今朝は、曇り。夜がゆっくりと明けていきます。
いつもに似ず、人影も多く、どこか不自然で、おかしな気がします。しかしながら、そういう私も、不自然さを醸し出している中の一人なのですから、他の人から見たら、やはり変なのでしょう。
ジョギングをしている人達も、車に注意を促すかのように、「白」や「黄」の色を、まとっています。中には「蛍光塗料」が走っているかのような人もいて、これは笑ってしまいます。しかも、一度見たら、目が貼り付いてしまいそうで、却って危ないのです。ただ、(こういう人に限って)急にUターンするのです。自転車に乗っている側としては、とても困りますね。運転(自転車の)技術がそれほど高いというわけではないので…。
薄闇の中で、信号待ちをしているとき、ふとそばの電信柱が気になりました。昔は(遺老の繰り言めいて、恐縮ですが)、『みんなの歌』の中に登場する「寂しげな電信柱さん」であったり、テレビの時代劇の中に、時々遠くに見えたりする「おどけ者」であったりしたのですが、もし、この電線を地中に埋めてしまうということになると、彼らの姿も見られなくなってしまいます。
「都市の景観」という点から考えれば、それは勿論、「美観」へと移行するわけですから、不満を言えば、「罰当たり」です。
けれど、我々の傍らには、いつも彼らの姿がありました。「寅さん」の映画を待つまでもなく、電信柱の立っていない道なんて、どこにもありませんでした。日本が貧しかったときも、バブルで浮かれて踊り狂っていた頃も、いつも私たちの傍らには、電信柱が静かに立っていました。こうなると「同志」ですね。闇の中に浮かんでいる彼らを見ていると、「昭和の残像」には、必要不可欠な存在であるかのように思えてくるのです。既に、彼ら自身が、「昭和の人々・景色」と一体になっているのです。
今の日本人の心の中には、「電信柱」が(道の両側に立っているという意味で)、「街路樹」の代わりのような役目を負わされているのかもしれません。。
そういえば、江戸時代は「一里塚」として、「松」の木が植えられていましたし、「桜並木」を楽しむこともあったようですが、今はどうなのでしょう。そういう心の余裕がない時代に生きていると言われてしまえば、身も蓋もなくなってしまうのですが。
ところが、80年代の中国にはそれがありました。
あの「通り」には、「槐の木」が道の両側を覆い、向こうの「通り」には、桐の木がすっくと立ち並んでいた…。自転車を走らせているとき、高大な楊の木は別格としても、どれほど彼らのお世話になったのかしれません。
しかし、最近は、北京でも、車が町から溢れるほどになり、並木の「ありがたみ」は、「景観」だけと成り果てているようです。
北京は日本と違い、なんといっても、道幅が広いのです。高大で、枝を広く伸ばした木がよく似合います。しかしながら、何事によらず、「『長所』は、即ち『短所』」。道幅が広いということは、歩いている人間から見れば、これは大変なことなのです。
歩いていては、「信号」が「青」のうちに渡り終えることができないのです。車道が何車線もあり、広いからというだけでもありますまいが、歩いているときに「青」の信号が直ぐに点滅を始めるのです。これは一つ二つという問題ではありません。あちらでもこちらでも、そうなのです。横断歩道の真ん中辺りで、立ち尽くすという事もしばしばでした。
そんなわけでもありますまいが、だから、人々は交通規則を遵守しないのでしょう。たったあれだけの時間のうちに、あの広い道を渡りきるなんて、土台無理な話なのですから。「車が通っていなくても、『信号』が『赤』であったときは止まる」という習慣がついている国、日本から来た私でも、守れなかったくらいなのですから(これを見ていたイタリア人の友人曰く「ドイツ人と日本人は阿呆だ」。ドイツ人の友人も私と同じ行動をとっていました)。
ここでは、「みんな一緒に」が、何よりも強い。だれかが渡り始めたら、直ぐに皆争って渡ろうとします。そうしないと、場合によっては、命の危険さえ感じさせられることがあるのです。
日本から中国へ行くと、「『強い者が偉いの』は、真実である」ということが、よく納得できます。「車」は「自転車」よりも偉いし、「自転車」は「人」よりも偉いのです。
