晴れ。
朝、ドアを開けるなり、ムワッとした空気にまといつかれたような気分になりました。日陰を縫うようにして歩いて来たのですが、この湿度からは逃れられない。乾燥地帯であったら、同じ三十度であっても、こうまで暑くは感じないであろうなどと、汗を拭き拭き考えてしまうのですが。…しかし、私は日本にいる…。日本では、この水分を多量に含んだ重い、ネチネチとした熱気からは、木陰に行こうが、どこに行こうが、逃げられない。単に太陽光だけ脇にやることができるだけのこと…、日陰を選んで歩いていても…。はあ、暑かった。
学校に着いても、しばらくは外と同じ。悪くすると、最初のうちは、籠もっている熱があるだけ、ひどいのかも知れません。思わず、「まさか、私、暖房にしてやしまいね」などと、リモコン確認をしてしまうほど。…もっとも、時間が経てば、それなりに冷えてきます…。
さて、学校です。
「四月生」のクラスは、「七月生」が、三ヶ月後に来るので、それを考えながら、座席を考えることができました。「中級」に入ったときに、ついてこられるかどうかが、一つのポイントです。今年は「十月生」は受け入れないことにしてありますので、「四月生」はもう一度だけは、やり直すチャンスを与えることができます。
同じように、留学生であり、「N5」に合格して来ていると言いましても、実際には、「(N5)試験対策」しか、してくれなかったという(現地の)学校から来ている人もいますし、失敗はしても、一応「N4」の試験まで受けたという人もいます。
留学生ですから、「真っ白な人はいないはず」という前提で、こちらはカリキュラムを組んでいるのですが、中には「白紙状態」の人も来ています(大卒者は「N5」合格という縛りがないのです。一応、大卒者はきちんと勉強することができるであろうということで、この縛りはないのでしょうが、そうとも言えない場合もある)。で、毎年、(教科書の)最初の方は、「復習」のつもりで授業を受けてもらっているのですが(本音では、さらりとやって、早く終わりたい)、白紙で、あるいは白紙同然の状態で来ている人にとっては、勉強の習慣がそれほどなければ、少々どころか、かなりきついでしょうね。
大卒者には、目的が、言語習得にない場合もあり、一筋縄ではいかない場合もあるのです。とはいえ、ここは学校ですし、「一斉授業」をしているので(「取り出し」で、別に教える場合はありますが、それはこちらの判断でするので、それを期待されても困るところ)、日本語の勉強に難があれば、クラスを変わるという形で、もう一度勉強し直してもらうということになります。
今年の四月生も、そう言う人がかなり出そうです。これは何も彼らが不勉強であるというわけでもなく、彼らが通った日本語学校に問題があるとしか言えないのですが。
きちんと「ひらがな・カタカナ」を覚えていないとか、「文法」の意味がわからぬまま、「試験対策」をして、とにかく「N5」に合格させたとか、まあ、様々な理由があるのでしょうが、「ひらがな・カタカナ」が読めない、書けない状態であれば、それでここで「日本語を勉強させてくれ」と言われても、処置無しなので、来日後、きっちりとやってもらうということになります。
最初の「四月生」用のカリキュラムで、ついていけなければ、一応、「七月生」が来るまで、同じクラスで聞いておき(これとても意味があるのです。先が判って習うのと、何が何だか判らぬまま座っているのとでは全く違いますから)、次に備えるということになります。「文字」が書けなければ、宿題もできませんし、(文字が)読めなければ、自分で勉強していくこともできません。
これも、最初から「七月生」クラスに入った方がいいという人と、「動詞の活用」の2,3課前くらいから入った方がいい人、また『みんなの日本語(Ⅰ)』の後半くらいから移った方がいい人など様々です。中には、「ここから判らないから、このあたりから『下のクラス』に入りたい」と言ってくる人もいます。
ただ、クラスは「午前の部」と「午後の部」とに分かれていますので、どうしても「午前にはいけない(アルバイトなどによるのでしょう)場合は、本人に納得させた上で、そのままのクラスにおいておくこともあります。スリランカの学生などは、ヒアリングがいいので、それでも、生活に支障がない程度には、どうにかなる場合もあります。
もちろん、「読み」や「漢字」などはついて行けませんから、あまりいいこととは言えませんが、それでもそのクラスに残ることが希望なら、話し合った上で認めることもあります。その理由には、大きく分けて、人間関係、そしてアルバイトの問題があります。言語学校とはいえ、中にいるのは、性格も違えば、生活条件も違う人達。生活が崩れてしまえば(アルバイトがなくなれば)、勉強どころではありませんし、それで勉強を諦めるよりは、ずっといい…。無理に移してしまうと、わけがわからなくなって学校に来なくなると言うことだってあるのです。
皆、日本人同様、普通の人達ですから、ほんの些細なことでガックリきてしまうことがあります。ストレスと自覚できないようなストレスかな…。彼らは、根性があるとか、困難に負けず頑張れるというような人達ではありません。辛いことがあると、もういいやとなってしまいがちな普通の若者です。学校でしか、笑うときはないという人もいます。
大半は、来日後初めてアルバイトをしていますから、これも辛い。アルバイトがないのも辛い。学校に通いながら、アルバイトもするし、親元を離れて生活していますから、料理も作らなければなりませんし、掃除・洗濯もしなければなりません。おそらく、何も問題がなくとも、ギリギリカツカツで生活していますから、それ以上のストレスは与えられません。
学校では、もちろん、勉強の時には、特に「試験前」はかなり厳しく指導しますし、活も入れるのですが、相手の状態を見ながら、手を緩めたり、彼らが興味を持てそうな話題を振って元気づけたり、まあ、緊張状態が続かないように気をつけています。それも、彼らなりに厳しい状態にあることが(この感覚は人によって違います)判っているからのことなのです。テキトーにやろうとか、ずるをしようとしている人には厳しくとも、頑張っている人達には、エールも送るし、手加減もする。そうやって、どうにか彼らが希望する所へ持っていきたいと思っています。
日々是好日