日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「玄関の模様替え、節分」。「『泣いた赤鬼』、赤鬼の気持ち」。

2009-01-27 10:53:37 | 日本語の授業
 さて、昨日、若い先生が、玄関の「模様替え」をしました。テーマは「節分」です。「模様替え」をすると言いましても、「靴箱の上の空間」と横の「壁面」が活かせるだけですから、知恵を絞らなければなりません。しかも、「壁面」の、横半分は、すでに、最近の(課外活動の折の)写真が溢れていますし、上を見ましても、所狭しとばかりに、「卒業式」や「(大学合格の際の)うれしそうな顔」で一杯です。

 その「節分」を、早速、午前の学生達が帰るときに発見しました。「これは何だ」と「鬼の面」を指して言っています。どうも鬼の面に興味を惹かれるようですね。可愛い鬼だからでしょうか。「グロ可愛い」です、最近の言い方を倣って、表現しますと。

 同じ「鬼」という漢字を用いても、中国語と日本語とでは、意味が異なります。しかも、日本の「鬼」は、どんどん可愛くなって、カタカナ的な「オニさん」になってしまい、以前はあった「なまはげ」的な怖さは、今では、もう感じられなくなってしまいました。

 私にしても、中国語の本を勝手に読んでいる時に(漢字はだいたい判りますので、「初級」レベルであろうと、中国語の文章は読み飛ばせるのです。特に古典は)、「何か変だな」と感じた字でもありました。中国語では、「死者」を指すのが、「鬼」という漢字ですので、地獄の様子を表す文章を読んでいると、「何か変だな」状態になってしまうのです。日本では地獄で「死者」達を苦しめ、苛むのが「鬼」なのですから。

 けれども、漢文を大学で専攻した日本人達は、「うん、死者のこと」で納得していました。多分、現代中国語でも古代中国語と同じ意味だということが判って、ホッとしたのでしょう。、

 とは言いましても、普通の日本人には、それは通りません。日本昔話で出て来る「泣いた赤鬼」のイメージが強いのです。そして、直ぐに「見かけが怖そうだからといって、差別するのはいけない」というメッセージが伝わってきます。「道徳教育」のなせるわざ。怖ろしい所ですね。植え付けられているのです。その反対のメッセージ(いわゆる「見かけが優しそうだからといって、優しいとは限らない。本当は怖い人かもしれない」)も。

 この昔話には、善人で気の弱い「赤鬼」さんと、彼の良き友、「青鬼」さんが出てきます。
 
 「赤鬼」さんは、可愛い人間の子供達と友達になりたくてしょうがない。けれども、怖い顔をしていますので、どんなに親切にしてあげようとしても、逃げられてしまうのです。しょんぼりしている「赤鬼」さんを、見るに見かねて、友達の「青鬼」さんが、ある計画を思いつきました。「青鬼」さんが怖い顔をして、子供達を虐め、それを「赤鬼」さんに助けさせるというのです。計画は図に当たって、子供達は「赤鬼」さんに感謝し、彼と遊ぶようになります。「赤鬼」さんは、子供達と遊べるので、楽しくてたまらない。毎日を
夢のように過ごしていました。そんな「赤鬼」さんの許へ、「青鬼」さんから手紙が届きます。そこには、こんなことが書かれてありました。

 「自分と友達だと言うことがわかったら、せっかく友達になれた子供達が、また離れていくだろう。だから、自分は引っ越しをする。君は子供達とこれからも楽しく暮らしてください。さようなら」。

 それで、「赤鬼」さんは泣くのです。

 「青鬼」さんの気持ちが判ってからの、「赤鬼」さんはどうしたか。それは判りません。子供達に自分で考えさせたのでしょう。短絡的に、「青鬼」さんを追っかけるとか、謝るとか、或いは、やっぱり子供達と遊ぶ方が面白いからそうするとかいう答えを出せても、「情操教育」という観点から見れば、何にもなりません。

 人はそれぞれ複雑で、割り切れない気持ちを抱きながら生きているのですから。

 ここでは、「青鬼」さんの「赤鬼」さんへの友情、そして、その「青鬼」さんの優しさを知ったときの「赤鬼」さんの気持ち。これがすべてなのです。見えて感じられたことが、すべてで、「赤鬼」さんの行動に評価を下すというのは、人として、やや増冗漫ですね。

 もっとも、子供の時、この話を初めて聞いたときは、本当にやるせない気持ちになりました。「赤鬼」さんの女々しさも、「青鬼」さんの潔さ、思いの深さも、みんなそのまま受け入れられたのです。それで、やるせなかったのでしょう。そして、自分ならどうするかなと考えたのです。考えて、どれも違うと思いました。どうしても、心が別の方に残ってしまうのです。どういう行動をとってもだめだな。「子供達に本当の事を話して、『青鬼』も呼んで一緒に楽しく暮らす」が、多分、求められている答えだろうなとは思ったのですが、いい子ぶっているようで、また、実際にそんなことをしても、それでも、子供達は以前のまま遊んでくれるだろうかなとも思われたのです。子供というのは残酷ですから。で、結局、答えはなし。書けませんでした。

 今ではそれで良かったのだと思います。答えなんてないのですから。

 というわけで、日本人の心の中では「鬼」さんは、「オニ」さんで、のんきだったり、気が弱かったり、人間に騙されたりするのです。「人」と同じなのです。

 「節分」の時、「オニ」役になっても、楽しく逃げてください。口では「オニは外」なんて言いますが、本当は可愛い「オニ」さんが、大好きなのですから。

 ところで、昨日は、おしゃまさん達の英語授業二回目でした。先生は
「うーん。まだまだですね。けれども、やるように言ったことはしっかりとやって来ているので、私も頑張ります」
とのことでした。

 そして、
「明日、先生に英語であることを言うように言っておいたので、聞いてください」
と、言われたのですが、うん????状態。

 しかし、一人が帰るときに、靴を履きながら、
「先生。……(これは英語です)」
と、いつもには似ず、蚊の鳴くような声で、長い文を言っていました。
「先生(これは大きな声で)、判りましたか」
「はい、判りました(本当は、あまり判らなかったのです)」
途端に、
「ふふふ」
と笑って、元気よく帰っていきました。

 実験台に、どうぞ(私を)お使いください。(私も、英語を)日本語に訳してもらいますから(私に言った人にですぞ)。それから、どうか、おしゃまさん方、英語になった途端に小さな声になるのはやめてくださいね。ますます聞こえなくなりますから。

日々是好日
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