まだ雨が降っています。シトシト雨です。昨日の日曜日は、市川市の「市長投票日」でした。午後、散歩かたがた投票所である幼稚園へ行ったところ、閑散として係の人が随分暇そうに見えました。平和な光景です。思えば、この、「為政者を投票で選ぶという権利」を獲得したり、或いは、それを行使するために、争い、血を流している国もあるというのに。そのために、わざわざ他国へ行き、彼らの権利の実現のために命を落とした日本人もいるというのに。
私たち、今の日本人は、他国の人から見れば、確かに「平和呆け」と言われても仕方がないのでしょう。平和であることに馴れてしまいました。60年余り前には、食べ物さえ不足し、人々は「自由」や「平和」などとは無縁に生きていたというのに。
時々、この状態というのは、本当に望ましいことなのか判らなくなります。ある国では、「自由」や「権利」並びにそれによって生じる「義務」を手にするために、戦ってきました。けれども、日本の場合は、「与えられた」ものであるという気持ちが拭えないのです。それも、「イクサに負けたから、授けられた」という感じなのです。
「平和である」ことは、無論、すばらしい。けれども、なぜ「『平和』でいられるのか」、「『平和』であり続けることができるのか」が、はっきりしないのです。ただ「『平和』を享受することに馴れている国民」であり続けるしかないのでしょうか、今の日本とは。もしそうだとしたら、「家畜」や「ペット」以上の存在ではありません。それを、与えてくれている者の「気持ち次第」で、どうにでもされてしまうようなものです。これが、少し前まで、「世界第二位」とも言われてきた日本人の実力だとしたら、とても怖いことです。
さて、学校です。
昨日、一昨日と、大学の「入学試験」や「面接」が続きました。一人の学生は、面接会場にいたのは、韓国人ばかりだったと言い、質問は微に入り細に入りで、嫌がらせのようにも感じられたと言っていました。
そこで、つい、何年か前の「スリランカ」の学生の事を思い出してしまいました。彼も大学の「面接(入試)」に行ってからが大変だったのです。もう「行きたくない」と言い張って、説得するのが大変だったのです。
彼は「10月生」で、しかも、日本に来てから日本語の勉強を始めたと言ってもいいくらいでした。ただ非常にまじめでしたし、コンピュータを勉強したい(ソフトの方です)と目的もはっきりしていましたので、大学を勧めました。
彼の周りの同国人は、とにかく来日が目的、来日してしまえば、あとはできるだけ日本にいられる方法を考えるといったふうでしたので、(私たちに)大学を勧められても、最初は、どこかしらピンと来なかったようでしたし、それが可能であるとも思えなかったようでした。
けれども、とにかく説き伏せて、受験に行かせました(受験料が三万円ほどもかかります。冷やかしで行かせるわけにもいかないのです)。それが、帰ってきてから、「もう嫌だ。大学は嫌だ。専門学校に行く」と、私たちがいくら言っても聞く耳持たぬといった風になってしまっていたのです。
彼がどれほど頑張ってきたのかをよく知っていた私たちは、(大学)四年間あれば、かなりのことができるはずだと思い、それで「大学」を勧めたのです。頑張れない人には勧めません。続かないのです。けれども、彼の場合は違います。しかも、一度は同意したのに、どうして、これほど頑なになってしまったのか、その理由を知りたく思い、聞き出そうとしましたが、なかなか口を開こうとはしません。ただ「先生、もういいよ。だめだと思う。大丈夫。専門学校で頑張るから」の一点張りなのです。
しかし、最後に、やっともう一つ受験することに同意してくれました。「もう、それでだめだったら、先生達も何も言わない。やりたいようにやっていいから」と言い聞かし、オープンキャンパスに行かせたのです。
あとで判ったことですが、実は、最初の大学で、面接の時に、「非漢字圏」の学生であることで相当な嫌みを言われたらしいのです。それで、同じことを言われるだろうと思って耐えられなくなっていたのでしょう。本人が努力していないのなら別ですが、「非漢字圏」の学生は、努力して、「漢字が読めたり、書けたり」出来るようになっていても、それを「文単位」でなく、文章で読み、しかも、意味を掴めるようになるには、ある程度の時間が必要です。一年程度で、漢字も書けるし読める、その上、文章もスラスラ読める、意味も判るなどというのは、まず、殆どの「非漢字圏」の学生に要求すべきではないのです。
