日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「春の兆し」。「勉強に集中できる環境」。

2011-02-24 09:00:52 | 日本語の授業
 今日は曇り。時折、雨がぱらつくかもしれないとのこと。先週までは「雪がぱらつく」でも可笑しくはなかったのに、不思議な天気です。「木の芽時には云々」というのは、こういうお天気からも来ている言葉なのでしょう。

 とはいえ、昨日はポカポカ陽気でした。と言いましても、室内にずっといた私にはその実感はなく、外から来た人や、外から戻ってきた人が、皆「暑い、暑い。汗かいちゃった」と言って入ってくるので、「ああ、そんなものか」と思ったくらいで、ストーブとの友達関係は切れません。つまり、外から来た人は「ストーブを切りたい」、私は寒いので「切りたくない」で、心理戦での遣り取りが始まります。

 教室でも、エアコンをつけたり、消したり、下げたり、上げたりを繰り返していました。が、それが「職員室で」ともなりますと、それは当然、居座っている者の方が強いですから、私一人が「だめ。ストーブを消してはだめ」と喚いて終わりということになってしまいます。皆は不服顔で上着を脱いだりしていましたが。

 春の兆しは至る所で見受けられます。帰省していた時には、「ホトケノザ(仏の座)」を見つけ、「おお、春だ」と感動したものでしたが、関東はまだそれほど春が近づいてはいないらしく、このあたりでは「ホトケノザ」は見あたりません。とはいえ、学校の台所の隅に、少し芽を出し、だんだんそれが大きくなりつつある植物が植わっている植木鉢を見つけたのです。あれはきっと「アマリリス」か「チューリップ」に違いないと勘をつけているのですが、どうでしょう。

 去年の春には、玄関にチューリップがあったようななかったような、アマリリスがあったようななかったような記憶しかありませんから、しかとは言えませんが、どちらにせよ、もう少し葉が伸びないことには分かりません。

 スーパーや園芸店では、「上巳の節句」に備え、やや早いかなと思われるものの、鉢植えの「モモ(桃)」の木などが売られています。そうなのです。早いもので、来週はすでに「桃の節供」、三月三日なのです。月日は、本当に矢のように過ぎていきます。ついこの間、「鬼は外」と皆で叫んでいたような気がしていますのに。

 ところで、学校です。
 先日、マレーシアから来ている学生が、「日本語能力試験」の通知を取りに来ました。彼は、併せて半年くらいでしょうか、この学校で勉強していたかのは。家庭の事情が許さず、続けたり、途切れたりだったのですが、学校との縁が切れておらず、前回の「「N4」もこの学校で申し込んでいたのです。そのとき彼が話していたことですが、
「私は、本当に勉強したいのです。けれども、お金も時間も足りない(お子さんが一昨年生まれています)。妻は今、博士課程にいます。再来年には卒業できるでしょう。そうしたら、私と交代です。私が大学院へ行き、妻が子供の面倒をみます」

 彼の場合、奥さんが学会で(日本国内だけではありません)、「やれ、ベトナムだ」、「やれ、ヨーロッパだ」と行くのですが、(これもお国柄でしょうか)そのたびに、親子揃って行くのです。これでは当然、お金が足りなくなるでしょう。飛行機代もかかりますし、ホテル代もかかりますから。日本にいる費用だけでしたら、奨学金だけでも、どうにかなるでしょうが、一年に数回、外で出るとなりますと、交通費、宿泊費などがかさみますから、それだけではどうにもなりません。

 というわけで、彼の場合、奥さんが博士課程を無事卒業するまで、じっと我慢の子と決めているようなのです。

 実は、彼がこの学校で勉強していた頃には、まだお子さんは生まれていませんでした。彼は、まず日本語を勉強し、それから大学院を目指すつもりだと話していました。ところが、子供が生まれ、費用が嵩み、どんどんその目論見は外れていきました。ただ彼が勉強したいという気持ちは本物だったと思います。

 大学院へ行きたいという学生の中には、「(国では仕事がないので)何でもいいから箔をつけるために(どこでもいいから)日本の修士か博士の学位を取りたい」くらいの考えで来ている人もいるのですが、彼の場合は、「勉強したい」「研究したい」という気持ちの方が強いということが、(教えている時にも)はっきり感じ取れました。集中力が違うのです、日本語を勉強している時でも。

 ですから、気の毒なのですが、子供がいて、しかもそういう生活をしていれば、それもしようがないことなのかもしれません。もっとも、そういう生活を、私たちが思っているほどには、不満にも思っていないようなのですが(勉強ができないことだけが不満なのです)。

 日本語の勉強をしている時も、奥さんのレポートを英語訳にするのをいつも手伝っていたようでしたし、そのためか、寝不足の顔で教室に来たこともありました。が、赤い目をしても、勉強は必死にやっていましたから、試験を受けた時、学校来られた時と、学校に来られなかった時とが歴然としてわかりました。これほどはっきりしている人も珍しいと思われるほどでした。

 普通、日本語学校に留学生として来る人は、ほとんどが独身ですし、また私たちもそれを望んでいます。もちろん、結婚は個人の自由ですし、産む産まないも二人の問題です。ただ、留学生としてこの学校に申し込むに当たっては、もし既婚者であるならば、勉強に差し支えないかどうかを、必ず、確かめます。なんとなれば、ここは学校でありますから、当然、勉強したい人(能力は問いません、頑張れる人であれば)が来るところですし、勉強できる人(そういう環境が準備できる)に来て欲しいからです。

 無理なことなら、しない方がいいのです。お金も大してない。才能も際だってある方ではない。しかも子供も欲しい。その上、二人とも大学院へ同時に行きたいというのは、無い物ねだりに等しいのです。何かを手に入れれば、何かを失うことになりますし、ある期間、我慢しなければならないことにもなるのです。

日々是好日
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