日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『一期一会』、『大地に根ざすもの』との出会い」。

2009-11-27 07:30:40 | 日本語の授業
今朝出る時には、まだ朝焼けの鮮やかな「朱」が残っていました。それがどんどん白み始め、一時空は白くなるのです。そして青味を帯び始めた頃、学校へ着いたのですが、ところが学校に着いて、職員室に灯を入れた途端、また外は闇の世界に戻ってしまうのです。不思議ですね。今朝、家を出たのは、いつもよりほんの数分早かっただけでしたのに。

 昨日の事でした。仕事をしながら、随分明るくなっているのに気がついて灯を消したのですが、それから直ぐのこと、一人の学生が、学校へやって来ました。
「おはようございます」と言うなり、
「暗いですね。暗い中で勉強すると目が悪くなります。電気をつけますよ」
とパチリ。

 「勉強…?とは不可解なことを言うヤツ」
とは思ったのですが、中から見れば明るいと思っても、明るくなっている外から来れば、まだまだ暗かったのでしょう。それに抵抗すると、睨まれてしまいますから。

 この学生は、英語が必要な大学の入試を控えています。それで、毎朝一時間早く来て、英語の勉強をする約束をしているのです。授業は日本語ですし、英語の授業は週に一回しかありません。言語の学習はどういう形でもいいから、毎日続けることが大切ですから。

 先週でしたか、どうも学生達の勉強の様子が心配になった、ある教師が最後のチェックをしてみました。学生達は、口では「勉強しています」というのですが、どうもそうとは見えかったのです。呼び出して聞いてみたところ、午後、学校に残って勉強をしている(比較的まじめな)学生でさえ、家に帰ってからは殆ど勉強していなかったのです。理由を聞くと、アルバイトなのです。勿論、アルバイトが終わってからは、直ぐにバタンキューです。朝は、9時に間に合うように学校に来るのが精一杯だったのでしょう。

 20才ころは、いくら眠っても眠いというわけで、そういえば、これは今年の4月に来た、「Dクラス(午後のクラスです)」の学生ですが、一昨日、電話連絡もなしに学校を休みました。それで翌日叱ったところ、
「ごめんなさい。朝のアルバイトが終わって、30分だけ寝るつもりだったのに、ずっと寝てしまいました」
と言うのです。
「起きてからでもいいから、どうして連絡しなかったのか」
と、また注意すると、
「でも、先生。目が覚めたのが、夜の10時半だったんです」
「…。」

 何とも言えませんでしたが、けれども、言われてみれば、昨日の彼は、スッキリとした幸せそうな顔に見えました…。

 さて、街の「イチョウ」は、完全に黄金色になりました。秋になると、半分感動しながら思うのですが、「イチョウ」は、秋の美を半分以上、独占してしまいます。「イチョウ」の樹があると、他の樹の姿が霞んでしまうのです。「晶子」が歌ったように、この樹が夕日の射す丘の上にあったとしたら、それこそため息をついて見つめるだけで終わってしまったことでしょう。「晶子」は詩人だったから、言葉でもって「ある美の瞬間」を切り取ることができたのです。これは、普通の人間には、なかなかに難しいことです。

 私たちは、美しい樹を見た時、その中に佇み、その「美」と一体になったかのような、ある種の浮遊感を味わえれば、それでよしとせねばならなぬでしょう。

 「美しい」といえば、今朝の樹々は本当に美しかった。「イチョウ」だけでなく、公園の他の樹も、小学校の樹も、一本一本見れば、それなりにみんな美しかったのです。それは、青葉で覆われている夏の盛りであったり、花で覆われていたりしたる時には、見られなかった美しさと言えるでしょう。

 いくら暖かいとはいえ、すでに11月も下旬の、しかも後半に入りました。大地に帰る木の葉も少なくはありません。そういうわけで、樹々もかなり葉を落とし、透かれたような姿で、立っているのですが、それを、通り過ぎながら見つめていると、葉に覆われていた頃には見いだせなかった形が見えてくるのです。樹というのは正面から見てもだめです。側面から見てもだめです。秋になり葉を落とし始めた頃、その姿は、周りを巡るように鑑賞すべきものであることがよくわかります。

 冬であれば、黒い幹や枝しか見えません。あまりにもさびしく、厳しい姿です。しかしながら、そこにまだ赤や黄の色が残っていれば、甘さを備えた軽やかな「美」にも見えてくるのです。

 今朝は、自転車で木々の周りをグルグルと回りながら、何本もの樹々の「美」を楽しんで来ました。もしかしたら、今日、少しばかり、風が吹いてしまったら、明日は見られないという「美」かもしれません。「一期一会」は、人と人との「出会い」というより、大地に根ざすものとの「出会い」というべきなのかもしれません。その「出会い」には、人通りが絶え、静まりかえる早朝が、やはり一番いいのです。

日々是好日
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