行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2009年1月11日(日)の日記

2009年01月11日 | 日記

今日は録画した映画や昔のドラマを見て過ごすことにする。この前、ケーブルテレビのアダプターチューナー(アナログ)をデジタルのセットトップボックスに変えた。それで、見ることの出来るチャンネルが増えた。そうしたら、昔の作品で、機会があればもう一度見たいと思っていたのがいろいろとやっている。

その途中で昼飯は南行徳駅前へ行って、ロッテリアハンバーガーセット

ロッテリアの無印ハンバーガは、前はいつ食べたか覚えがない。マクドナルドよりも後発のチェーンなので、差別化のためにいろいろとメニューを出していて、そういうのを食べることが多かったから無印ハンバーガーを食べる機会があまりなかったように思える。

 

昨日から今日にかけて録画したゴジラ映画を3本見る。

1984年の「ゴジラ」
1989年の「ゴジラVSビオランテ」
1995年の「ゴジラVSデストロイア」

どれも公開時に映画館で見ているが、もう一度、見てみたくなった。

公開時にはどうとも思わなかったが、10年20年経って見るとそれぞれの時代が画面にも現れていて面白い。いや懐かしくもある。

やはり一番変化しているのは女性のファッション。メインの出演者でもそういうのが現れるが、それよりも逃げる群衆として登場しているエキストラが目を引く。1989年は、ストレートロングの髪の女性がよくあんなにいたものだ。

男のファッションは女性ほど激しく変化しないけど、やはりそれぞれの時代の流行が出ている。1984年のに登場した宅麻伸は1970年代の名残を残した長髪。1989年の高嶋政伸はもみあげをみんな切り落とした髪形だった。

1995年だと登場人物も携帯電話をよく使う。今のよりも、まだちょっと大きめのやつ。パソコンも1989年には画面に登場していた。富士通がその頃、売っていたFM-TOWNSというのも出てきた(自分が買ったわけではない)。1995年のはアップル社のMacintoshが目立った。アップルの勢いがあったころだ。マイクロソフト社のWindows95が発売になったのがこの年。まだその頃はディスプレイは液晶ではなくCRTだった。

それから、忘れていたけど、1984年「ゴジラ」には森本毅郎が出ていた。ゴジラのニュースを伝えるアナウンサー役だった。今は、日曜の昼過ぎにリモコンでテレビのチャンネルを変えていると映っていたりする。確かその1984年にNHKのアナウンサーを辞めてフリーになり、話題の人物だったので登場することになったのだろう。NHKを辞めたときは、担当していたニュースの最後に「私事で恐縮ですが・・・」と辞めることを伝えていたそうだ。

この3本のなかで思い入れがあると言えば「ゴジラVSビオランテ」になるか。「ゴジラVSビオランテ」と言えば自分的には、

 鈴木京香

なのである。

鈴木京香は無名の新人の頃で、役名は名字も名前もない「スーパーXII女性オペレーター」。自衛隊で対ゴジラ用ハイテク兵器を基地から遠隔コントロールして戦うチームの一員。自分が目にしたのもこの映画が初めてだった。
「えっ!この女優、いったい誰?」
と思った。

その後、どんどん有名になっていったから、時間がたつほど鈴木京香が「ゴジラVSビオランテ」のヒロインだったような錯覚が生じてきた。ちなみにヒロイン役の女優は田中好子である。

怪獣ものとかヒーローものは世間一般からするとマイナーな世界だが、そうした作品でまだ世間に広く知られていない女優を見たりして、その人が有名になっていったりすると、自分が人より先んじて見つけたという気持ちになって、それが嬉しかったりする。「自分が見つけた」感を感じるわけだ。でも、世間一般から見てマイナーとはいえ、劇場公開されたり、テレビで放映されたりすれば、それなりの数の人間が見るわけだから、同じようなことを感じる人間もけっこう多くいるのだろうけど。

もちろん、ファンになるのはその女優さんが自分の気持ちを引くようなキャラクターだからだし、自分の好みや感性との相性もあるだろう。それに加えて、広く知られる前から自分が注目していたということに喜びを感じるのだが、自分はどうもそうした性質の人間のようだ。

