日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「信号の『青』」。「言葉の『矢』、言葉の『槍』」。

2009-01-15 07:49:32 | 日本語の授業
 今朝も、いつも通りに家を出、いつも通りの道を歩いてきました。ところが、いつもの交差点で信号待ちをしていますと、ふと遠くの信号が皆「青」であることに気がつきました。

 冬なのですね。街路樹がすっかり葉を落としていますので(少し前までは見えなかった信号が)、早朝ともなりますと、くっきりと闇に浮かび上がってくるのです。まあ、街路樹と言いましても、小さな細っこい木で、それなりに緑化事業には役立っていると思うのですが、大陸の、自由自在に枝葉を伸ばした街路樹を思い浮かべるとしたら、「ああ、勘違い」と言うことになってしまいます。

 日本の道は、街路樹と同じように、小振りなのです。狭い車道、狭くて歩きにくい歩道…。しかも、年度末ともなりますと、あちこちで、アスファルトを引っぺがし、いろいろな工事が始まります。そんな道に似つかわしいのは、やはり可憐で邪魔にならない「木」ということになってしまいます。

 ボウッと信号の「青」を見ているうちに、自分が、どこかの雪国にいて(しかも、雪が降りしきっているのです)、柔らかな、緑の灯を見つめているような気分になってきました。旅に出たいですね。なぜかしら、郷愁を感じてしまいました、おかしなことに、信号の「青」に。

 気分を転じて、天空を見つめます。すると、すでに夜明けの、空の色の変化が始まっていました。じっと見つめていますと、ある空の部分が、うす赤紫とでも言うのでしょうか、そんな優しい色に変わり、見る間に、色を明るくしていきました。

 信号の「青」が呼び込んでくれた「ささやかな幸せ」です。信号の「青」のおかげで、普段は気づかない「空の変化」にも気づけたわけで、どこで、どんな幸せが待っているのか判りませんね。

 さて、場面は学校へと移ります。

 今年の、一昨日から、一つ大きな変化が現れました。「九時一分の○○」といつも私が言っていた女の子が、なんと、火曜日に九時前に学校に来たのです。初日は「雪が降る。槍が降る。台風が来る。世の平和を乱す」などとからかっていたのですが、何と、水曜日にも九時前に来たのです。しかも、いつもかなり遅れて学校に来、そろりそろりとドアを開けて、斜めの姿勢で中に入り、(私と)目を合わせないように、伏し目がちにコソコソと席に着いていたインド人の学生までが、九時九分に来たのです。

 「こいつあ、てえへんだ」とばかりに、ひとしきり、みんなが囃し立て、私は一瞬「三日で終わったら、『三日坊』だよ」と言いたくなったのですが、それはぐっと怺え、ぐっと力を入れて(本当は、にやついて)次の機会を待つことにしました。

 一応、今日も九時前に来るとすると、三日続くことになります。つまり、まだそれで、切れているわけではないので、言えないのです、「三日坊主」と。

 しかしながら、私が、「三日坊主」と言ってやろうと、手ぐすね引いて、待ち構えているとは、まさか彼女も思ってはいますまい。

 学校では、お互いに、「戦時体制下」にあるわけですからね。私が「ドジ」れば、すぐに「言葉の矢」が飛んできますし、時には「言葉の槍」が、あちこちから振ってくるということにもなりかねません。お互いに気が抜けないのです。何か言ってやろう。何か言い返してやろうと虎視眈々と待ち構えているわけですから。

 先日も、九時直前に、ダダダ-ッと階段を駆け下り、ガラガラと扉を開き、バタバタバタと入ってきて、ハアハアハアと息をついている女の子に「猪武者」と呼びかけました。その子は「うーん。うーん」と呻っていましたが、皆は大喜び。さすがに返せなかったようですね。だって、本当のことですもの。調子に乗って「猪突猛進」まで入れてしまいましたが、帰る時、その子が
「先生、『猪武者』って、女の子もいいんですかあ」
と聞いてきました。
「本当は、女の子には使いません。けれども、あなたにはいいんです」
みんなも、へらへらしながら、「そうだ、そうだ」と言っているように見えました。


 それに、髪の毛を針の先のように、おっ立てていた男子学生には、「ツンツン」という言葉を入れて、ついでに針の山、(だれかがハリネズミのことまで聞いていましたっけ)なども入れてしまいましたから、向こうも、きっと私が失敗するのを待ち構えていることでしょう。

 もう帰国してしまったのですが、フィリピンの少年にも、そうしていました。彼は、漢字テストの時には、いつも最後に提出。「出せ、出せ」と言っても、なかなかあきらめないのです。
「もう少し待ってください。ああ、どうして忘れてしまったのだろう。あんなに練習したのに。さっきまで覚えていましたのに」
と藻掻き、足掻き、その様子があまりに可愛らしく、面白いので、「あがきの○○」と呼んでいました。まあ、この子は素直で、20歳前後のおしゃまさん達のようには、抵抗しませんでしたけれど。

「中級」クラスぐらいで、こういうふうに言葉のやりとりができると、随分と授業が楽になります。一クラスに4,5人ほども、それができる学生がいると、自然に他の学生の口も動くようになるのです。それは、早ければ早いほどいい。そうすれば、今年の七月の「一級」テストの後は、かなり内容豊かな授業ができます。

日々是好日
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