

締めはやみつきキャベツ。それと、グラスワインの赤を一杯。

週末のお客さん(聴衆)が多い日は、マスターも手の開いた時間にドラム演奏をやる。これは"SING,SING,SING"をやっているとき。激しい調子の曲だから、マスターも熱い表情になっている。


これだけでなく、今日は動画でマスターの演奏も撮影させてもらった。「君といつまでも」をドラムを演奏しつつ歌うのをやってもらった。

前に来たときに話はしたけれど、今回、マスターも映されていると、歌詞を間違えないかと緊張したと言っていた。

マスターはかつてはプロのドラマーで、昭和の時代の歌謡曲の歌手や、時には演歌歌手のバックで叩いていたと言っていた。それで「君といつまでも」とどう関わるのかだけど、そのあたりについてのコンテンツ(Hot Houseでの「ホリーランド」の演奏風景についてのものや、オンドリのマスターの特レバを作る場面と同様のもの)は、明日作るつもり。