日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「雨の日」。「『初級(Ⅰ)』クラス」。「スーダン人の学生」。

2009-01-30 08:11:17 | 日本語の授業
 今朝は雨。今日、明日と雨が降り続くとのことです。

 雨、雨、雨…。ふと「雨の日」を面倒がっている自分に気づいて愕然としてしまいました。いつから、こんな気持ちになり始めたのでしょう。確か、子供の頃には、「雨の日」が、特別な日だったような気がするのですが…。

 アスファルトに当たって跳ね返る「水しぶき」を、飽かず、眺めたり、道沿いの家々の庭木に当たる「雨音」に耳を傾けたり…。特に、学校から帰るときには、いろいろな発見がありました。「雨の日」は、「晴れの日」とは違うのです。景色が違うのです。「雨の日」にしか見えない「町の景色」というものがあるのです。

 傘を用いた遊びも、当時は、健在でした。手のひらの上に、真っ直ぐに立てて、曲芸師まがいのことをし、その時間を競ったり、或いは、傘を広げて、ブンブンと振り回しながら、競争してみたり(これは、案外に走りづらいのです)、傘をさしたまま、「水たまり」の上を、パチャパチャ「水しぶき」を、跳ね上げながら歩いてみたり…。

 あんな(今から思えば)、単純な遊びが、どうしてあれほど楽しかったのでしょう。「雨の日」の、遊びの種は尽きず、雨が降ることを待ちわびていたような気がします。

 けれども、今は、「雨の日」を面倒だと思っている自分の心に気づいて、驚いているのです。不思議ですね。

 今頃の季節でしたら、分厚い椿の葉に目を留めて、滴のきらめきに心躍らせて然るべきでしょうし、雨に濡れた裸の木々の、そのまた上を、滝のように滑り下りていく水の姿に見入って然るべきでしょう。木々の肌が、雨に濡れて黒光りし始めるのも、濡れ濡れとしたその木肌に、車のライトが反射して光を生むのも、魅惑的な光景なのですから。

 「冬の雨」は、「春時」や「梅雨時」の雨とはまた違い、格別な味わいがあるはずです。それなのに、今では「見入る」どころか、「素通り」しているのです。そして、それに気づいて、驚いているのです、自分に自分が。どんどん大切な感覚が摩滅していく自分に、焦りを感じるのは愚かなことでしょうか。

 さて、学校です。

 昨日「初級Ⅰ」のクラスに行きますと、後ろの席に中国人の学生が三人並んで座っていました。昨日まではバラバラに座っていましたのに、どうしてかと問いますと、ニコニコしながら「いいでしょう」というのです。

 何もなければ、それでよし。様子見です。他の国の学生達と、仲は相変わらずよろしい。おかしなことを言っては、前後で握手をしあっています。つまらないことでも身体を動かすというのは大切です。特に初級の間は。それで、彼らのいいようにと、席はそのままにさせて、授業を進めていきました。前と後ろで「ミニ会話」をさせていけば、それはそれで問題はないのです。

 そう思って、前列を見てみますと、きれいに国際化が図られています。向かって右から、タイ、ガーナ、インド、タンザニア、スーダン。この中で、開講時からいるのは、インドとガーナとタイの学生だけ。スーダンとタンザニアから来た学生は、祖国でも日本語に触れる機会がなかったわけですから、大変です。「ひらがな」と「カタカナ」を覚えるまでは、自分たちの言葉で、音を取らせておきます。

 さて、授業も終わって、「お昼」も済ませて、自習室の様子を窺ってみますと、半年前からきている「先輩」たちが、自分たちも勉強をしながらですが、時々注意を与えている様子。タンザニアから来た学生は、英語が分かるので、どうにかなるとして、スーダンから来た学生は、アラビア語ですからね、どうしているのかなと見ていると、(先輩達は)日本語で話しかけながら、目などの表情と手などの動作で、意志を伝えているようです。

 言語を学習する場合、これも大切な要素で、これだけでもかなりの部分を伝えることができます。学校が準備した子供用の「あいうえお」の器具と、プリント。それに、可愛い先輩達の指導(?)(後は適当に教師が注意を与えています)とで、「あ行」と「か行」は言えるようになったようです。「さ行」は、ちょっとあやふやだったかしらん。それと書く方も、「え」と「お」は悩んでいたようでした。けれど、イメージがないのだから、どうしても急には無理です。落ち着くまでには、時間がかかります。

 タンザニアから来た学生は女の子ですから、まだ良いとして、スーダン人の学生は男性ですからね。力尽くの勝負では、こちらの方が少々不利です。しかも、非常にがっちりして、背も高いのです。ところが、彼は「小人の国」、日本へ来て驚いてでもいるのでしょうか。いつも身を縮め気味にし、気弱そうに微笑んでいます。まるで、威圧感を与えるのを畏れてでもいるかのように。が、気が弱いなと侮っていると、おおごとです。なんといっても力はあるのですから。

 書くときは、指の一本一本に力を込めて、鉛筆をしっかりと握って、書くのです。誤っている箇所を直させようと思って、こちらが手を添えて書かせる時は、特に大変です。曲げてはいけない所に力を入れて、ギュッとばかりに曲げようとするので、こちらの指のほうが追いつきません。力を入れるなと言いたくとも、言葉が通じないのですから。で、もうこうなったら、力比べです。昨日は「う」と「え」と「お」の字だけで、さすがの私も力が尽きてしまいました。

 「軽く書く」、「力を抜いて書く」とい習慣をつけさせるためには、(面倒でも)早くから、「筆ペン」を持たせておいた方がいいのかもしれません。(けれど、あんなに力を入れて書いていて、指が疲れないのでしょうか。どうも、彼らの書き方は力尽くで線を引いているように見えて仕方がないのですが)。

日々是好日

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