このような傾向のある人は昔からいるようだ。吉永小百合ファンのおじさんたち、いや、もう今はおじいさんたちだろうけど、いわゆるサユリストの中にもそうした人がいると聞いたことがある。吉永小百合が本格ブレーク前に「まぼろし探偵」というヒーロードラマ(自分が生まれるちょっと前から生まれた頃にかけてやっていたということだ)に出ていた頃からファンだったと自慢する人がいるということなのだ。自分が、「ゴジラVSビオランテ」のときから鈴木京香に注目してファンだったと自慢げに思いたい気持ちになるのも、これと同じようなものだろう。

 

さて、ここまでは夕方に書いておいて、晩は飲みに行く。今日は串揚げの喜多朗

最初の飲み物はビール中生。串揚げは8本コース。コース最初のアスパラが出てきた。

ビールが終わって地酒。どちらも初めて見る銘柄。左は山吹極、右は琵琶のさゝ浪。この2銘柄を飲み比べセットで。

8本コースが終わって、アラカルトでカキ(左)と小さなキャベツ(右)。

地酒が終わって焼酎にする。あやかし福助をロックで。串揚げはイカ(左)と牛肉(右)。

そのあとはママカリみりん干し。焼酎はもう一杯飲む。次は

カウンターの横のほうに座っていたお客さんと、マスターやママさんは芸能人の誰に似ているかという話題になった。その人が言うには、ママさんは宝塚の男役っぽいということだ。確かにママさんのヘアスタイルからそのように思えるのは分かる。

そういう話の流れの中で、自分が前から思っていたことを言ってしまった。ママさんはスタートレック・ディープスペースナインキラ・ネリス少佐(画像があるページならこちらこちらがいいと思う)に似ていると。でも、分からないだろうなとも一緒に言っておいた。スタートレックシリーズは日本では、名前ぐらいは知られていても、テレビシリーズの各シリーズや、映画についてすべて精通している人はあまりいないだろうから。

上の写真のようなカメラを向けてにこっと笑った表情では、あまり似ていると思えない。でも、ヘアスタイルからすると似ていると思える。ちなみに、キラ・ネリスのヘアスタイルは7年の放映期間でちょっとずつ変化しているので、すべての時点で似ているわけではない。そして、これは写真では分からないことだが、しゃべり方の感じが似ているのだ(日本語吹き替え版のほうだが)。

なお、ママさんはベイジョー人ではなく地球人なので、鼻骨のギザギザはない...なんてことも分かる人にしか分からないだろうけど(笑)。

 

さて、明日が3連休の最後。やっぱり年末年始に録画した映画を見てしまおうか。


2009年1月10日(土)の日記

2009年01月10日 | 日記

昨日はちょっと飲みすぎの感じだったけど、8時半ごろには起きる。

外は北西の風が強い。この3連休のどこかでトップページレポートをUPしてしまおうと思っていたが、今日にする。

朝飯も遅めだったし、午後1時を回ってからカメラを持って出かけて、まずは昼飯。南行徳メトロセンターの一心亭へ。このラーメン屋に昼の時間に来たのは、どれぐらいぶりだろうか。

水曜日に新メニュー2種類のひとつ-赤焦がしラーメンを食べたが、もうひとつの黒焦がしラーメンにも興味が湧いていたので、それを食べる。こちらも焦がし油が表面に浮かんで真っ黒に見えるスープ。ぱっと見ただけでは、赤焦がしと黒焦がしは区別できない。

表面の油をすこしどけてみると、黒っぽい醤油スープが現れる。赤焦がしは味噌の茶色っぽいスープだった。もっとも写真に写すと、目で見たときほどはっきりと分かるわけでもないが。

壁に貼られたお品書きには、「後を引く味に仕上げた」と書いてあった。辛いとかこってりとか舌で感じるようなインパクトはない。だけど、食べ終わってもどこか残る感じ。水曜に赤焦がしを食べて、黒焦がしも食べたくなったのだから、やっぱり後を引くというのはあるようだ。

運動がてら歩いて野鳥の楽園へ。カメラをバッグから出して、絵になりそうな風景を写していく。

木の枝に鷺が止まっていたのでズームアップして写す。液晶画面で見てうまく取れたと思ったが、どうも手前の木の実にピントが合ってしまったようだ。

野鳥観察舎前では鴨の群れが土のところに上がっていた。

横のほうにいたおじさんが、「あったかいと水にいるんだけど、今日は寒いからみんな上に上がってる」と言っていた。そのおじさんは多分、しょっちゅう来ている人なのだろう。確かに今日は、水面に浮かんでいる鴨はあまり見なかった。ユリカモメの群れは水面に浮いていたが。ということは、鴨はユリカモメよりも寒がりなんだろう。

