日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「もう一度、ゴーギャン」。「『感じよう』と努める国、ニッポン」。

2009-11-13 08:07:30 | 日本語の授業
 今朝も静かに明けました。とは言いましても、お昼過ぎから、雨になるということでした。
 天気予報の叔父さんは、「通勤や通学時に雨が降っていなくとも、傘を忘れないで下さい」とも、「帰宅時には、風も強くなるでしょうから、しっかりした傘を準備した方がいいでしょう」とも言っていました。で、私もお勧めに従い、置きっぱなしの折りたたみ傘に頼らずに、傘持参ということになりました。

 さて、昨日の「ゴーギャンの私記」です。
 あれからも文は続くのですが、しばらくしてこういう言葉が書き綴られていました。

「…我々は、あらゆる時期にそうであったし、そうであるように、四方の嵐に揺れる傀儡である。目の利く船乗りは仲間のしくじる場所で危険を切り抜ける…ある人は意志し、他の人は戦わずして諦める」

 船員にもなったことがある人だから、船乗りという言葉が出たのでしょうが、この「意志する」とか、「戦う」とかいう言葉の意味は、つまり「求める(意志)」ということなのでしょう。「その道を求める」という「求道者」のような匂いもします。宮沢賢治の、いわゆる「修羅」ということなのでしょうか。

ゴーギャンの名前をはじめて知ったのは、やはりゴッホとの関わりの中ででした。この二人の画家とも、全身全霊が画家であるかのように見えながらも、「思索」していたのです(それを不思議と思う日本人の方が不思議なのかもしれませんが)。

「絵は思索する」とでもいうべきなのか、当時パリを中心に活躍していた芸術家達は、書簡を通してみても、そこには「なぜ描くか」「どうしてそうするでなく、そうせざるを得ないのか」などを主張するという色合いが濃いような気がします。絵を描きながら、「思索」しているのです。

 日本には、この「芸術家でありながら、『なぜ』と問いかける」は、いわば、「舶来品」なのでしょう。日本では、文学にしても、こういう強烈な「哲学的な問い」のもとで書き継がれてきたという気はしませんもの。それと反対に、日本ではこういう事を考えない…文化のような気さえするのです。だから、日本では、試作しない日記風の「小説」が大流行ということにもなるのでしょうか。

 彼我との違いに驚くばかりです。

 「思索しよう」という人たちと、「感じよう」とする日本人(もっとも、最近は変わって来たのかもしれません。何と言っても「グローバル化」、「グローバル化」のご時世です。が、伝統とか習慣とか言われているものは、おいそれとは変えられないし、変われない…のではありますまいか。「性根の部分で」のことなのですが)

 西洋文明の中に、身を置いてさえ、「雨から、その『アメ』の本質を感じよう」とする日本人。それによって、何事かを「思索する」というのではなく、ただ「感じる」に徹する日本人。おそらく、日本人にとっては、「思索」すら、「感じる」ことによってなされるものなのでしょう。いわゆる「『思索』とは、『感じる』ことである」「『感じる』とは、『思索する』ことである」なのです。

 西洋文明にあっては、極端な「思索」の挙げ句、狂気になる人はいても、「感じる」ことに夢中になって、おかしくなるという人はいないでしょうが、日本にあっては、それほど「感じる力」を持ち合わせて生まれてきていないのに、「感じよう」と努めた挙げ句、狂気の世界を彷徨うという人は、枚挙に遑がないほど…いましたし、今でもいます。それどころか、決してい少なくないでしょう。

 何故、古来から日本人にとって、「感じる」ということが、それほど大切だったのでしょうか。

 最近は、翻訳物ではなく、日本人の書いたものでも、欧米流の乾いた文章、理知的な文章を、多く目にするようになりました。けれども、こういう文章は、「修練を経た」作家が、意志的にそう努めない限り、日本人にはなかなか書けないものだと思います…。そう思うのですが、実際はどうなのでしょうか。無意識のうちに、こういう作家は、「日記」では、どういうふうに書いているのだろうなと気になることもあるのですが…。

 時々、不思議な気がします。
 学生達は、よくぞ、こういう「不思議の国、ニッポン」へ来たものです。彼らに「読解」の指導をするたびに、そう思います。

日々是好日
コメント
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