この週末はまた台風が押し寄せてきた。
しかしながら今回の台風は気圧は大したことがなくて被害はそれほどでもないだろうとは考えていた。
ただ、昨日の勤務中、台風の進路と雨の様子が気になって気象庁のホームページを眺めていると雨は相当降りそうだ。先週のトラウマがあるのと少しのサボりたい心も相まって怠け者と呼ばれようが臆病者と呼ばれようがこれは早く家に帰ろうと有休に切り替えてお昼に会社を出た。
結果的にこれがよかった。
家には午後2時過ぎに到着したので月末5倍ポイントセールをやっている釣具屋にかねてから考えていた船釣りの道具のダウンサイジングを考えるべく新しいリールを買いに行った。僕は真鯛釣りはPE2号、タチウオ、チョクリはPE3号を使っている。しかし、いろいろな人の話を聞くとこれは少々オーバースペックなのではないかと思い始めた。
そこで、真鯛は1.5号、タチウオは2号のPEラインに切り替えてみようと思い立ったのだ。今まで使っていたリールに新しいPEライン2号を巻き直しタチウオ用に、1.5号用に新しいリールを追加した形になる。3号を巻いているリールはチョクリと飲ませサビキでまだまだ使えそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/ed/5abcbf538f2c8363169bd853b1ce3518.jpg)
さて、これが効果を発揮してくれるのかどうか・・・。
家に帰ってテレビを見ていると学生時代からの友人から電話があり、「阪和線が止まっているけど、こんなときはどんなルートで帰るの?」という問い合わせであった。別に僕のことを心配してくれているのではなく、和歌山から大阪に帰らせなければならない人がいて、その手立てを知りたくて僕のところに電話をしてきたというわけだ。
それで初めてJRが止まっていることを知った。あわててパソコンを立ち上げて調べてみると、僕の乗った電車がそこを通過した約1時間後に盛り土が抜け落ちたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/6e/e4bb434a06ad4bf8a73e6773bbaef600.png)
今回は僕の怠け心と臆病心が幸いしたようだ。振替輸送の区間は南海高野線経由で和歌山線利用。あのまま会社に居残っていたらどうなっていたことやら。しかし、相変わらずだが、JRというのは一体どんな了見をもっているのだろう。それは確かに、JRも天気のせいで迷惑を被っているのであろうが、乗客のことを考えたら、橋本経由で和歌山市へ向かえとよく言えるものだと言いたい。
翌日は台風一過。
元々休日だったので船の舫いを解いたついでに以前から見に行きたいと思っていた「トンガの鼻」へ行ってきた。地元のNGOか何かが保全のようなものをやっていたとは知っていたが、雑賀崎のどこかというのはわかるのだが、そこがどこにあるのかということはまったく知らなかった。
たまたまホームページをちらちら見ていたら、小学生のころ父親と水軒一文字に釣りに行くために歩いたルートが「トンガの鼻」らしいということがわかった。
当時、水軒地の一文字に向かうルートは二つあって、船を係留している港付近から海岸線をたどってゆく道、それと今は廃墟のようになっている七洋園という旅館の横から山道を越えてゆく道であった。
確かにこの看板の横にカブを置いて二人でたくさんの荷物を持って木の生い茂っている山道に入って行ったように思う。いつもボラ釣りに連れて行ってもらっていたので大量のヌカを背負わなければならないのだ。父親は小柄な人で体重は40kgそこそこしかなかった。今思えばよくあんなものを背負って山道を歩いたものだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/8f/768019108e8bb0cfcfaaeb5c96c12081.jpg)
僕はこの道が気持ち悪くて嫌いだったのだが、海岸線を行くルートは満潮時には通れなくなるのでいつもこの道を歩いた。
防波堤への最後のアクセスはほぼ垂直の崖をロープを伝って下りてゆく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/03/b1a945bc2be489fc980e2228d6227291.jpg)
そこは今も変わってはいなかったけれども道中は当時の記憶とはまったく変わってしまっていた。狭い山道は切り開かれ、左には番所の鼻もよく見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/2c/0b899e3c48391b22f4995ffc2e54db2b.jpg)
そもそも、“鼻”という名前がついているので岬状の地形のはずだけれどもそこがピンと来なかった。しかし、看板を見ると確かに岬状の地形になっている。
ここの北側はすでに埋め立てられているのでそんなことがまったくわからなくなってしまっていたのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/4e/0e6d3d6454dfd750a182853897b9d110.jpg)
一文字へ下りては行かなかったが、この道を辿ったのは多分40数年ぶりのことだった。
昨日の幸運と今日の新しい発見は新しいリールに光を当ててくれるだろうか・・・。
しかしながら今回の台風は気圧は大したことがなくて被害はそれほどでもないだろうとは考えていた。
ただ、昨日の勤務中、台風の進路と雨の様子が気になって気象庁のホームページを眺めていると雨は相当降りそうだ。先週のトラウマがあるのと少しのサボりたい心も相まって怠け者と呼ばれようが臆病者と呼ばれようがこれは早く家に帰ろうと有休に切り替えてお昼に会社を出た。
