イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ベーコン」読了

2021年05月25日 | 2021読書
井上荒野 「ベーコン」読了

「文学は美味しい」という本の中に紹介をされていて、冬になるとベーコンづくりに勤しむ僕としてはタイトルだけでこれは読みたいと思ってしまった。だから作家の名前はまったく知らず、この名前からでは男性か女性かということさえわからなかった。

「ベーコン」というタイトルも、収録されている短編のひとつであるが、すべてに共通するテーマは、「なんでもない日常のゆらぎがもたらす小さな波紋」とでも言えるようなものだ。
先に読んだ本の中にも書かれていたが、真空と言われる空間の中では常に空間がゆらいでいてそのゆらぎの中から正の電荷をもった粒子と負の電荷をもった粒子が生まれてくる。そのほとんどは対消滅して再び真空の中に消えてゆくのであるが、そのなかのいくつかの物質は消えずに残ることがある。これが宇宙に物質が存在する要因となっているのだが、この物語もそんな粒子のように、主人公たちのなんでもない日常のなかに突如現れた小さな粒子が男と女の間に小さな波紋を引き起こす。
そしてその波紋は何事もなかったように消えてゆくのであるが一番身近な人たちには秘め事として残ってゆく。
その中で、ひとつの物語のなかにひとつの料理が登場する。
あるときは一粒の粒子を拾ってしまった専業主婦がつくる家族の好物であるアイリッシュ・シチュー。あるときは長い逢瀬の末に作ってみたけれどもやっぱりあの頃の味には戻れないほうとう。そしてベーコンは主人公が4歳の時に恋人と家を出て行った母親たちが育て始めた豚の肉で作ったベーコンの味なのである。母親の葬儀のとき初めて出会ったその恋人に密かな好意を抱き始める。
特に重要なキーを握っているわけではないけれども主人公の心情をうまく代弁しているようにも思える。

すべての粒子は対消滅するかのように日常の中に消えてゆき、また何もない日々に戻ってゆく。
ひとは退屈する生き物である。何もない日常に対して常に波紋を求めている。そんな願望をひっそり浮き彫りにしている短編集だった。

著者について調べてみると、直木賞作家だった。読んでいる途中でなんとなくこのストーリーは男には書けないだろうと思ったがやっぱり女性だった。荒野というのは本名らしいが、親もよくこんな名前を付けたと思ったが、著者の父親もかなりの人だったようだ。井上光晴という作家だが、瀬戸内寂聴と不倫関係だったことが寂聴の仏門入りのきっかけを作ったということだ。
生前の経歴も詐称していたという。しかし、娘の荒野は、『出身地や逮捕歴などの経歴は例えば「入ってもいない大学に入学した」などとは別の種の虚偽であり父は自分を小説化したのだと語っている。』そうだが、これはこれでかっこいい表現だと思う。
やはり父親も波紋を求めていたということだろうか・・(不倫する時点で相当な波紋をおこしていると思うけれども・・)

著者の作品が収録されている本をもう1冊借りている。その本を読むのが楽しみになる短編集であった。
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