「漢字」を読めないのに、不届きにも大学を受験しようとしているということで、本人が辛くなるほど責められたらしいのです。ただ書かせてみれば判りますが、来日後一年ほどしかたっていないのに、「二級」程度の漢字は書けていましたし、読めていました。それを「活用」できるかどうかというのは、これほど努力している学生だったら、時間が問題になるに過ぎません。
それを見抜くことができるかどうかというのは、彼の問題ではなく、「大学関係者」のレベルが問われているような気がするのですが。これほど努力する「非漢字圏」の学生を私たちは知りませんでしたので、どうしても大学へ行かせたかったのです。
ただ、こういう学生は、受験するその時点では、他の「漢字圏」の学生に確かに劣るでしょう。けれども、「聞く・話す」は「一級レベル」でしたし、暇さえあれば近所の大規模電気店へ行き、コンピュータを見、触り、店員さんを質問攻めにしていたくらいでしたから、コンピュータに関する知識も、また問題意識もありました。それは、面接の時に、「人材を育てる意識」をもっていた大学関係者であれば、判ったはずです。なぜなら、二つめの大学では、それをはっきりと「買って」もらえたのですから。
その彼も、今は大学四年生です。この学校を卒業して二年目には「二級(日本語能力試験)」に合格し、今年の7月には、「一級(日本語能力試験)」にも合格しました。卒業後も、既に日本の一流企業に内定しているようです。勿論、これは彼の努力だけでなく、その後の「人との縁」にも恵まれたからでしょうが、つくづく、彼の「努力」と「ひたむきさ」が、「人の縁」を生み、また「よき人との縁」を引き寄せたのだと思わずにはいられません。
最初の大学での「面接」で、辛い思いをしたでしょうが、それに打ち勝っていたればこそ、現在の彼があるのです。
また、学生の「将来性」を見抜くことができずに、つまり、大学教育の「育成」を、頭からすっぽり抜け落ちているかのように見える大学関係者の方にも、「残念でしたね」と皮肉の一つでも言いたくなってしまいます。「たくさんの人に助けてもらったことを忘れない」と言っている彼の言葉の中には、最初の大学は全く入っていませんから。
長々と書いてきましたが、こういうこともあったのです。一度や二度、嫌な思いをしたぐらいで諦めてはだめです。さあ、昨日の面接でショックを受けたらしいお嬢さん達。次の試験に向けて頑張りましょう。一緒に頑張るからね。
日々是好日
私たち、今の日本人は、他国の人から見れば、確かに「平和呆け」と言われても仕方がないのでしょう。平和であることに馴れてしまいました。60年余り前には、食べ物さえ不足し、人々は「自由」や「平和」などとは無縁に生きていたというのに。
時々、この状態というのは、本当に望ましいことなのか判らなくなります。ある国では、「自由」や「権利」並びにそれによって生じる「義務」を手にするために、戦ってきました。けれども、日本の場合は、「与えられた」ものであるという気持ちが拭えないのです。それも、「イクサに負けたから、授けられた」という感じなのです。
「平和である」ことは、無論、すばらしい。けれども、なぜ「『平和』でいられるのか」、「『平和』であり続けることができるのか」が、はっきりしないのです。ただ「『平和』を享受することに馴れている国民」であり続けるしかないのでしょうか、今の日本とは。もしそうだとしたら、「家畜」や「ペット」以上の存在ではありません。それを、与えてくれている者の「気持ち次第」で、どうにでもされてしまうようなものです。これが、少し前まで、「世界第二位」とも言われてきた日本人の実力だとしたら、とても怖いことです。
さて、学校です。
昨日、一昨日と、大学の「入学試験」や「面接」が続きました。一人の学生は、面接会場にいたのは、韓国人ばかりだったと言い、質問は微に入り細に入りで、嫌がらせのようにも感じられたと言っていました。
そこで、つい、何年か前の「スリランカ」の学生の事を思い出してしまいました。彼も大学の「面接(入試)」に行ってからが大変だったのです。もう「行きたくない」と言い張って、説得するのが大変だったのです。
彼は「10月生」で、しかも、日本に来てから日本語の勉強を始めたと言ってもいいくらいでした。ただ非常にまじめでしたし、コンピュータを勉強したい(ソフトの方です)と目的もはっきりしていましたので、大学を勧めました。
