日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「初級クラスの新入生」。「均質社会の日本」。「覚えるために手を動かすということ」。

2009-01-14 08:33:17 | 日本語の授業
 今朝のお月様は、少々右裾が欠け気味。「満ちれば欠ける世の習い」そのままの姿。しかしながら、虹色の笠をかぶって、それはそれなりに美しい。

 今朝も雲一つない濃紺の空です。

 さて、先週の木曜日に入学した新入生のことです。他のクラスに編入することになった学生はさておいて、「初級Ⅰ」クラスで、「いろは」から学ぶことになった学生達のことなのですが。

 昨日、初めて彼らの教室へ行きました。この教室には、新入生として、ガーナ人学生と、インド人学生が入っています。

 このインド人の学生は、今、「中級」クラスにいるインド人の学生の紹介によるものです。実は、この新入生の顔を見るたびに、思い出すことがあるのです。

何ヶ月か前のことです。
「先生。友達を呼びたいのですが」。
「どんな人ですか。まじめに勉強できますか。ちゃんと漢字を覚えることができそうですか」
(彼は、時々、「先生、私、漢字は捨てました」と言うのです。そして、そのたびに叱られて、「大丈夫。拾ったから大丈夫です」と言うのです。いったい何のこっちゃ。)
「とてもいい人です。それに、私より頭がいい人です」。
「(あなたより頭が良い)だから、何なのですか」
と、若い若い学生に言われて、一瞬、固まってしまいました。彼は既に「言外の意」を汲み取ることができます。言う方も、かなりのものですけれど。

 この「中級」クラスは、「できるクラス」特有の、「クラスの仲間が、みんな仲良し」なのですが、全くお互いに遠慮というものがありません。「言われたら、言い返そう。今、言い返せなくても、チャンスは逃さないぞ」といった、常時、言葉の「戦闘態勢」に入っているのです。

 このインド人の学生は、とても親切で、優しいのですが、からかいやすい何人かの学生に、よく言葉の攻撃をかけています。どうも、それが仇となって、その「仕返し」攻撃を受けざるを得ない状態になったらしい…。何と言っても、高校を卒業したばかりの中国人の女の子は、やられたら、やり返します。もう、怖いものなし。「さあ、来い。さあ、来い」とばかりに、目をキラキラさせて、待ち構えています。

「でも、(中国人学生を目で制して)でも、でも、先生。本当に頭が良いです。私は、小学校から大学まで一緒でした。よく知っています。それに、とてもいい人です」
と、(中国人学生の言葉を聞かなかったことにして)顔を真っ赤にしながら、力説していました。

 新しく来たインド人学生は、彼の言った通り、誠実そうないい人です。しかも、できない人を待つことができるのです。大人なのですね。年は23歳と、まだ若いのですけれど、よきインド人といった感じです。

 しかしながら、私は、彼の、落ち着いたその顔を見るたびに、(彼の友人のあの時の顔を思い出して)、プッと吹き出してしまいたくなるのです。困ったことです。

 学校には、団体行動をとらねばならぬ事がよくあります。一斉授業ですし、課外活動などで、一緒に外に出ることもあります。その時に、勝手にどこかへ行ったり、或いは、他の人を待てなくて、苛立ったりすると、もう、すぐに摩擦が起きてしまいます。

 そういう行動をとる人は、自分が何でもできると思いこんでいるらしいのです。だから、できない人間が邪魔にみえてしまうのでしょう。「そこのけ、そこのけ。オイラが通る」ですね。こうなってしまいますと、一番最初にはじき飛ばされてしまいます、日本では。

 日本は、諸外国に比べれば、まだ、とても均質的な社会なのです。昨今は、いろいろなことが言われていますが。

 「人の能力は、多種多様であり、均してしまえば、同じ」という考え方が、学校教育などで浸透しているからなのでしょう。クラスにノーベル賞を取れるような子供がいても、一緒に二年生になり、三年生になっていくのですから。勿論、高校や大学に入るときには進学先で、差はでます。しかし、そのまま入れば、みんな卒業するときは同じです。形は同じなのです。程度、濃度に差はあっても。

 これが、「飛び級」などがある国だと、多分、大して能力がなくとも、「自分が天才だ」と、「他の連中とは違う人間だ」と、小さいときから思わされてしまうのではないでしょうか。「昔、天才。今、秀才。二十歳過ぎれば、ただの人」に過ぎないのに。

 さて、「初級」クラスのことです。彼は、隣に座ったガーナ人学生が、「ひらがな」や「カタカナ」で時間を取っていても、待っていました。いい人を紹介してもらえました。

 このガーナ人の学生は、(インド人のこの二人の学生は、共に180㎝は超えているでしょう)インド人の学生よりも背が高い、しかも、インド人の学生は細身なのですが、彼はとてもがっちりしています。その学生が、午後、自習室で、「中級」クラスの学生達と肩を並べて自習しているのを見るのは、とても楽しいことです。

 身体は大きいのですが、「初級」なので、まだ日本語がほとんど分かりません。「中級」の学生達も、ガーナから来た人は初めてなので、興味津々といったところ。時々話しかけては、(判らないので)困った顔をしています。ガーナから来た学生は、それでも、話しかけられると、(話せなくても)ニコニコと笑みを返しています。それで良いのです。「愛想が良い」のが一番です。笑みを返した後は、また机に向かい、一生懸命に宿題をしています。書くのはとても大変のようですが、それでも、挫けずに書いています。

 「非漢字圏」の学生を、「いろは」から教える場合、いくつか大変なことがあります。その中でも、何よりも困るのが、「書く」という習慣がない国から来た人の場合です。「ひらがな」「カタカナ」まではいいのですが、漢字に入ったときが問題なのです。教師が、書いて練習するように言った時の、学生の反応には、三つのタイプがあるように思われます。

 前のフィリピンから来た学生もそうだったのですが、このガーナ人の学生のように、言われた通り、「覚えるために書く」ことができるタイプ。それから、言われたから書いているだけのタイプ(つまり、覚えようとしないのです。書くのは100回でも、200回でも、言われるままに書くのですが、覚えるつもりがないのですから、すべて徒労です。当然のことながら、覚えられません。)。それから、見ているだけで覚えられると言い張って、なかなか手を動かそうとしないタイプ。

 今年の新入生の二人が、一つ目のタイプに属する人であって、本当にホッとしています。

日々是好日
コメント
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