行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2011年7月15日(金)の日記

2011年07月15日 | 日記

晩飯は南行徳を降りてから、マルエツ並びの大阪王将で。離れたところから見ると、店の前に人だかりが見えたので、混んでいるのだろうと思ったが、前に来たら店内は空いていた。店の前の人だかりは、入店待ちではなくテイクアウト待ちだった。

軒下にずらりと貼ってあるのは、今日が南行徳店の「餃子の日」で焼餃子が通常230円→160円というのを示すもの。今日、テイクアウトに人が多かったのは焼餃子が安かったからか、それともいつものことか。

この店は開店してすぐの2009年1月22日に入って以来、約2年半ご無沙汰していたが、店内が空いていたので入ってみる気になった。2年半来なかったのは、初めて来たときにあることに大失望したから。それは、

窮屈すぎるカウンター席

のため。やよい軒、なか卯、松屋、そのほかラーメン屋などのカウンター席に比べて、とにかく狭くて窮屈なのだ。この場所はずっと前は個人経営のパスタの店だったが、そこが閉店して、やがて関西本拠の定食チェーン 宮本むなし が入った。そのときに、今の形になったが、もともと狭いスペースなので、店の奥のカウンター席がずいぶんと窮屈なものになってしまった。宮本むなし時代、カウンター席に通されると、帰るときは窮屈さにうんざりした状態になっていた。

2008年秋に宮本むなしが閉店し、2009年1月に大阪王将が開店したが、店内を改装して窮屈すぎるカウンター席が解消されていることを期待した。だが、壁のカラーリングや装飾はおそらく大阪王将の標準的なものになったのだろうけど、テーブルやカウンターの配置については居抜きで、そのままだった。しかも、初めて入ったときは開店して間がない時期だったので混んでいて、窮屈すぎるカウンター席に通された。冬だからコートを脱いで置く場所もない状態で、うんざりして、客席のレイアウトがまったく改善されていないことに失望してしまった。なので、そのときはもう二度と来たくない思ったのだった。

この写真の奥のほうが、そのカウンター席。

久しぶりだから、ウリの焼餃子を食べる。それとチャーハン。初めて入ったときも、この組み合わせだった。

今日、入ったのは午後6時半過ぎだったが空いていた。それで思い出したが、宮本むなしのときも、開店してから何度か入ったが、窮屈すぎるカウンター席にうんざりして、しばらくご無沙汰になっていた。再び入ったのは、外から見たら空いていて、テーブル席に座れそうだと思ったときだった。そうして、2回か3回、また行ったらもう閉店してしまった。このことからの連想だが、大阪王将の南行徳店、夕飯時にこんなに空いていて、果たして大丈夫だろうか。

帰ってから、予定通り、昨日の湊新田・胡録神社の祭礼について、トップページレポートを作る。午後10時半までにはUP完了。

それをやっている最中、午後9時ちょうどのころに突然、地震。行徳を含め千葉県北西部、東京都あたりの震度は4程度だというのは、すぐにテレビを付けて知ったこと。震源は茨城南部だそうだ。確かに内陸部震源の直下型。最初のゆっくりとした揺れがなく、いきなりグラグラッと来たからびっくりした。ついに、関東直下型の大きいのが来たのかと思った。

せっかく明日から3連休で、でかける予定を考えていたが、今夜の地震のおかげで気勢をそがれた感じ。でも、一晩寝て、朝までにはなんとか回復させよう。