彼の周りの同国人は、とにかく来日が目的、来日してしまえば、あとはできるだけ日本にいられる方法を考えるといったふうでしたので、(私たちに)大学を勧められても、最初は、どこかしらピンと来なかったようでしたし、それが可能であるとも思えなかったようでした。
けれども、とにかく説き伏せて、受験に行かせました(受験料が三万円ほどもかかります。冷やかしで行かせるわけにもいかないのです)。それが、帰ってきてから、「もう嫌だ。大学は嫌だ。専門学校に行く」と、私たちがいくら言っても聞く耳持たぬといった風になってしまっていたのです。
彼がどれほど頑張ってきたのかをよく知っていた私たちは、(大学)四年間あれば、かなりのことができるはずだと思い、それで「大学」を勧めたのです。頑張れない人には勧めません。続かないのです。けれども、彼の場合は違います。しかも、一度は同意したのに、どうして、これほど頑なになってしまったのか、その理由を知りたく思い、聞き出そうとしましたが、なかなか口を開こうとはしません。ただ「先生、もういいよ。だめだと思う。大丈夫。専門学校で頑張るから」の一点張りなのです。
しかし、最後に、やっともう一つ受験することに同意してくれました。「もう、それでだめだったら、先生達も何も言わない。やりたいようにやっていいから」と言い聞かし、オープンキャンパスに行かせたのです。
あとで判ったことですが、実は、最初の大学で、面接の時に、「非漢字圏」の学生であることで相当な嫌みを言われたらしいのです。それで、同じことを言われるだろうと思って耐えられなくなっていたのでしょう。本人が努力していないのなら別ですが、「非漢字圏」の学生は、努力して、「漢字が読めたり、書けたり」出来るようになっていても、それを「文単位」でなく、文章で読み、しかも、意味を掴めるようになるには、ある程度の時間が必要です。一年程度で、漢字も書けるし読める、その上、文章もスラスラ読める、意味も判るなどというのは、まず、殆どの「非漢字圏」の学生に要求すべきではないのです。
「漢字」を読めないのに、不届きにも大学を受験しようとしているということで、本人が辛くなるほど責められたらしいのです。ただ書かせてみれば判りますが、来日後一年ほどしかたっていないのに、「二級」程度の漢字は書けていましたし、読めていました。それを「活用」できるかどうかというのは、これほど努力している学生だったら、時間が問題になるに過ぎません。
それを見抜くことができるかどうかというのは、彼の問題ではなく、「大学関係者」のレベルが問われているような気がするのですが。これほど努力する「非漢字圏」の学生を私たちは知りませんでしたので、どうしても大学へ行かせたかったのです。
ただ、こういう学生は、受験するその時点では、他の「漢字圏」の学生に確かに劣るでしょう。けれども、「聞く・話す」は「一級レベル」でしたし、暇さえあれば近所の大規模電気店へ行き、コンピュータを見、触り、店員さんを質問攻めにしていたくらいでしたから、コンピュータに関する知識も、また問題意識もありました。それは、面接の時に、「人材を育てる意識」をもっていた大学関係者であれば、判ったはずです。なぜなら、二つめの大学では、それをはっきりと「買って」もらえたのですから。
その彼も、今は大学四年生です。この学校を卒業して二年目には「二級(日本語能力試験)」に合格し、今年の7月には、「一級(日本語能力試験)」にも合格しました。卒業後も、既に日本の一流企業に内定しているようです。勿論、これは彼の努力だけでなく、その後の「人との縁」にも恵まれたからでしょうが、つくづく、彼の「努力」と「ひたむきさ」が、「人の縁」を生み、また「よき人との縁」を引き寄せたのだと思わずにはいられません。
最初の大学での「面接」で、辛い思いをしたでしょうが、それに打ち勝っていたればこそ、現在の彼があるのです。
また、学生の「将来性」を見抜くことができずに、つまり、大学教育の「育成」を、頭からすっぽり抜け落ちているかのように見える大学関係者の方にも、「残念でしたね」と皮肉の一つでも言いたくなってしまいます。「たくさんの人に助けてもらったことを忘れない」と言っている彼の言葉の中には、最初の大学は全く入っていませんから。
長々と書いてきましたが、こういうこともあったのです。一度や二度、嫌な思いをしたぐらいで諦めてはだめです。さあ、昨日の面接でショックを受けたらしいお嬢さん達。次の試験に向けて頑張りましょう。一緒に頑張るからね。
日々是好日