日本では、交通事故に遭った場合、強い方が悪いのです。「車」と「人」がぶつかった場合、どんなに「人」が悪くても、「車」に乗っていた者が責められますし、補償しなければなりません。だから、「車に乗っている人」は、「自転車」が怖いのです、「歩いている人」が怖いのです。
「黒帯の猛者」と「チンピラやくざ」が喧嘩した場合、どんなに「チンピラ」が悪くても、「黒帯の猛者」が正しくても、それによって、「チンピラ」がけがをした場合は,「黒帯の猛者」が非難されます。。
「弱い者が、(法に守られて)強い」というのは、ある意味では「理想の社会」でしょう。しかし、それも「法」あってのこと。それを守らねばならぬようにする「法」あってのこと。「監視」も必要となりますし、「罰則」も必要となります。
そこには、「人は過ちを犯す」という共通の認識がなければならないのです。この「人」というのは、「あらゆる人が」という意味です。「例外」を認めるような社会であったら、「法」というのは、箍の外れた桶のように、バラバラになってしまいます。
「『例外』の許される社会」とは、「堕落した社会」とも言い換えることができます。
「昨今の日本」を、どう言い表せばいいのでしょう。「規制緩和」で、「派遣社員」を使う側に、数々の「自由」、或いは「(正社員を雇う場合に比べれば)様々な例外」を認めてしまったのです。
そうして、瞬く間にそれは広がり、「保護される者」と「例外の者」という「差」が、生まれてしまったのです。「保護されつけている者」は、その枠を外されることを厭います。そうされまいと足掻きます。勿論、それは当然でしょう。「政・官・財・民」間で、何十年もかけて、やっと掴んだ「保護」なのですから。ということは、「例外の者」を、引き上げねばなりません。「保護されるべき人」として、待遇改善をせねばなりません。「法」の下に、「例外」を作ってはならないのです。
どういう国に住んでいても、多少の不満で終わる程度で暮らせたら、どんなに良いでしょう。
どこに住んでも同じだと言えるような社会になったら、どんなに良いでしょう。
「帰れない」し、「帰りたくない」と自分の国を思わなければならない人がいるのは、どんなに辛いことでしょう。
日本もそうなって欲しくありません。
日々是好日
いつもに似ず、人影も多く、どこか不自然で、おかしな気がします。しかしながら、そういう私も、不自然さを醸し出している中の一人なのですから、他の人から見たら、やはり変なのでしょう。
ジョギングをしている人達も、車に注意を促すかのように、「白」や「黄」の色を、まとっています。中には「蛍光塗料」が走っているかのような人もいて、これは笑ってしまいます。しかも、一度見たら、目が貼り付いてしまいそうで、却って危ないのです。ただ、(こういう人に限って)急にUターンするのです。自転車に乗っている側としては、とても困りますね。運転(自転車の)技術がそれほど高いというわけではないので…。
薄闇の中で、信号待ちをしているとき、ふとそばの電信柱が気になりました。昔は(遺老の繰り言めいて、恐縮ですが)、『みんなの歌』の中に登場する「寂しげな電信柱さん」であったり、テレビの時代劇の中に、時々遠くに見えたりする「おどけ者」であったりしたのですが、もし、この電線を地中に埋めてしまうということになると、彼らの姿も見られなくなってしまいます。
「都市の景観」という点から考えれば、それは勿論、「美観」へと移行するわけですから、不満を言えば、「罰当たり」です。
けれど、我々の傍らには、いつも彼らの姿がありました。「寅さん」の映画を待つまでもなく、電信柱の立っていない道なんて、どこにもありませんでした。日本が貧しかったときも、バブルで浮かれて踊り狂っていた頃も、いつも私たちの傍らには、電信柱が静かに立っていました。こうなると「同志」ですね。闇の中に浮かんでいる彼らを見ていると、「昭和の残像」には、必要不可欠な存在であるかのように思えてくるのです。既に、彼ら自身が、「昭和の人々・景色」と一体になっているのです。
今の日本人の心の中には、「電信柱」が(道の両側に立っているという意味で)、「街路樹」の代わりのような役目を負わされているのかもしれません。。
そういえば、江戸時代は「一里塚」として、「松」の木が植えられていましたし、「桜並木」を楽しむこともあったようですが、今はどうなのでしょう。そういう心の余裕がない時代に生きていると言われてしまえば、身も蓋もなくなってしまうのですが。