結果的にこれがよかった。
家には午後2時過ぎに到着したので月末5倍ポイントセールをやっている釣具屋にかねてから考えていた船釣りの道具のダウンサイジングを考えるべく新しいリールを買いに行った。僕は真鯛釣りはPE2号、タチウオ、チョクリはPE3号を使っている。しかし、いろいろな人の話を聞くとこれは少々オーバースペックなのではないかと思い始めた。
そこで、真鯛は1.5号、タチウオは2号のPEラインに切り替えてみようと思い立ったのだ。今まで使っていたリールに新しいPEライン2号を巻き直しタチウオ用に、1.5号用に新しいリールを追加した形になる。3号を巻いているリールはチョクリと飲ませサビキでまだまだ使えそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/ed/5abcbf538f2c8363169bd853b1ce3518.jpg)
さて、これが効果を発揮してくれるのかどうか・・・。
家に帰ってテレビを見ていると学生時代からの友人から電話があり、「阪和線が止まっているけど、こんなときはどんなルートで帰るの?」という問い合わせであった。別に僕のことを心配してくれているのではなく、和歌山から大阪に帰らせなければならない人がいて、その手立てを知りたくて僕のところに電話をしてきたというわけだ。
それで初めてJRが止まっていることを知った。あわててパソコンを立ち上げて調べてみると、僕の乗った電車がそこを通過した約1時間後に盛り土が抜け落ちたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/6e/e4bb434a06ad4bf8a73e6773bbaef600.png)
今回は僕の怠け心と臆病心が幸いしたようだ。振替輸送の区間は南海高野線経由で和歌山線利用。あのまま会社に居残っていたらどうなっていたことやら。しかし、相変わらずだが、JRというのは一体どんな了見をもっているのだろう。それは確かに、JRも天気のせいで迷惑を被っているのであろうが、乗客のことを考えたら、橋本経由で和歌山市へ向かえとよく言えるものだと言いたい。
翌日は台風一過。
元々休日だったので船の舫いを解いたついでに以前から見に行きたいと思っていた「トンガの鼻」へ行ってきた。地元のNGOか何かが保全のようなものをやっていたとは知っていたが、雑賀崎のどこかというのはわかるのだが、そこがどこにあるのかということはまったく知らなかった。
たまたまホームページをちらちら見ていたら、小学生のころ父親と水軒一文字に釣りに行くために歩いたルートが「トンガの鼻」らしいということがわかった。
当時、水軒地の一文字に向かうルートは二つあって、船を係留している港付近から海岸線をたどってゆく道、それと今は廃墟のようになっている七洋園という旅館の横から山道を越えてゆく道であった。
確かにこの看板の横にカブを置いて二人でたくさんの荷物を持って木の生い茂っている山道に入って行ったように思う。いつもボラ釣りに連れて行ってもらっていたので大量のヌカを背負わなければならないのだ。父親は小柄な人で体重は40kgそこそこしかなかった。今思えばよくあんなものを背負って山道を歩いたものだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/15/3f090f2c2dd8201cc25b4da1f90dea60.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/8f/768019108e8bb0cfcfaaeb5c96c12081.jpg)
僕はこの道が気持ち悪くて嫌いだったのだが、海岸線を行くルートは満潮時には通れなくなるのでいつもこの道を歩いた。
防波堤への最後のアクセスはほぼ垂直の崖をロープを伝って下りてゆく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/ce/6ba2fbe1d68e3dc6e52a23cfd80060f5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/03/b1a945bc2be489fc980e2228d6227291.jpg)
そこは今も変わってはいなかったけれども道中は当時の記憶とはまったく変わってしまっていた。狭い山道は切り開かれ、左には番所の鼻もよく見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/ac/1879ff84d059d545eb9152eebf4fe455.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/2c/0b899e3c48391b22f4995ffc2e54db2b.jpg)
そもそも、“鼻”という名前がついているので岬状の地形のはずだけれどもそこがピンと来なかった。しかし、看板を見ると確かに岬状の地形になっている。
ここの北側はすでに埋め立てられているのでそんなことがまったくわからなくなってしまっていたのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/4e/0e6d3d6454dfd750a182853897b9d110.jpg)
一文字へ下りては行かなかったが、この道を辿ったのは多分40数年ぶりのことだった。
昨日の幸運と今日の新しい発見は新しいリールに光を当ててくれるだろうか・・・。