日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『理念』の国、『技術』の国」。「『一神教』の民、『アヤカシの満つる』国の民」。

2009-11-17 08:36:45 | 日本語の授業
 今朝は、まだ夜が明けていないかのように暗いのです。今にも雨が降り出しそうです。

 学校に着いてみると、黒い「招き猫」がひっくり返っていました。片手を上げ、「あ・うん」の「あ」の呼吸で、出迎えてくれるはずだったのですが、可愛い足の裏が見えています。直ぐに起こして、いつも通り学生達を迎えてもらいます。

 近くの商店街でも美容院でも、クリスマスの飾り付けが始まっています。道路脇では、イルミネーションの中で、白いツリーが浮かび上がっていました。
 思えば、キリスト者が少ない日本で、どうしてこのようにツリーの飾り付けが盛んに行われるようになったのでしょうか。「お祭り騒ぎが好きだから」とか、「これも商売、商売。商機を逃すべからず」とか言われてはいますが、本当の所はどうなのでしょう。
 不思議といえば不思議。不思議ではないと言われてしまえば、またそれも確かに不思議ではないのですが。

 日本が明治維新で近代化に成功したのに、中国はバスに乗り遅れた。円明園ではヨーロッパ列強、それから後は日本に蹂躙され、近代化は今を待つまで成功しなかった大きな理由は、日本が「ヨーロッパの先進技術」だけに目を向けたのに対し、中国は「彼らの理念と己の理念とを比べ、たいしたことはない」と高を括ったからだとというのを聞いたことがあります。いわゆる、「技術」対「理念」です。「理念」なんぞ比べてもしょうがないというのが、私の気持ちなのですが、そこは何よりも「メンツ」が大切な国、中国ですから、常に他者と自分とをひき比べ、己が勝っていないと安心できなかったのでしょう。

 日本は当時、ヨーロッパ列強の優れた技術を手にすればよかったのであって、彼らがどういう哲学や理念を持っていたかなんて理解する必要はなかったのでしょう(外交問題では、それが原因で苦しむのですが)。「劣っている」と見られたら、「そうかもしれん」と思い、顧みて、もしそうであるようだったら、その時に「考えればいい」くらいのものだったのかもしれません。

 日本は有史以来、秀吉を除いて、第一等の国であることを目指しては来なかったではずです。それと、戦前の何十年間かを除いては。近くには、大国中国がドーンと控えていましたし。地理的条件から言っても、考えることなど出来なかったはずです。大陸の「漢族」は、あるときは「モンゴル族」に滅ぼされ、あるときは「女真族」に支配され、彼らの国の名を冠した国名で呼ばれても、日本から見れば、中国として存在していましたから。だから、その上の一等国になるとか、一等国であるべきだとかいう考えは生まれようがなかったと思います。侵略されなければ、御の字くらいのものだったのでしょう。またそれが、こういう大陸に隣接する島国の民の習いでもあったのでしょう。

 「夜郎自大」になることを食い止め得たのは、そういう地理的情況が恒常的に存在したからです。彼我の大きさが全く比べものにならないくらい違いますから。
 それがどうして「一等国たらん」とする夢を抱いたのでしょうか。
 そもそも彼らのいうところの「一等国とはいかなるもの」であったのでしょうか。

 「理念」の国の民であれば…、それは判ります。そのことのためにであれば、一生涯「空論」を吐き続けていようとも、蚕のように後悔などしはしないでしょう。そう定められているわけですから。けれども、もともと、日本人の頭の中には「理念」などとう「空を掴むような主義主張」は存在し得ないはずなのです。

 今朝、空を見ながら、ふと思いました。「星の神話」というのは、多く借り物であると。古代ギリシアでは、星や星座を、彼らの神話と絡めながら物語ってきました。私が知っているのも、そのほとんどは、ギリシア・ローマ神話からのものです。ヘラクレスやペルセウスの冒険、黄金のリンゴなど、日本人ならだれもが、子供の時に心ときめかせ、星座を見て、誰かがその名を告げれば、物語が直ぐに脳裏に湧いてくるほど近しいもののはずです。ところが、それはそうなのですが、それほど、心に「近い」ものではないのです。あくまで、外来の異国の神々なのです。土着のものではないのです。

 「ホトトギス(杜鵑)」の「テッペンカケタカ。特許許可局」とか、「フクロウ(梟)」の「ゴロ助奉公」、「ホオジロ(頬白)」の「一筆啓上仕り候」、「コジュケイ(小綬鶏)」の「ちょっと来い、ちょっと来い」、「カッコウ(郭公)」の「あこ(吾子)ある、はやこ(早来)」だの、日本人なら何かの折りに、聞いたことがあるでしょう。

 小鳥だけでなく、虫の音でさえも、古代日本人はそれを「日本語」として聞いてきました。「コオロギ(蟋蟀)」の「肩貸せ、裾刺せ、綴れ刺せ」もそうです。つまり、彼らの声から、言葉を聞き取り、それに基づく物語を紡いできたのです。星ではなく、生きている身近な存在、手に取れる存在から、日本の物語は始まったような気がします。

 随分前に、「砂漠地帯には生命が乏しい。だから、人はただ一人の神を見、星を見る。哲学が生まれ、人は生きる意味を考える」という話を聞いたことがあります。

 日本ではそうではなかったのです。砂漠地帯に比べれば、この風土は人におおらかで、様々な命が溢れています。古代は、闇の中を歩けば、様々な気配を感じたはずです。風が吹けば、樹の葉の揺れる音を聞き、神々や物の怪の存在を連想したかもしれません。大風が吹けば、大木でさえ揺れ、傾ぎ、軋んだでしょうから、そこから彼らの怒りを感じたかもしれません。

 人や生き物が住むに適した環境というのは、物の怪が棲むにも適した環境であるということです。人が人として暮らしながらも、異界を妄想するに事欠かない環境であったのです。大地は、自然は半分ほどは人に優しく、残りの半分ほどは、彼らを畏れ、敬わなければ、人に大小の罰を与えるといった風でした。

 当然のことながら、この地に存在するもののすべては、神と見なされる可能性を秘めていました。大体が、人と他の生物との存在価値が同じだったのです。同じ命だったのです。海山川はともかく、樹木花草、鳥獣から虫の類に至るまで、あるときは神として崇められ、あるときは物の怪として畏れられてきました。「哲学」や「理念」など、入り込む隙間などありません。もうこれだけで、「空論」は一杯一杯なのです。日本人にとっては。

 石や木々、川や山などの神々は、古代の一時期や、戦前の一時期を除き、伝来の仏教とも仲良く暮らしていました。それでよかったのです。截然と「命あるもの」を区切る必要はないのですから。

 「日本人は宗教がないから、信用できない」と、イスラム教徒の人に言われたことがありました。「あれ?宗教がないのかな」と一瞬思いましたが、彼らが言うところの「宗教」は、確かに私にはありませんでした。けれども、日本には様々な「物の怪」は棲んでいます。「妖怪」も棲んでいます。「あやかし」と共存していて何が悪いとも思います。みんなが楽しく暮らせたらいいのです。異国の神も皆が楽しく暮らしているところなら喜んで遊びに来ることでしょうし。

 とは言いながら、私は「物の怪」や「妖怪」などを見たことがないのです。いたらいいなとは思うのですが…。「存在」はどのようなものであれ、拒否されてはならないと思います。ある種の存在は認めないというような頑なな世界であってはまずいとも思います。、社会が、多様性を認めていなければ、その前提が崩れてしまえば、豊かになりようなどないのですから。

日々是好日
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