日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「秋の野山と渓流と」。「樹に化す人々」。

2009-11-26 07:42:32 | 日本語の授業
 今日も晴れそうです。

 朝は水色の空に、わずかばかり灰色が混ざった白雲が、網のように、微かにかかっていましたが、それも陽が高くなると、直ぐに消えてしまうことでしょうし。

 朝の気温は13度くらい、そして最高気温は17度くらいと、まずは暖かく過ごしやすいお天気になるという予報です。しかもこの辺りは海沿いですから、都心に比べ、もっと穏やかなのです。中国の内陸部に比べると、驚くほど日較差はありません。これでは、住人が呆けてしまうのも無理はないのかもしれません。

 とはいえ、秋は深まっています。すっかり葉を落とした樹々も出始めました。「紅葉」する樹の大半は、「茜色」と化し、「黄葉」する樹々は「黄金色」となって町を彩り、山を染めています。

 こうなりますと、野山が恋しくなります。古人が「紅葉狩(もみじが)り」と称し、野山へあくがれ出でたのもわかります。

 秋が深まれば「牧水」、春がものうげになればなったで、また「牧水」と、若かった頃には思いもよらなかった心の循環が、秘かに始まっているような気がします。「きっぱりと」という言葉が辛くなったのかもしれません。

「吾亦香(われもこう) すすきかるかや 秋くさの さびしききはみ 君におくらむ」(牧水)

秋になれば、この歌が口をつき、思いにも「さびしききはみ」が現れてきますし、また、

「あをばといふ 山の鳥鳴く はじめ無く終わりを知らぬ さびしき音かな」(牧水)

 私ももう、山へ行ったり、渓流を見つめるといった生活から離れて、どれほど経ったことでしょう。しかしながら、秋も終わりが近づくと、すっかり葉を落とした山の木々の傍らへ行きたくもなりますし、錦に染まった木の葉を川底に閉じ込めて、凄烈な冷たさで流れる山清水を見つめていたくもなります。

 子供の頃に読んだ西洋の物語の中に、年老いた人が「樹になる土地」がありました。年老いると、人はへ行くのです(きっとそれは、「タイガ」の森だったのでしょう。蒼暗い空と、その下の青い雪、そして黒い樹々の影が映像のように記憶されていますから)。山へ行って、樹に変化(へんげ)するのです。老いがまさると共に、樹である時間が長くなり、そして最後は、全くの樹にもどって、沈黙してしまうのです。。その時、もしかしたら、私は憧れていたのかもしれません。人が樹になるということに。

「木に倚れど その木のこころと 我がこころと 合ふこともなし さびしき森かな」(牧水)

というのは、「温帯」に住む人間の、自然に対する甘えなのかもしれません。この地では、どこへ行っても、古来より、「絶対的な沈黙」など無かったのですから。

日々是好日
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