家に帰ってから、写してきた写真から選んでトップページレポートのUP。

晩飯は、駅前まで行く。日が落ちると寒い。なか卯海鮮かきあげ丼小うどん

12月になか卯でクーポンをいくつかもらった。その中に、お年玉クーポンとして1月1日から12日まで小うどん(はいから)無料の券があって、それが3枚手元にあった。せっかくもらったのだから、使わないともったいない。今週はどんぶりと一緒に小うどんをもう2回食べているが、今日で3回目。これで3枚の無料券を使い切った。

明日は自転車で出かけようとも思ったが、どうも昨日の飲みすぎが堪えた感じ。出かけるなら夜は準備しなくてはならないが、その気も起こらず、録画した映画を見る。

明日何をするかは、明日起きてから考えよう。


2009年1月9日(金)の日記

2009年01月09日 | 日記

行徳あたりから都内の勤め先にかけては雨は降ったが雪は降らなかった。でも帰りは強めの雨。年明け最初に行く飲み屋ということもあるし、雨だから一番近いところがいいということもあるので、一番付き合いの長い居酒屋オンドリに行く。

毎年、1月から2月にかけての寒い時期には鍋にする。今日は寒くなったのでそのつもりだった。だから酒も最初から日本酒の燗で二合徳利。この店で燗にする日本酒は菊正宗

鍋は寄せ鍋の松。もうひとつには竹がある。松はたらと肉団子と鳥肉。竹は水餃子と肉団子と鳥肉。松は竹よりちょっと高め。たらと水餃子で210円違う。今年最初ということもあるので、ご祝儀気分で松にする。

鍋を食べ終わったら次はたこの刺身。酒の燗はもう1本いく。

燗酒が終わって地酒を一合だけ飲む。田酒の純米吟醸。食べるほうはじゃがいものガレット

地酒のあとはチューハイ。そして、年明け最初のご祝儀気分で、普段あまり食べない自家製ババロアを食べる。

さて、あすから3連休。3日とも今日の予報によれば天気はよいようだ。でも、今夜飲んだから、とりあえず明日、遠出をすることはない。


2009年1月8日(木)の日記

2009年01月08日 | 日記

正月休み明け最初の週の仕事もあと2日。そうすれば3連休。成人の日が昔の1月15日から、1月の第2月曜になったので、休み明けのしんどい仕事の後、ちょっと一服できる連休があるようになったのはありがたいことだ。

晩飯はなか卯親子丼小うどんつけもの

おととい、2週さぼっていたダンベルをやった。上半身メニューだったので、昨日の午後から上半身の筋肉が痛い。だけど、今日はがんばって下半身メニューをやる。

明日は、天気予報によると朝のうち雪が降るかもしれないとのこと。1年に1回、使うか使わない程度の足裏に滑り止めつきのビジネスシューズを準備しておく。気温も低そうで、雪にならなくても冷たい雨のようだから、ウールのコートにマフラー、手袋の装備にしたほうがいいようだ。


2009年1月7日(水)の日記

2009年01月07日 | 日記

今日のニュースで目に止まったのが、

「昭和天皇崩御から20年」

だった。昭和の最後の日-昭和64年1月7日からちょうど20年。

その日は、いよいよそのときが来たというので、会社でも新元号切り替えのシステム対応で特別体制となった。

自分の勤務先は親会社の情報システム部門が分離独立した会社。コンピューターシステムは昭和30年代から作り始めたということだ。その頃、おそらく多くの企業や団体で、業務での日付は和暦を使っていただろうから、コンピューター化すれば和暦の日付データにすることが多かっただろう。昭和30年代~40年代だとまだ元号法制化もされていない時代である。そんなに深く考えず、ただ素直に業務をコンピューターに入れればそうなってしまうのだ。

ところが、これが元号が変わるときに大問題となる。日付の年の数字が何十といくつだったのが急に01に変わってしまうのだ。つまりは日付の大小関係が正しくなくなるので、たとえば期限の日付の判断が正しく出来なくなるなどの問題が出てくる。これは、西暦2000年問題(Y2Kとも呼ばれた)のと同じ種類の問題。Y2Kはコンピューターの性能も全然低く、またメモリーも外部記憶も高くて多く載せられない時代に、ちょっとでもデータ量を節約しようと、日付の年を西暦4桁の下2桁だけにした日付データで作られた、古くからのシステムが世界中に多くあったことから起こった問題。1999年から2000年になったとき、年が99から00になるので、これも大小関係が正しくなくなる。

