行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2009年1月1日(木)の日記

2009年01月01日 | 日記

大阪は、晴れていると思ったら黒い雲の帯がやってきて時雨れたり、また晴れたりといった空模様の不安定な元日。

親が今、住んでいるところは、前に住んでいたところより堺市の中心部に近い。多少は歩いて、その中心部近くにある方違神社というところに初詣に行く。朝の10時前だったから写真のようにそれほど混雑していないが、昼ごろになると参道もあふれ、外の道路までお参り待ちの行列ができる。

この初詣も、往きは少し時雨れて、帰りは晴れ間が出るという天気だった。天気が不安定そうだというのは昨日の予報にも出ていたので、昼前から妹と甥と一緒に映画を見に行く。南海電鉄難波駅の正面に、何年か前にデパートの丸井とTOHOシネマズが入ったビルができている。その難波のTOHOシネマズのチケットを昨夜のうちにネット予約しておいた。それに今日は毎月1日の映画サービスディで入場料が1,000円。

昼前でそこそこの人出。午後3時前に見終わって出てきたときはもっと人出が多くなっていた。この写真は映画を見る前のロビー。

自分が見たかったのと妹と甥が見たい映画は違っていたが、だいたい同じぐらいの時間に上映するのを予約しておき、別々に見る。自分が見たのは「地球が静止する日」。

難波のTOHOシネマズのシアターで、一番大きい500座席規模のところだった。

この規模のシアターで見るのは久しぶり。妙典のワーナーマイカルの一番大きいシアターもそれぐらいの規模。どんな映画だったか忘れたが、一度だけそこで見たことはある。

東宝の映画館で大きいところというと有楽町マリオンの上の方にある映画館。オープンが1984年(昭和59年)で自分が社会人になったのと同じ年。当時は最新の映画館で、十数年の間は都内へ映画を見に行くとなるとそこへ行くことが多かった。それもシネコンが増えて、妙典にワーナーマイカルができてからは全然行かなくなった。ここ2、3年、映画をよく見るようになったが、単館系の作品をミニシアターで見ることが多いから、やはり都内の大きな劇場へはなかなかいかない。今日、東宝のシネコンで大きなシアターで見たら、久しぶりにマリオンにある映画館へも行ってみたくなった。といっても、見たくなるような作品が掛かっていないとなかなかその気にもならないが。

さて、地球が静止する日だけど、スペクタクル映像を楽しむ映画としては、迫力も満足できるレベル。ただし、一つ目の銀色巨人はいかにもCGIという感じでイマイチ。話もそれほど面白かったわけではない。

なぜこの映画を見たかというと、大阪地区で今やっている映画で、昼間の上映時間だと、他の食指をそそるものがなかったからという、つまりは消去法で選んだから。それでも、テレビも似たような正月特番ばかりだし、家の中で退屈しているよりはいい。

話の内容は、人類の存在が地球を痛めつけるので、宇宙人が人類を排除しに来たが、最後は人類の可能性を信じて排除をやめて去っていくというもの。でもそうした、人類が地球を痛めつけて復讐を受けるという、これと似たような話は何度も見てきたように思う。

自分が生まれる前の作品だからテレビ放映やビデオで見たことしかないが、昭和29年(1954年)の「ゴジラ」は原水爆の化身だった。昭和40年代に公害問題が激しくなったころは「ゴジラ対ヘドラ」なんてのもあった。人類のもたらした公害から生まれた怪獣ヘドラを、元は原水爆から生まれたゴジラが戦ってやっつけてくれるという、考えてみると凄い話の映画だ。

昭和49年(1974年)には、1999年に人類が滅亡するというノストラダムスの大予言がブームになって、そのままのタイトルの「ノストラダムスの大予言」という映画も作られた。そのころは自分は中学生だったけど、学年誌(「中一時代」とか「中1コース」とかの、もうどちらも売れなくなって廃刊になったけど)にノストラダムスの大予言特集が載っていると、かなり本気になって心配したりした。なにせ見出しに「君は40歳まで生きられない」なんて書いてあったりしたのだから。

ウルトラマンのシリーズでも1990年代に円谷プロがオーストラリアで製作した「ウルトラマングレート」で、最後の前後編となった2話がそんな話。人類を排除するために強力な地球の怪獣と宇宙の怪獣が現れる。ウルトラマンは一度敗退するが、人類と力をあわせ、最後の力を振り絞って怪獣を倒し、地球を去っていく。そして、ウルトラマンと合体して変身していた主人公は、分離されてウルトラマンを見送りながら「彼は人類にもう一度チャンスをくれたんだ。」というようなことを言うのである。

というように、これまでいろいろなものを見てきたので物語のテーマとなっている部分には、あまり感じ入ることはなかった。小学生や中学生が見ればまた違うかも知れないが。でも、それぐらいの多感な年齢のころにこうした作品に触れるのもいいだろう。

 

晩飯は(朝飯もだけど)おせち料理(母親も年なので作らずに買っている)で飲み食い。これも毎年の正月と同じ。