雨。風強し。
雨はもう止んでいますが、風はまだまだ強く、「暴風警戒」ですね。これでは。
それでも、向かい風を受けながら、自転車で、えっちらおっちらとやって来ました。南から低気圧の中心に巻き揉まれるように風が吹き込み、それと同時に雨雲が沸き立って、それで、雨。でも、暖かい雨です。「寒風吹きすさぶ中」ではないので、大丈夫。
雨が止めば、気温がどんどん上がり、最高気温は28度にもなるとかならないとか。もうこうなると夏です。桜が散るとすぐに夏になる…感覚的にはちょっと変…。
もちろん、今週も中盤を過ぎると平年並みになるそうですが。
で、昨日、今日の風のせいでしょう、路肩に桜の蕊が堆く摘まれていました。風が渦を描くようにしてまとめたのでしょう、自然のなせるワザ。もう蕊桜も終わりです。
ふと見上げると、新緑の緑が雨に洗われて美しい。手紙も、これからは「新緑の候」と書かなければ…。
さて、学校です。
遅れていた新入生が、また一人やって来ました。バングラデシュからの学生です。何回やっても申請が通らず、待っている間に大学院を出てしまったという人です。一体何が問題だったのでしょう。
もちろん、彼とは違いますが、スリランカの学生の場合、名前が違っていて不許可になったりすることもありました。それ自体は彼のミスなのですが、あまりそう言うことに拘らないようなのです。名前が七つも八つもあるし、しかも発音が英語とは微妙に異なっているので、他の文字を入れたり、入れなかったり…。例えば、あるときは「Y」を加えたり、またあるときには加えなかったり。おおらかなのでしょう、「そんなことはどうでもいい、私は私なんだから…」で、向こうでは通ってきたのでしょう。
日本へ来ても、そんなことがあったので、「いったい、どっちが本当?」と聞きますと、「どっちでもいい」「…どっちでもいいはだめで云々」と言って、一応、パスポートの通りに書くようにさせているのですが、こうなると、その「(書かれた)紙」を見ないと、書けないということになってしまいます(忘れるというのです、つけたか、つけなかったか)。
彼からしてみると、本当に日本は七面倒くさい…だったのでしょうね。
バングラデシュでも、もう随分前にこんなことを言った学生がいました。「あるとき村に警官が来て、戸籍を作ると言った。(そのときの)先生が、若い方がいいだろうと言って、生まれた年を数年若くした…」で、彼が言うには、「本当は数年年上なのです」。
そういえば、日本でも、私の母の頃は届け出を遅れて出したので、生まれた日が違うといこともあったそうな。だから、「あのおばさんは本当は何月何日生まれなんだよ。うちでやる誕生日のお祝いはその日にしていた」なんてこともあったそうですから。
ただ困るのは、これは、もうずっと前の中国人の学生から聞いたことですが、「私は弟よりも年下なのです」。何でも市役所の人が間違って書いたらしい。けれども、あの国では「官」が強いし、プライドが強くて、自分の誤りを認める習慣がないので、そのままになっている…。こんなのは困ります。
もちろん、今ではもう、そんなことはないでしょうけれども、どちらの国でも。
日々是好日
雨はもう止んでいますが、風はまだまだ強く、「暴風警戒」ですね。これでは。
それでも、向かい風を受けながら、自転車で、えっちらおっちらとやって来ました。南から低気圧の中心に巻き揉まれるように風が吹き込み、それと同時に雨雲が沸き立って、それで、雨。でも、暖かい雨です。「寒風吹きすさぶ中」ではないので、大丈夫。
雨が止めば、気温がどんどん上がり、最高気温は28度にもなるとかならないとか。もうこうなると夏です。桜が散るとすぐに夏になる…感覚的にはちょっと変…。
もちろん、今週も中盤を過ぎると平年並みになるそうですが。
で、昨日、今日の風のせいでしょう、路肩に桜の蕊が堆く摘まれていました。風が渦を描くようにしてまとめたのでしょう、自然のなせるワザ。もう蕊桜も終わりです。
ふと見上げると、新緑の緑が雨に洗われて美しい。手紙も、これからは「新緑の候」と書かなければ…。
さて、学校です。
遅れていた新入生が、また一人やって来ました。バングラデシュからの学生です。何回やっても申請が通らず、待っている間に大学院を出てしまったという人です。一体何が問題だったのでしょう。
もちろん、彼とは違いますが、スリランカの学生の場合、名前が違っていて不許可になったりすることもありました。それ自体は彼のミスなのですが、あまりそう言うことに拘らないようなのです。名前が七つも八つもあるし、しかも発音が英語とは微妙に異なっているので、他の文字を入れたり、入れなかったり…。例えば、あるときは「Y」を加えたり、またあるときには加えなかったり。おおらかなのでしょう、「そんなことはどうでもいい、私は私なんだから…」で、向こうでは通ってきたのでしょう。
日本へ来ても、そんなことがあったので、「いったい、どっちが本当?」と聞きますと、「どっちでもいい」「…どっちでもいいはだめで云々」と言って、一応、パスポートの通りに書くようにさせているのですが、こうなると、その「(書かれた)紙」を見ないと、書けないということになってしまいます(忘れるというのです、つけたか、つけなかったか)。
彼からしてみると、本当に日本は七面倒くさい…だったのでしょうね。
バングラデシュでも、もう随分前にこんなことを言った学生がいました。「あるとき村に警官が来て、戸籍を作ると言った。(そのときの)先生が、若い方がいいだろうと言って、生まれた年を数年若くした…」で、彼が言うには、「本当は数年年上なのです」。
そういえば、日本でも、私の母の頃は届け出を遅れて出したので、生まれた日が違うといこともあったそうな。だから、「あのおばさんは本当は何月何日生まれなんだよ。うちでやる誕生日のお祝いはその日にしていた」なんてこともあったそうですから。
ただ困るのは、これは、もうずっと前の中国人の学生から聞いたことですが、「私は弟よりも年下なのです」。何でも市役所の人が間違って書いたらしい。けれども、あの国では「官」が強いし、プライドが強くて、自分の誤りを認める習慣がないので、そのままになっている…。こんなのは困ります。
もちろん、今ではもう、そんなことはないでしょうけれども、どちらの国でも。
日々是好日