Y2Kはマスメディアでも大きく取り上げられ、2000年になったら世の中のコンピューターシステムが動作不良を起こして大混乱になると喧伝された。実際には、そんなことにはならなかったが。

一方、日本の和暦日付で作られた情報システムの問題は、皇室に関係するというデリケートな部分があるため、マスメディアの表面に現れることはなかった。だけど、昭和の60年を過ぎて天皇の健康問題が取りざたされるようになると、自分の勤務先でも「Xデー対応」のプロジェクトが発足して、対応方法の検討に入っていた。おそらく日本の大きな企業・団体では同じように対応策を考えて準備していたのではないかと思う。そうした問題の存在がおおっぴらにされなかったから、日本全体で和暦システムの危機がどの程度の規模だったのかもちょっと分からない。

いずれにしても、主立ったところはきちんと準備していただろうから、その日が来て、そして翌日に新元号「平成」の01年になっても、情報システムが動作不良を起こして日本の社会が混乱することはなかった。

その後、Y2Kへの対応もあったし、今では情報システムでの日付データで年は西暦4桁が普通だろうけど、日本に関して言えば、いずれまた新元号となる日に何もしなくていいというわけではない。システム内部で年が西暦4桁でも、画面に出すとか、印刷する文書に載せる日付は和暦となるものが多いから、西暦→和暦の変換機能をかましている。この変換機能を新元号にもれなく対応させておかなければならないのだ。法律・制度で和暦表示が決められている文書などは、新元号になったときから年が確実に変わらないと困るから、対応漏れがないようにしなくてはならない。これは今後もずっと存在する問題だ。

 

昭和64年1月7日は確か土曜日だった。勤務先もまだ隔週で週休2日だった頃だ。その日は出勤の日。世の中でもまだ完全週休2日は定着していなかった。電車も平日と休日(日・祝)に加え、土曜ダイヤがあった。会社についてしばらくすると、天皇崩御のアナウンスが流れた。そして、新元号対応のシステム切り替え準備が始まった。日曜日でもシステムを稼動しなければならないところは大変だっただろうけど、自分の勤務先も含め、日曜にはシステムを止めるところは1日の余裕があった。昭和天皇には感謝しなくてはならない。

そのとき自分は何をしていたかというと、どうも入社以来、あまり主流のラインにいたことがない。どちらかというとスタッフ側の仕事が多くて、その頃もそうだった。1月7日の土曜日は夕方までいたけど、そのまま帰って翌日曜はふつうに休み。若いときは、そうした肝心なときに忙しいところを経験すべきなのだろうけど、どうもそういうものが不足している。

 

今日の日記は思い出話が長くなった。

さて晩飯だけど南行徳メトロセンターの一心亭。行くと、赤焦がしラーメン黒焦がしラーメンと新メニューが登場している。今日はその赤焦がしのほうを食べてみる。出てきたら、スープの表面は真っ黒。一瞬、注文を間違えられたのかと思った。

麺や具を食べようとすると、ふつうの味噌スープが現れた。

赤焦がしは北海道味噌と信州味噌の合わせ+焦がし油ということ。スープの表面を覆っていたのはその焦がし油だろう。ちなみに黒焦がしは醤油スープと焦がし油ということ。そちらもどんなものか食べてみたい。

今日食べた赤焦がしラーメンだけど、スープの見た目ほど味が強烈なわけではない。だけど、ふつうの味噌ラーメンよりもコクがある感じだった。


2009年1月6日(火)の日記

2009年01月06日 | 日記

正月明けは祭りの後のような状態だから、今日から通常の仕事だというのに、どうもだるい気分。毎年のことではあるけれど。

腹の正月疲れはまだ若干残っている感じだが、暖かいものを食べたくなって、晩飯はやよい軒桜島どりの水炊き定食

そして年末年始で2週間さぼったダンベルエクササイズを今日から再開。今日は上半身メニュー。重い鉄のかたまりを頭の上や顔の上に持ち上げるのだから、自然と気が引き締まる。だるい気分に活を入れるにはこういうことをやらないと。


