イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「キリンの子 鳥居歌集」読了

2017年10月13日 | 2017読書
鳥居 「キリンの子 鳥居歌集」読了

「鳥居」という歌人を知っているだろうか。ネットでの紹介文を拾い集めてまとめると以下のような感じになる。

三重県出身。自殺、貧困、虐待、いじめ、不登校、DV、ホームレスなどの現代日本社会が抱えるさまざまな不幸をその生い立ちに抱えた天涯孤独の少女だ。
2歳で両親が離婚し、小5の時には目の前で母に自殺され、その後は養護施設でいじめや虐待を受け、満足に食べ物や服も与えられぬまま、ついには不登校に。施設を出てからは、親類からの嫌がらせが止まらずDVシェルターへ避難したり、血のつながりのない人の家を転々としたり、ホームレスを経験した。学校に行けなくなってしまったために、養護施設の職員が読み捨てた新聞で文字を独習したのだという。
現実が何もかもいやになった時、図書館で出会ったのが「短歌」だった。短歌の持つ「孤独のにおい」に自分と同じものを感じ、生きづらい現実を異なる視点でとらえるための「短歌」に惹かれながら、すがるように独学でよむようになった。
現代歌人協会の2012年の全国短歌大会で、穂村弘さん選で佳作に選ばれ、短歌界で最も歴史ある「第61回現代歌人協会賞」受賞。
「鳥居」とは、神の世界と人間の世界をつなぐ結界である。このペンネームには現実と非現実、2つの世界の境界を越え、自由に行き来できるような力を短歌に宿したい。同時に年齢や性別を超える存在になりたい、という思いが込められている。
こんな境遇のひとがいるのだということにも驚きであるが、そんな人が短歌を詠むとは・・・。

こんな環境だったので中学は“形式卒業”という形になっていて夜間中学などで再度学びなおそうとしても受け入れてくれないそうだ。そんな境遇の人々というのは歌人のような人だけではなく、不登校を経験した人たちもあてはまり、学びの機会をもう一度得たいという気持ちと、ちゃんと中学を卒業しなければセーラー服を脱ぐことができないという気持ちでセーラー服を着続けて活動をしているらしい。

短歌のことなどまったく分からないけれども、こんな悲惨な境遇を詠んでいるにもかかわらずその雰囲気は淡々としていてむしろ透明感さえ感じる。友人が目の前で電車に飛び込んで自殺をしたという場面を詠んだものもあったけれどもそれさえも生々しさを感じない。
短歌とはこういうものなのだろうか、それともこの歌人だからこその詠み方なのだろうか・・。
それでも世の中を悲観しているふうでもなく、中には家族のすばらしさ、自然のすばらしさを詠んでいるものまである。そういう、何かに光明を見出せる人だからこそこうやって世の中に出ることができたのだとは思う。
僕にはそんな感性があるわけはなく、この歌集に勇気付けられるようには思わないけれども、歌人のように世の中の嫌なこと、嫌いなこと、ついでに嫌いな人にも何かの光明を見つづけて生きたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする