日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「満員御礼」の自習室。「『卒業文集』の作文」から。

2009-01-16 08:03:20 | 日本語の授業
 今朝はもう、「クラゲ」のようなお月様になってしまっていました。随分前から、「クラゲ」は「癒し系」と見なされ、「ソフト」でゲームになったりと、心身共に草臥れ果てた日本人のよき友になっていたのですが、とうとうお空にまで、現れてしまったのですね。

 でも、あれは形からいって、「横座りのクラゲ」ですね。「具の詰まった餃子」とも見えます。見方によっては、その方が自然かもしれません。

 昨日は、午後の自習室に、「満員御礼」の札がでてしまいました。小さい学校なので、この自習室は12人で一杯になってしまいます。食事を済ませて、戻ってきた学生が、「先生、イスがありません」と言いに来ました。

 勿論、3時頃を過ぎると、アルバイトへ行ったりする学生が出ますので、空いてくることは空いてくるのですが。けれども、いろいろな国から来た学生たちが、(日本語の)レベルも異なった状態でありながら、一緒の部屋で勉強しているのを見るのは、いいものです。こうやって、少しずつ「国際化」していくのでしょう。

 今、「Bクラス」の学生達に、「卒業文集」に載せる作文を書いてもらっています。あれだけ口が悪い連中ですから、お世辞など、小指の爪の先ほども書くまいと思っていたのですが、うれしいことをたくさん書いてくれていました。

 まず、多かったのが、「学校が楽しい。勉強も楽しいし、いろいろな国の友達とのおしゃべりも楽しい」ということでした。

 「よく学び、よく遊べ」です。勉強は「辛い」だけではありません。頑張れば、それなりの果実を味わえるのが、「学校の勉強」のいいところ。きっと、この人には「勉強の成果」が、自分でも感じられるようになったのでしょう。社会に出たら、なかなかそういうわけにはいきませんから。

 だいたい一ヶ月に一回くらい「都内見学」に、連れて行っているのですが、初めての時は、みんなどうして良いのか判らなくて、オタオタしてしまいます。けれども、教師が一言、「来たばかりの学生だから、この人を頼むね」と言っておくと、先輩(たとえ、わずか三ヶ月しか違わなくとも、先輩は先輩です)達が、適当に面倒をみてくれます。切符の買い方やエスカレーターでの並び方、また乗り換えなど、こちらは、全体的な指示を出すだけで済むのです。

 「定時」に集まりさえすれば、指示も皆に同時に出せますので、その日の行動もスムーズになります。その結果として、お互いに苛立つこともなく、楽しく過ごせるのです。目的地に着くまでのおしゃべりも楽しいし、着いてからはみんなで写真を撮ったり、説明を聞いたりと、これもまた楽しいというところなのでしょうか。

 それから、こんなことも書いてました。「(学校での)勉強を通して、自分の知識が本当に不十分だったということに気がついた。良い大学を目指して、もっと頑張らなければならない」。こうなると、教師の側も頑張らざるをえません。この学校にいられるのは、長くても2年に過ぎないのですから。あと、彼らに残された時間は一年足らずしかないのです。

 「Bクラス」の学生達は、今「『中級』の教科書」の「21課」に入ったところで、少しばかり、「環境」関係の単語を覚えました。けれども、世界各国の取り組みなどは、まだまだ教えられる状態ではありません。「日本語のレベル」が低すぎるのです。正確にこちらの言わんとするところが掴めるようになるまで、(言語能力が)素質的に高い子でも、無理なのです。中には、日本で勉強していく上で、自分の国での勉強や知識が、妨げとなっている人もいるのです。

 「すり込まれて」いて、客観的に見ることができないのです。こういう状態になっていて、しかも、あまり若くない人は、私としても対処に苦しみます。本人が自覚しない限りは、こちらがいくら言っても無駄なのです。「ゼロ」ではないのでしょうが、お互いに「苦しい」のです。こういう状態は避けた方がいい。知りたくないのなら、知らなくても良いのです。どちらにしても、こういう人は、遅かれ早かれ、国へ帰らざるを得なくなるでしょうから。

 勿論、その国に、生まれ、育って、その国の人の大半が考えるように考えているというのは、当たり前の事です。日本でもそうです。それぞれの国は、自分たちに不都合なことは発表したがりません。それは当然のことです。しかし、マスメディアが発達している国は、政府が隠そうとしていることを、公の目に触れるように発表していきます。けれども、まだマスメディアが発達していない、いわゆる「情報途上国」は、一つの考え方しか経験していないので、「考え方の道」は一つと思いこんでいるのです。この場合の道とは、「思惟」のことです。それを急に変えようとしても無理なことです。本人も苦しいでしょうし、岩盤に向かって説明しているような教師の気持ちも辛い。

 けれども、若い人は、考え方も「柔軟」です。「可塑性」があるのです。見聞を広めていけば、いろいろな考え方を受け入れることが、できるようになるでしょう。一年ほどもすれば、世界には、「従来慣れ親しんできた世界」の他にも、「様々なものの見方、考え方をする世界」があるということが、自然に判ってくるでしょう。

 それまでは、狭義の意味での「日本語の勉強」に励まざるを得ません。

日々是好日
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