2009年1月5日(月)の日記

2009年01月05日 | 日記

年初予定の大規模なシステム実施も大きなトラブルなく進んでいるようで、直接関わっている部署は出勤をシフトして常時待機しているが、自分のほうは側面支援のほう。なので、毎年の初出の日と同じく、昼で帰れる。

正月の飲み食いが多かったので、まだ腹がつかえているような感じ。昼飯は軽いものにする。南行徳を降りてからメトロセンターのサブウェイへ行き、ハーブドックサンドコーヒー

そして晩飯はまた駅前まで来て、なか卯並牛丼小うどん

午後と夜はレコーダーに録画しておいてまだ見ていなかった映画を見る。まずは黒澤明監督の「七人の侍」。実は初めて見る。3時間半あまりかかる映画とは知らなかった。去年の夏から秋にかけて数本を録画した古い邦画は、これでやっと見終わる。

晩飯のあとは、また録画した映画。年末から年初にかけてケーブルTVのチャンネルでゴジラ映画をまとめてやっていたが、その中から数本録画しておいた。今日見たのは1975年の「メカゴジラの逆襲」。これは未見だった。

1970年代に入ってからのゴジラは怪獣バトル場面の割合が多いが、この作品は人間側のドラマが中心。ゴジラは40数分経ってようやく登場する。そこではちょっとだけの登場。2度目に登場する場面は、怪獣を見に行った子供がピンチになって、「ゴジラ助けて」と叫ぶと、いきなり登場。やっぱり、1960年代後半から1970年代のゴジラは正義の味方怪獣をやっていた。顔つきもパッチリ瞳の可愛いゴジラだった。このあと8年ぐらいブランクがあって、1980年代に再度、登場したゴジラは人類の敵怪獣らしい怖い顔になっていた。

さて、家でのんびりできるのも今日で終わり。明日からはフルの仕事日。


2009年1月4日(日)の日記

2009年01月04日 | 日記

新大阪9時過ぎの新幹線で戻ってくる。

ホームで待っていると、ドア位置の上にもLEDの案内ディスプレイがあるが、そこに「N700系」と表示されている。JR東海は新型車両の売込みにも力を入れているようだ。そのN700系が入ってきた。この新型に乗るのは今回が初めて。

車内は別に大きくは変わっていない。車両の端のLEDディスプレイはこれまでよりも大きくなっているのが目に付く。それと、窓側の席は窓下にすべて電源コンセントが付いたようだ。ノートPCを使うビジネスマンには便利になっている。

自分が今回座った席は3列側の真ん中。とはいえ、席が取れたのは、もう新型だから乗るという人も減ってきたのかも知れない。それから、この新型は全車両禁煙で、何両かに1箇所喫煙ルームがあるとのこと。だから、新大阪仕立ての列車ということもあるけど、禁煙車を希望しても席に余裕があったのだろう。

正午前に東京に着く。東京駅構内の飲食街でひとつと家というそば屋に入る。

昨夜もけっこう飲み食いしたから、昼は軽めでいい。うどんとそばのあわせを食べる。

これを頼んだのは店の外にも出ていたから。だけど、来てからしくじったと思う。うどんは関東のそば屋でよくあるコシのないフニャーとしたものではなく、しっかりした麺だったけど、そば用のつけ汁はうどんにはあわない。もりそばかざるそばにしておけばよかった。

帰ったら、まず洗濯をする。前の土日にやってから3日分ぐらいはたまっている。今日やっておかないと、次の土日に量が多くなって干しにくくなる。

午後3時ごろに地元の神社へ初詣に行く。うちのあたりの氏神さまは香取一丁目の香取神社。ほとんど人はいなかった。

それから、近いし馴染みがあるので相之川の日枝神社も行く。こちらは、家族連れ含め何組か参拝の人がいた。

日枝神社は三が日は社務所も開いているし、テントを設営しておみくじやお守り、破魔矢などを売っているが、さすがに4日にはもうやっていなかった。

スーパーで買い物をして帰る。晩飯はコンビニ弁当。

夜は今年のNHK大河ドラマ「天地人」の第一話を見る。時代的には一昨年の「風林火山」の少し後からとなる。だから、同じ人物が登場すると、「風林火山」では誰がやっていたとか思いつつ見る。去年の「篤姫」は予想より面白く、最終回まで見たけど、今年はどうなるか。

