日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

今週、ネパールへ行くというと、「マスクと傘を忘れないで」と言われました。

2017-06-13 08:29:10 | 日本語学校
今は止んでいますが、今日は一日中、降ったり、止んだりだそうです。梅雨ですものね。降ったり止んだりは当然のこと。ただ「梅雨寒」は、ちと応える…。

今週の金曜日から来週の月曜日まで、ネパールに行ってきます。ネパールは二度目というより、カトマンズは二度目になるといった方がいいのでしょうが。

今年の4月に六人のネパール留学生を入れ、また7月、10月にも予定しているので、面接兼状況調査として行くのですが、ネパールは遠い。直行便もなく、乗り換えに時間がかかり…疲れました。

初めて行ったときには、広州からの乗り換えに疲れ果て…。だって、何もないのです、空港に。空港を面白くしようなんて、不謹慎かしらん。けれども、空港で5、6時間ほども待つ身になれば…、ちょっとは考えてもいいのではないかしらん。中国の偉い人は、その人が来たら出発するわけですから、待つことなんて自国では考えたことがない…だから庶民のことは知らんというわけでもないでしょうに。

広州は都会だから飛行場もそれなりに整備されているだろうと踏んでいたのですが。まず本屋が一軒しか見つからなかった。空港の人に聞いても一つしかないという返事。それも面白そうなものは売っていなかった…。一体どういう人が、あそこに並んでいるような本を買うのでしょうね。あまり商売上手とは思えない。単に「本屋がなければ体裁が悪い。体裁を繕うために、本屋を作った。何を置くか、中身は問うな」というところかしらん。まず、外国人は買わないでしょうから、中国人相手でしょう。いくらお金がだぶついていても、旅行しているのですから。それに、本というのは嵩張る物ですし…。

まあ、それ以外、待っている間、何もすることがなく、かといってどこかへ行けるわけでもなく、本当に疲れました。ただ、空港関係者はとても親切で、きびきびとしていて感じがよかった。中国は変わったということを再認識しました。住んでいるわけではなく、久しぶりの中国でしたから、もろに感じてしまったのです。

というわけで、今回は香港経由です。

学生達に、金曜日から、ネパールに行くと言いますと、皆一様に、マスクと傘を忘れないでと言います。マスクは一度行ってよく判りました。本当に必要です。傘は…雨季だからでしょうね。

ただいつものことですが、ネパールへ行くと言うと、ネパールの学生達がうれしがり、スリランカへ行くと言うと、スリランカの学生がうれしがる。ベトナムもまた然り。ところが中国の学生は、中国のどこへが大切になり、そのどこが自分の所とあまり関係がないと、知らん顔になる。これも面白いですね。国が大きいから、その国の中で「お国自慢」みたいなものがあるのと思っていると、そういうものでもなく、自分の生まれ在所とは関係のない地名を挙げ、そこの方がいいなどと言う。これも面白い。

4月に来た学生達も、その前に一人か二人来ていた学生も、ネパールの学生は、インドやスリランカの学生に比べ、どこかおっとりして見えます。ただ発音に多少難があるようで、可哀想に思える時があります。一人が間違えると、皆して教えようとするので、途端にうるさくなるのも面白い。

うるさくなると言っても、スリランカの学生に時々見られる、あの、人を小馬鹿にしたような雰囲気はありません。ですから、私も叱らない。ああいう雰囲気は多国籍の学校ではいただけません。それに、そういう習慣がついている人は、何度正そうとしてもだめなのです。もう24、5才になっていれば、そりゃあ、染みついて抜けきれませんよね。だから、半年ほども経って変われなければ、睨むくらいにしています。だって、他の国の学生が気の毒ですから。

だいたい私だけでなく、小馬鹿にされた人も、またクラスの他の学生達も、聞いているだけで気分が悪くなります。時には、(彼は)人を不快にさせるのを楽しんでいるのではないかと思えるほど。コンプレックスの裏返しかもしれませんけれども、自分の方が上だと見せつけたいのだろうなと思われます。けれども、こういうスリランカ人は『初級』レベルの文法をうまく使い回しているだけで、「向上」がないので、学校での勉強には向きません。スリランカ人はそういう人に慣れているのでしょうけれども、日本人は慣れていませんから、そういう人が来ると、また来たかと嫌な気持ちになります。人の揚げ足を取るのではなく、ちっとは自分の勉強をしろよと言いたくなります。ただ彼らはそういう強い言われ方になれていないようで、言われると、ハッとなって黙ります。

こういう学校の学生はいろいろな国から来ており、また民族も異なっています。何度練習してもなかなか「ら」と「な」の音の区別ができない人もいれば、「拗音」が発音できない人、聞き取れない人もいます。けれども、一生懸命にしておれば、日本にいるんですもの、問題なく日本語ができるようになります。漢字だって読めるし、書けるようにもなります。

小器用に振る舞っていても、一年、二年と一緒にいるのですから、すぐにお里が知れてしまいます。そうなると、他の国の人から信用されなくなってしまいます。不器用でもいいのです。一生懸命に頑張っていれば、誰かが見ていて、支えてくれる。それがある意味では日本のいいところだと思います。

自分よりできない人ばかり見て、天狗の鼻をますます高くしていく。それよりも、「あの人はこれができる。自分はできない。だから頑張らなくっちゃ」と上を見て努力していける人の方が人には好かれるのです。

あまり不器用だと困るけれども(本人が自信をなくし、やる気をなくしてしまうからです。そのやる気を復活させるのに、こちらの手間や時間がかかったりするのです)、下手に才気走っている者より、一歩一歩進んでいける人の方が学校で学ぶには適していると思います。

もちろん、頭がよくて、一年ほどですぐに「N1」に合格出来るような学生なら、私たちは、新聞や雑誌、書物などを用い、レベルの上の授業をしていきますが。

日々是好日
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