日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「謹賀新年」。「『お天道様』へのお願い」。

2009-01-07 07:59:29 | 日本語の授業
 明けましておめでとうございます。

 遅ればせながら、ぎりぎり「松の内」に間に合ったような按配で…。

 おめでたいことは、何度繰り返しても良いものです。落語でも「おめでたい言葉」がなかなか習得出来ない「アンちゃん」がよく登場します。「おめでたい言葉」というものは、確かに人の心を明るくしてくれるものですし、そういう言葉を聞いて「気分転換」ができる人が一人でもいれば、それはそれなりにすばらしい「人助け」ですから、何も言うことはないのですが…。

 しかしながら、それによって、「捲土重来」を期せるかというと、そういうものでもありません。

 日本も、これまで、一見「波静か」であり、凡人には、こういう大きな変化になりそうな「予兆」すら見えなかったのですが、今では「隠そうとしても、隠そうとしても」現れてきているという状態です。一旦こうなってしまいますと、トコトン膿を出し、しかるべき「プロの職人」に任せて、どうにかしてもらわなければ、大変なことになる…と、きっとみんなそう思っているのでしょう。

 ところが、その「プロの職人」を探し出せないのです。きっといる、きっといるはずなのです(それは、「『歴史』が、その時代に必要な人材を必ず生み出している」はずだからです)。が、いったいどこにいるのでしょう。

 難しいところは、人々が、こうも「太平楽」な暮らしをし(これまでのことです)、勝負の世界はいざ知らず、「プロ」も「アマ」もないような状態になっていますと、実際の処、誰に助けを求めて良いのかわからないのです。

 「本物を見分ける目」というのが、大半の人から失われているのです。マスコミなどでもて囃されているからといって、その人が、「プロの職人」と称することができるかというと、必ずしもそうであるとは限りませんし…。

 「素人の目」から見れば、ある一定以上の線を越えていれば、つまり、物事に関する知識があれば(「偽物」で、ただ「聞き囓った知識」を玩んでいるだけの人であろうと)、皆同じに見えてしまうのです。誰が「本物」で、誰が「紛い物」なのか、見分けがつかないのです。その人が、ただ「知識」があるだけで、正確な「現状認識」と「未来に対する予測」、そして「対処法」を講じることができるかどうかなど全く判らないのです。ただ不安だから、耳を傾けようとするだけで、その人に「洞察力」があってもなくても、おそらくは構いますまい。

 「『知』の職人」さんは、不必要な「塩」や「砂糖」といった「余計なもの」を加えて、「もの申したり」はしません。けれど「『紛い物』で、対手の表情を見て、言葉の加減をする人」なら(マスコミに受けるとなれば)、何を言い出すか判ったものではありません。

 本来ならば、新聞などの「第四の権力者」が、そういう判断を下せる「本当の知識界における職人」を捜し出し、人々が己の道を歩んでいくための「道しるべ」と為すべきなのでしょう。が、それも、ドンドンずれているような気がします。

 「政治」や「経済」は、人々の生活に直結するものです。「お金」は、「至上」ではなくとも、「お金」で得られる「幸福」というものも、確かに存在します。

 今の時代の「政治家」に、昔の政治家(井戸塀政治家)のように、「わが身を抛って」何事かを為せとは、言えませんが、国民が、もう少し、荒波に揉まれ、切磋琢磨し、然るべくして、「国政という大舞台に上がった」という人を期待するのは、過分な要求でしょうか。

 「経営者」にしてみても、「金を儲けたい」というのが、偽らざる心情でしょうが、儲けさせてくれる(「働かせてもらっている」ではありません)「社員」、そして、買ってくれる「購買者」を忘れたら、いつの間にか、何もかも「液状化現象」のようになってしまい、ハッと気づいたときには、誰からも相手にされなくなってしまったということにもなりかねません。

 人というのは、弱いものです。何事かを始めれば、始めた頃には、(判らないものですから)いろいろなことに目を配ります。けれども、それで何とかなりそうだとなったら、途端に視野が狭くなるのです。それ以外は認められなくなるのです。昔の人が言ったように「愚か者は、己の経験に頼る」ようになってしまうのです。そして、「金儲け」が面白くなり、「会社存続」が「錦の御旗」となり、「そこで働く人々」が「将棋の駒」となり、そして、その人は「怪物」になってしまうのです。

 今年は、「人が人である」ことを自覚でき、「生まれてきてよかった」と思えるような出来事が、一つでも多く、見聞きできるような年でありますように。そして、そのささやかな一つ一つに、喜びを見いだせますように。

 己が身を顧みながら、そう「お天道様」にお願いしています。

日々是好日
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