行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2011年7月3日(日)の日記

2011年07月03日 | 日記

朝飯はホームベーカリーのホシナでパンを買ってくる。

それぞれ100円ので、3つで300円だから安い。

昨日の残りの洗濯をやるが、晴れそうなのでベランダ干しにする。暑いからジーンズも早く乾いた。

午前中は、昨日、IZAKAYAあびぃろぅどで撮影してYouTubeにUPしたマスターのドラムと歌の動画について、「君といつまでも」や加山雄三とどうつながるかなどについていろいろと書いたページを作る。エアコンは付けずに窓をあけてがんばったが、正午頃にはさすがにきつくなってきた。

昼飯と、それからトップページの季節ものレポートのネタを探しに出かける。行徳駅南側の商店街にあるビアイタリアーノで食べる。

パスタランチにする。まずサラダとスープが来る。

パスタで選んだのはツナとほうれん草のトマトソースパスタ

何年も前は、今の時期には行徳駅前交番に七夕飾りがあったが、今はやっていなくて、そのかわり駅の高架下にあるカスタードナカムラの前に大きな七夕飾りが置かれている。去年の7月初めにもトップページレポートで取り上げた。今年もまたこの七夕飾りのことになった。ただ違うところは、今年はやはり大震災の被災地応援や復興願いの短冊が目に付いたこと。

暑かったが、運動がてらそのままぶらぶらと歩いて妙典まで行き、電車で帰る。

あびぃどぅどの動画についてのページと、トップページレポートを夕方までに仕上げてUP。今日の外の気温はおそらく30度を超えていただろうと思う。帰ってからはさすがに冷房を入れた。設定温度は節電のために推奨されている28度にした。あとは、室内でもドアを閉めたりして冷房を効かせる範囲をできるだけ狭くする。実際、外が30度以上だと設定温度28度でも十分なぐらいだった。午後3時ごろにYahooジャパントップページの東京電力管内電気予報を見たら使用率80%。やはり休日は使用率が減少している。

晩飯は三龍亭へ。

チャーハン焼餃子にする。

 

夜はつい2日ぐらい前に録画しておいた映画「太平洋ひとりぼっち」を見る。他にも録画しておいて見ていないものがけっこうあるが、これは優先して見たい。1962年にヨットで日本人初の太平洋単独横断を成し遂げた堀江謙一の冒険を描いたもの。1963年(昭和38年)の作品。

これは、石原裕次郎が石原プロモーションを設立して、最初に作った作品。そしてまた、昨日、あびぃろぅどのマスターに返してきた「大特撮」によると、円谷英二が円谷プロダクション(当時の名前は円谷特技プロダクション)を設立して、初仕事がこの映画の特撮場面だという。だから、優先して見たかったわけだが。

画面に登場するスタッフを見ていると、

この部分。「特殊技術 川上景司 円谷特技プロ」

川上景司という人は円谷英二の一番弟子で、戦時中から昭和30年代中頃まで松竹に移っていた(引き抜かれたということらしい)が、円谷プロ設立に参加し、「ウルトラQ」の特撮監督を務めている。確かに見覚えがある名前だ。

実写映像の撮影が無理な、ヨットが嵐に翻弄される場面が円谷プロによる特撮映像。


特撮が売りの映画ではないから、特撮場面はごく短い時間だった。

この映画はたしか中学の1年か2年のときに見ている。その当時、堀江謙一は偉業を成し遂げた有名人だったから、小中学生にも名前は広く知られていた。もちろん、当時は円谷特撮が含まれていることは全然知らない。それから出演している俳優がだれかということも全然、意識しなかった。

堀江謙一役は石原裕次郎。自分が中学1~2年のころだと、刑事ドラマ「太陽にほえろ!」で毎週テレビに登場するようになって2~3年経った頃。自分はというと、「太陽にほえろ!」はまだ、あまり見てはいなかった。それに、刑事部屋のボス役の石原裕次郎はもう中年太り気味で、それが自分の同年代の人間が持つ石原裕次郎の第一印象だ。「太平洋ひとりぼっち」はその10年前だから、「太陽にほえろ!」を毎週見ていても、同一人物とはすぐには分からなかっただろう。

今回、この映画を見て気が付いたが、石原裕次郎が関西弁をしゃべっている。それは堀江謙一が関西の人間だから。太平洋横断にヨットが密かに出航するのも、大阪湾に面した兵庫県西宮の港。それで、石原裕次郎の関西弁はどうかというと、かなりがんばって練習したとは思えるが、やはり関西出身者からみると、しばしば変なイントネーションになってしまっていた。

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