日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

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2008-06-25 15:02:14 | 学生から
 外国語はやはり難しい。
 普段喋っているだけではごまかしというか下手くそな説明を交えていくらでもその場を乗り越えることが出来ますが、こうして文章を書いてしまいますと、そのような「裏技」が利かなくなるので、一生懸命脳みそを振り絞って伝えようとすることを表現してみたところで、結局やはりどこかで微妙に間違えたり考えたことを伝えきれなったりしています。
 これは文章能力が足りないと言えば、正に正論だと思います。だって中国語で文章をするのにも私は同じく苦しいと思うところがありますから。
 大抵、小さいときから私は作文が嫌っていました。国を愛するとか、社会に奉仕するとかのようなテーマで自由作文をしさないという風にばかり書かされてきましたので、本当に身に体験もないこのようなことをどういう風に書いたらいいか苦しくてなりませんでした。それでも、上手に書かなければ単位が得られず進学に影響を及ぼしますので、この手あの手を使って何とか「作文」を完成させてきています。
 今思えば、その惨めさといったら、二度と体験したくありません。そのように勉強させられてきたせいか、大学に入った後でも、作文は大嫌いです。でも、中国語でごまかしの文章を書くのは、既に慣れてきたというか、何とかやり越すことができるのです。
 そのうちに、日本語が外国語として少し出来るようになった所で、今度は又日本語で作文することを要求されるようになりました。これこそ大変なことである。
 もともと文章能力が足りないから、それに加えて稚拙極まりない考え方しか内容に盛り込むことが出来ないので、お笑いばかりを買うのは想像できるほどです。
 幸い、皆が似たり寄ったりしているのか、それとも中国人の私に対して先生が特に甘かったのか知らないのですが、無事大学、更に大学院まで卒業することが出来ました。
 振り返ってみれば、自分の大学は本当に高校の延長線上のようなもので、そこで一応の日本語しか習得することが出来ませんでした(人のことはよく分からないですが、私の場合ですね)。
 人生は戦場である、ということは大学卒業時の就職活動で少し理解できました。旨い仕事に付き損ねた私が、半ば就職に諦め、半ば人生に迷い込み、大学院に入りました。
 でも、本当は大学院に入ったお陰で、学習の意味又はその面白さが少し分かってきたようもので、散々本を読みまくり、生きることの意味を求め、自分の思考力を養い始めたのです。言ってみれば、自分はそのような晩熟なものです。
 無論、その時から読んだもののの殆どは日本語の本です。日本語で読めることにより、私は改めて自分を見直し、自分が生きている国を見直し、更にこれまで自分が認識してきた世界を繰り返し繰り返し見直してきたのです。
 そのようなことは、結局どれほど自分の日本語能力の向上につながったのか、又どれだけ自分の仕事に役立ったのか考えたことはありませんが、自分としては特に不満・悔いも持っておりません。というのは、それにより自分は少なくとも人間として成長したからです。勿論、日本語を勉強してそろそろ20年にもなるのにもかかわらず、文章能力が未だに培われていないことは非常に悔しいですが・・・
 勉強が足りないのだ、それも承知しております。けど、所詮外国語なので、外国人並みの言語能力は先ず期待できないという考えは常に自己慰めとして負けに備えております。
 結局、やはり外国語ですからね。勉強しても勉強しても、勉強しつくせないものがあり、しかも、勉強したものにしたって、旨く習得できなかったり忘れたりしているため旨く使えないものも多い。加えて、年も人生半ばに近づき、ぼけといおうか強張りといおうか、外国語の更なる上達が難しくなってきているのでは、とも考えております・・・
 尊敬する先生及び友人の皆様、私の書いた稚拙なブログをご覧になった場合、不適切なところにお気づきのときは、どうか悪しからずにぜひ一言ご指摘のほどよろしくお願いいたします。
  天山来客  
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