ところが、80年代の中国にはそれがありました。
あの「通り」には、「槐の木」が道の両側を覆い、向こうの「通り」には、桐の木がすっくと立ち並んでいた…。自転車を走らせているとき、高大な楊の木は別格としても、どれほど彼らのお世話になったのかしれません。
しかし、最近は、北京でも、車が町から溢れるほどになり、並木の「ありがたみ」は、「景観」だけと成り果てているようです。
北京は日本と違い、なんといっても、道幅が広いのです。高大で、枝を広く伸ばした木がよく似合います。しかしながら、何事によらず、「『長所』は、即ち『短所』」。道幅が広いということは、歩いている人間から見れば、これは大変なことなのです。
歩いていては、「信号」が「青」のうちに渡り終えることができないのです。車道が何車線もあり、広いからというだけでもありますまいが、歩いているときに「青」の信号が直ぐに点滅を始めるのです。これは一つ二つという問題ではありません。あちらでもこちらでも、そうなのです。横断歩道の真ん中辺りで、立ち尽くすという事もしばしばでした。
そんなわけでもありますまいが、だから、人々は交通規則を遵守しないのでしょう。たったあれだけの時間のうちに、あの広い道を渡りきるなんて、土台無理な話なのですから。「車が通っていなくても、『信号』が『赤』であったときは止まる」という習慣がついている国、日本から来た私でも、守れなかったくらいなのですから(これを見ていたイタリア人の友人曰く「ドイツ人と日本人は阿呆だ」。ドイツ人の友人も私と同じ行動をとっていました)。
ここでは、「みんな一緒に」が、何よりも強い。だれかが渡り始めたら、直ぐに皆争って渡ろうとします。そうしないと、場合によっては、命の危険さえ感じさせられることがあるのです。
日本から中国へ行くと、「『強い者が偉いの』は、真実である」ということが、よく納得できます。「車」は「自転車」よりも偉いし、「自転車」は「人」よりも偉いのです。
日本では、交通事故に遭った場合、強い方が悪いのです。「車」と「人」がぶつかった場合、どんなに「人」が悪くても、「車」に乗っていた者が責められますし、補償しなければなりません。だから、「車に乗っている人」は、「自転車」が怖いのです、「歩いている人」が怖いのです。
「黒帯の猛者」と「チンピラやくざ」が喧嘩した場合、どんなに「チンピラ」が悪くても、「黒帯の猛者」が正しくても、それによって、「チンピラ」がけがをした場合は,「黒帯の猛者」が非難されます。。
「弱い者が、(法に守られて)強い」というのは、ある意味では「理想の社会」でしょう。しかし、それも「法」あってのこと。それを守らねばならぬようにする「法」あってのこと。「監視」も必要となりますし、「罰則」も必要となります。
そこには、「人は過ちを犯す」という共通の認識がなければならないのです。この「人」というのは、「あらゆる人が」という意味です。「例外」を認めるような社会であったら、「法」というのは、箍の外れた桶のように、バラバラになってしまいます。
「『例外』の許される社会」とは、「堕落した社会」とも言い換えることができます。
「昨今の日本」を、どう言い表せばいいのでしょう。「規制緩和」で、「派遣社員」を使う側に、数々の「自由」、或いは「(正社員を雇う場合に比べれば)様々な例外」を認めてしまったのです。
そうして、瞬く間にそれは広がり、「保護される者」と「例外の者」という「差」が、生まれてしまったのです。「保護されつけている者」は、その枠を外されることを厭います。そうされまいと足掻きます。勿論、それは当然でしょう。「政・官・財・民」間で、何十年もかけて、やっと掴んだ「保護」なのですから。ということは、「例外の者」を、引き上げねばなりません。「保護されるべき人」として、待遇改善をせねばなりません。「法」の下に、「例外」を作ってはならないのです。
どういう国に住んでいても、多少の不満で終わる程度で暮らせたら、どんなに良いでしょう。
どこに住んでも同じだと言えるような社会になったら、どんなに良いでしょう。
「帰れない」し、「帰りたくない」と自分の国を思わなければならない人がいるのは、どんなに辛いことでしょう。
日本もそうなって欲しくありません。
日々是好日