さて、明日から仕事再開。


2009年1月3日(土)の日記

2009年01月03日 | 日記

今日も大阪の天気は晴れたり曇ったり。時雨れる心配は昨日一昨日よりも全然少ないぐらい。晴れの割合の方が多かった。

今年は少し趣向を変えて、藤井寺市にある道明寺天満宮にお参りに行く。

大阪市内へ出て、阿部野橋駅から近鉄南大阪線に乗り道明寺駅で降りる。駅前から伸びる商店街を通っていく。

これが道明寺天満宮の社殿。

自分が育った家も、今、親が住んでいるところも堺市で南海高野線の沿線。道明寺天満宮がある藤井寺市は近鉄南大阪線の沿線になる。電車で道明寺天満宮に行こうと思うと大阪市内を回るか、大阪市内から30キロ圏の河内長野へ回り、近鉄の支線に乗らなければならない。市川市で言えば、東西線沿線の行徳地区やあるいは総武線・京成線の沿線に住んでいる人が、常磐線沿線に初詣に行くようなもの。

でも、覚えている限り、小学校の高学年か中学のころから高校生のころにかけて、親が道明寺天満宮に参ろうといい始めて行ったことがけっこうあった。天満宮は菅原道真を祀った神社。菅原道真は学問の神様。親としては、特に継がせる家業があるわけではないし、そうなると、とにかく学業に秀でるようにということで初詣のお参り先としたのだろう。

道明寺天満宮に来たのは、おそらく20数年ぶり。30年近いかもしれない。周辺には大きなマンションも建っているが、駅前から天満宮にかけては古い街だし、雰囲気はそんなに変わっていないと思えた。

往きの駅前からの商店街は山門前に横から出る道。山門の正面へ来る参道がこれ。

境内か参道の屋台で何か軽く食べようかと思ったが、今日は食欲がない。昨日の奈良へのバスツアーでは、けっこう上等の食事が出た。でも、ボリュームはなかった。食べ盛りの甥も足りなかったようで、帰ってからみんなで近場のイタリアンへ行った。だけど、そこがかなりのボリュームでまだ腹につかえている感じだった。

お参りを終えて、しばらくそのあたりをぶらぶらと歩いて、ようやく軽く何か食べたくなった。道明寺駅前商店街にあるまる屋という居酒屋が昼間だけど開いていて、うどんやそばもあるということ。参拝客が多い神社がある門前町だから、初詣のときは稼ぎ時で、食事だけでもOKなのだろう。飲んでいるおじさんもいたけれど。

ここに入って、きつねうどんを食べる。

この店は居酒屋だけど、子供のころから街のうどん屋や食堂で食べた懐かしいうどんの味だった。

軽い昼飯のあと、線路を渡って道明寺駅の反対側へ。すぐそばに大和川の支流の石川が流れている。河川敷に降りてつり橋越しに南を見ると、葛城山と金剛山が見えた。山の方は雲が多いようだった。

このつり橋を渡って対岸の丘へ上ったところに、かつては玉手山遊園地があった。子供のころ家族連れで来たこともあるし、小学校の遠足で来たこともある。もう、はっきりとは覚えていないけど、家族連れで電車で来たときは、このつり橋を渡っていったのだろう。玉手山遊園地は1998年まで存在したそうだ。

帰りは河内長野まで行って、南海高野線に乗り換えて帰る。

さて、のんびりできた正月休みも明日で終わり。


2009年1月2日(金)の日記

2009年01月02日 | 日記

親が申し込んでおいた奈良への日帰りバスツアーに行く。

市街地からだいぶん離れたお寺一ヶ所と、あとは東大寺大仏殿と春日大社という定番のスポット。個人個人で行くと、離れたスポットは行きにくいし、それに正月の初詣シーズンは食べ物屋を見つけるのが厄介だから、食事付きでバスで連れてってくれるこうしたツアーは結構ありがたい。

奈良といえば、やはり東大寺の大仏さま。

鹿の向こうに見える山が若草山。この季節には入山不可となっている。1月下旬には山焼きがあるそうだ。

鹿は若草山のふもとで大人しくしているのもいたけど、それは例外。奈良公園と周辺にはいたるところにいて、鹿せんべいをくれるのを待っていた。

例年なら明日3日には帰らなければならないが、今年は4日が日曜なので、もうちょっとのんびりとできる。