日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「冬将軍の到来」。「『日本で日本語を学ぶ』とは、同時に様々な知識も学ぶということ」。

2009-11-04 07:52:05 | 日本語の授業
 日曜日に異常な暑さを見せたかと思ったら、月曜日からはドンドン冬になっていき、そして寒さのどん詰まりは昨日でした。テレビや新聞では、北の地方や山間部での降雪の模様が映し出されています。そこまで行かなくとも、この辺りでも寒かった…。

 一日中、DVDの整理をして、一歩も外へ出なかったのですが、それでも寒かった。寒いからといって、暖房をつける気にはならないし…ということで、靴下は厚くなっていく一方です。天気予報によると、今日の昼からは、寒さが緩み、例年の気温に落ち着くとのことでしたが、さて、どうなりますことやら。
 たとえそうなるとしても、すでに現在、(一年目の)学生達の中には、「しはぶかひ 鼻びしびしに」という人たちが増えているのです。この分では、ますます「風邪引き」さんが増加していくことでしょう。怖い新型インフルエンザや季節性インフルエンザも待ち受けているでしょうし。

 日本人にとっては、「乾燥」というものは「寒さ」に伴ってくるものという気がするのですが、この「日本人の言うところの乾燥」も、他の地から来た人たちにとっては、乾燥の「か」にも当たらないということにもなってしまいます。とにかく年中カラカラの地から来ている人もいるのですから。
 本当に地球は広い。いくらジェット機で(目的地に)あっという間に着けたとしても、この地球の広さは変わりません。地に足がついた人間に戻れば、すぐに判ることです。

 今日も玄関を入るなり、このスリッパがどうも寒々しく感じられてなりませんでした。そろそろ冬のスリッパを買いに行った方がいいのかもしれません。学校で履くものは、重労働を強いられているかのように、直ぐにだめになってしまいます。別に走り回っているわけではないのですが、授業をしながらでも、自然にリキが入ってしまうからなのでしょうか。

 そういえば、小学校の校庭から伸びている柳の葉が、随分色褪せ、白っぽくなっていました。周りにあるのが「サクラ(桜)」だの「イチョウ(銀杏)」だのという、「秋こそ命」めいた華やかな彩りで迫ってくる連中ばかりなのですから、余計にそう感じられたのかもしれません。

 人でも、犬でもそうです。夕陽のように最後の華やかさを見せて沈んでいってしまうものと、そのまま朽ち果てていくものと、人生もこの二通りがあるようです。そして、生き物の多くは、静かに果てていくという後者なのでしょう。すべてを落として、却って何もかもがスッキリとして、潔く見える「冬」と違い、「秋」というのは、華やかである反面、どこかしら切なく悩み多い季節であるかのように感じられてしまいます。

 さて、学校では、今日、最後の「(留学生試験の)模擬テスト」を行います。しかしながら、何と言っても「一年から一年半」というのは、短すぎます。「漢字圏」の学生の場合、この学習期間は、「日本語能力テスト(一級)」合格には、余裕があると申せても、「留学生試験」で、ある程度の成績を残すには、なかな大変なのです。
 中国人や、普通こういう日本語学校に通ってくる学生達の場合、(彼らの国と)日本とは、全く政治体制が違いますから、当然のことながら、経済のしくみもいますう。その上、(彼らの国の)学校教育では教えていない「戦後の世界」というのがあるのです。

 来日後のことであれば、新聞などの切り抜きやテレビのニュースなどを通して、臨場感ある理解も出来るのでしょう。が、それが「なかった」という理解をしてきた歴史では、脳が理解することを拒否してしまうようなのです。さすがに「自分の国はそういうことはしていない」とうそぶく人は少なくなりましたが、「それはあったことなのだ」といくら映像も告げ、書物でもそうなっていても、なかなかスムーズには入っていかないようなのです。

 つまり、「映像を見て知って一回、歴史の本を読んで知って一回、そしてまとめとして肚の底に落ちるための一回」というふうに、できれば、三回繰り返す時間が欲しいのです。世界史一つとってもそうなのです。これが「あったことをまとめ、認識する」だけの歴史(勿論、歴史は『今』を理解するためにあります。しかしながら、「留学生試験」では、そこまで要求されていないのです。要求されているのは「知っていること」なのです)であってさえこうなのですから、直接『今』に結びつく、「国際」や「経済」、また「政治」では、また何をか言はんやです。

 蛇足に過ぎることながら、日本の新聞やテレビは、本当に頑張っています。特に「NHKスペシャル」の特集は、本当にありがたい。民間のものであっても(内容も、半分以上は娯楽に過ぎぬものであっても)、その事件が起こった場所や背景などをわかりやすく説明してくれるものが多いので、学生達に見せる時には、本当に助かるのです。

 と言うわけで、日本語を日本で学ぶにはとてもいいのですが、これが、報道に強い規制がかかっている国や地域で、その国の言語を学ぶということになりますと、なかなかそういうわけにはいきません。「言語」学習は、「言語だけの習得」で終わってしまうのです。その国の言語を学びながら、様々な知識をその国の言語で習得するというわけにはいかないのです。日本で日本語を学ぶ場合、「一級レベル」にまでいっている学生には、読んだり、映像を見たりすることで(ただの「ドラマ」や「お笑い番組」で、日常生活用語や若者言葉を知るというのではなく)、知識を拡げ、深めさせていくことができるのです。

 それが、ひいては、自分が今までいた国を見つめ直すきっかけにもなるでしょうし、(日本での)大学四年間を無駄に過ごさずにすむということにもなるでしょう。

 さて、今日は、朝一番に、月曜日にし残した「日本史」の授業を終えてから、教員二人で、月曜日に入院した学生のお見舞いに行ってきます。この学生は、高校を卒業して、4月に来たばかり。お父さんがいるとはいえ、同じ国から来た同性の友達もいないようですから、きっと心細がっていることでしょう。それに、12月の「日本語能力試験(三級)」を控え、焦っていることでしょう。

 とはいえ、まずは、病気を直さなければなりません。これは当然のことです。ただ、大人しくして、薬を飲み、回復を待てばいいだけの病のようですので、病室で出来るよう「プリント」や「CD」、また気散じ(半分は勉強)のための「DVD」などを持っていき、勉強したいという気持ちが薄れないようにさせておかねばなりません。どちらにしても、来年は大学を目指さねばならないのですから。

日々是好日
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