日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「話」を先に入れてみると、授業がスムーズに進められました。みんなお話ししたかっただけでなく、日本や日本語以外の知識もほしかったようですね。そういう時期に入ったのかと感慨深かった…私です。

2024-07-11 08:22:21 | 日本語学校
曇り。

今朝は、ここ数日続いた「酷暑」が収まった…感。風もムワッと膨らんだ暑さを含んではいない、普通の風。そう思いながら歩いていると、ふとドライフラワー化した「アジサイ」に目がとまりました。

「アジサイ」は「梅雨時の花」と言われるけれど、今年は「梅雨」が始まる前に盛りを迎え、「梅雨」が終わる前にもうドライフラワーになっている…。その隣に大きく勢力を張っている「オシロイバナ」と比べると、少々情けなくなってくる。思わず…栄枯盛衰であるなあ…。

そう思いながらも歩いていると、草の匂いが拡がっている箇所に行き当たりました。「クサ」本来のあの匂いです。見やると、路肩の野草が刈られ、刈られ残りの草があちこちに散らばっていた…。そういえば、いつもこの時期に、ここでは路肩の草が刈られていたっけ。草木同様、人間の活動も決められたとおりに行われている…。まあ、様子を見ながらでしょうけれども。

さて、学校です。

今年の「七月生」は、どうも「留学生」とは思われないような日本語のレベルでやってきているよう。しかも、ちょいとでもレベルが上の人がいないので、注意事項などを簡単な日本語で話しておこうとしても、それもできず、少々不便…。「四月生」相手の時には、どうにかなったようなことでも、なにせ、ポカ~ンとしているので、んんん…もしかして、日本のことをあまり聞いていないまま来ているのでは…とも思ってしまいます。

昨日で(私は)二回目の授業だったのですが、たかが「あいうえお」を言うとか、「第1課の○○は△△です」くらいのものなのに、その二回目の授業(前日の復習)で、まだ言えないという人があちらにも、こちらにも。留学生というのは、多少の差はあっても、一度勉強して来ている内容(一応「N5」に合格しているはず)ですから、「音に覚え」はあるはずなのです。それが言えないと言うことは、「音に覚えがない(読めない人が何人かいるので、『見て(読んで)』ができない)」…。

これでは真っ白で学びに来る「在日生」と同じように対処するしかない…。まあ、皆が同じようなので、「四月生」のように、取り出しで面倒を見る必要もない…から、やりやすいといえば、やりやすいのですが。授業のレベルを下げればいいだけのこと。つまり、復習の時に、「応用」をさせる必要はないということです。ひたすら繰り返して、覚えさせるだけということになります。…こちらから見ればそうなのですが、難点が一つ。彼ら自身が「言えない、できない」ということを、どうも、認識できていない…人がいる、それも一人や二人ではない。

ということは、しょうがないですね。地道にやるしかありません。来てしまっているのですから。

で、今度は二年生の「Bクラス」のことです。

「Aクラス」ではトットコトットコ教科書を進め、このクラスでは、「話す」を重点にしていこうと思っていたのですが、やってみると、随分授業が楽になり、どうもこのやり方は彼らに合っていたようです。

彼らも「(教科書で)学ぶ」よりも、「(教科書というのは)一つのきっかけ」にすぎないと見ているようで、それはそれでいいのです。昨日は、イスラム女性の「ヘジャブ」から話を始めました。前に、イスラム女性二人の「被り物」を見て、違うようだと思って、「どちらも、ヘジャブですか」と訊いたことがあったのです。その時、「こちらはヘジャブ。彼女のはスカーフ」と言われたので、その時は、うん、そうか。

ところが昨日のは違っていました。こちらから見ると、一方は「ヘジャブ」で、もう片方は「スカーフ」。ところが、「二つともヘジャブ」…いくら聞いても違いがわからない。「ヘジャブにはいろいろな形がある」らしい。でもどう見ても、「(あっちは)スカーフでしょ」…。…違う。

まあ、判らないので、そのまま話を打ち切り、ついでに、話の流れから「タペストリー」を取りに行かせ、「イスラム文化」の所を見せ始めた。こういうことは皆で見たほうが勉強になっていい。他の学生達も、言われたページを開き、写真を見ている。写真だけでいいのです。知識を広めることになる。で、見せていると、他の学生からも質問が出てくるそうやって話を進めていくと、「N3」の文法や漢字を教えている時には、あまり乗り気でなかった人達まで、同じようにページを繰って、話を聞いている。

「写真だけでいいからね。カタカナが多いからそれは読まなくてもいい」と言っているとそれなりに、写真を見てあれこれ言いはじめた。主に話に加わったのは、イスラム人五人でしたが、話に加われなくても、前に座っているネパール女子が聞き耳を立てているのが判る。知りたいのでしょう、いろいろなことを。そういうレベルに入っているというのが、ここからも判る。

もちろん、それ以外の話もしましたが、皆がどこかしらで、一言、二言、三言、あるいはもっと話していました。そして、時期を見計らって、教科書に入っていきます。まだしゃべり足りない学生が(本音は「教科書は嫌だ」でしょうけれども)、まだまだと言っていましたが、「教科書を開いて。はい、5課」とやると、素直に開いて、勉強の姿勢。中には「何ページ?」なんて聞き直す輩がいる。そこでまた、皆、爆笑となる。「しばらくこの教科書を見ませんでしたから、忘れましたね」と言うと、それなりに抵抗の言葉を放つ。前までは、下を向いて黙っていたのに。

リラックスできたのでしょうね。なぜか単語の説明も、スムーズに判ってくれ、漢字の読みも前よりも楽にでき、本文も、空を見上げている者(一名)以外は声が揃っていたような気がしました。「教科書」と言うと、難しいとか苦手とかいった気持ちの方が勝って、それが大きな壁になっていたのかもしれません、前は。雑談しながらの勉強…だったから、彼らも楽になったのでしょう。話しているうちに日本語の勘をつけてくれという思いはこの意味では、まずは、合格。

この感じでこのクラスでは、雑談を導入にし、「教科書」を教えていくことにするつもりです。案外、こういう歴史の話に乗ってくる人が多かったのは発見でしたね。知識を入れていく時期に入っているのかもしれません、「言葉のお勉強」と言うよりは。

昨日は、「日本語の授業」とはまた違った面白さがありました。「勉強」から離れると、学んでくれるようですね。これは別に矛盾していません。

日々是好日
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