イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「生命海流 GALAPAGOS」読了

2021年09月22日 | 2021読書
福岡伸一 「生命海流 GALAPAGOS」読了

福岡伸一の新刊本が出ていた。コロナウイルスが猛威を振るう直前、ガラパゴス諸島への5泊6日の旅に出ていたそうだ。その旅の内容をまとめたものである。
今年の春からだったようだが、購読している新聞でこの人のコラムが始まった。「ドリトル先生ガラパゴスを救う」というタイトルで、さすがに今さらドリトル先生を読むほどの歳でもあるまいと興味を示すこともなかったのだが、この旅がコラムのひとつのモチーフになっていたのかもしれない。
そんなところからもこの本に興味を覚えた。

著者のエッセイはそこそこの冊数を読んでいる。科学者の視点から世間一般を俯瞰するものの見方は面白く、また、理科系のひとではあるがその文体は紋切り型というのではなく、深みがある。
今回も期待したけれども、残念ながらどうもそういう独特な視点というものが感じられなかった。ガラパゴスに行って、紀行文を書きましたという感じだ。
紀行文に入る前の前段、それが66ページという長い文章で書かれているのだが、どちらかというと、この部分だけが、ああ、福岡伸一らしい視点だなと思える部分であった。
その部分は、どうしてガラパゴスに興味をもったのかということや、著者が一般向けの本を書くきっかけとなったこと、数々の編集者との出会い、そして、名編集者とはどんな人か、そういったことが書かれている。ちなみに名編集者とは、『文字を書いて文字だけで自分の居場所を作り出す。これは大変な仕事である。編集者は、その大変な仕事を自分ではせずに、人にやらせるという(ずるい)職業である。』のだが、『こっちが一番やってほしい事は相手の一番出したくないものだから、それをつかみ出して作品にする。』というような人のことをいうのであるとここには書かれている。

そこから僕が勝手な想像をめぐらすと、ガラパゴスへは行ったものの、その大自然の圧倒的な迫力に押されて通り一遍の感想しか思い浮かばなかった。なんとか福岡伸一らしさをだそうと考えた構成がこれであったのではないかというところだ。それが自身の案だったのか、編集者の手腕だったのか、それは知る由もない。
ただ、この66ページの長い前段はきっとその言い訳ではなかったのかと思ったりしてしまうのである。

ただ、本文のほうはそんなに中身がないのかというとそんなことはない。
著者がガラパゴスに行き知りたかったこと。それは、ガラパゴスの三つの謎と呼ばれるもの、
「この島に生息する奇妙な生物たちはどこから来たのか?」
「なぜ、このような特殊な進化を遂げたのか?」
「ガラパゴスを発見したのは誰か?」
に迫ることと、
「エクアドルが領土としたこの島をなぜ保全への道を選んだのか。」
ということであった。
ちなみに、ガラパゴス諸島は、地勢的な面から見ると、南米大陸に対して軍事的な拠点としては重要な位置にあるそうだ。アメリカやイギリスが領土としていたら、間違いなく軍事拠点として大がかりな開発がなされていたであろうと想像されているらしい。

そしてこれがもっとも興味があったテーマであったと思うのだが、「ピュシス」を確かめることでダーウィンが思索した「ロゴス」が必然的に見つけられるのか、もっと突き詰めると現代の世界のこの姿は必然であったのか、そういうことを見たかったのではないかとも思うのである。
「ピュシス」とは自然という意味で、「ロゴス」とは論理、言葉、思想を意味し、「論理的に語られたもの」「語りうるもの」と解釈されている。人は自然の中から生まれ、意識を持つようになり論理的な思考を持つようになった。その思考回路というのもが本当にピュシスの延長線上にあるべきはずのものであったのか。そしてそこに人間の本質があるのではないかと考えたのだと思う。

ガラパゴスの三つの謎、保全への道については、ウイキペディアなどに載っていることくらいのものしか書かれていないが、天敵の不在が創り出した特異な生態系を目の当たりにして、『競合、闘争、そして交配が最優先されるニッチ世界では、遊び、冒険、好奇心といった生産に直接結びつくことのない行動、つまり”余裕”は無駄なもの、いや、それ以上に不利なものとなってしまうだろう。』
『ガラパゴスに出現したガラ空きのニッチは、生物が本来的にもっている別の側面がのびのびと姿を現すことができた。』
と書いている。
まあ、確かに、こんなギスギスした現実というのが本来のこの世の在り方なのだとしたら生きるということの意義をいったいどこに見出せばいいのかと思ってしまうのだ。
しかし、現実のニッチはぎゅうぎゅう詰めで、そこに無理やり別次元のニッチを作り出そうとしたのが宗教なのだとしたら、救いを求める先でも救いがないということになる。確かに救いはない・・。

ガラパゴス化というと、時代遅れで、もうその先はないのだというような例えに使われる言葉だが、著者は、『ガラパゴスは進化の袋小路ではない。ガラパゴスはあらゆる意味で進化の最前線であり、本来の生命の振る舞いを見せてくれる劇場でもあるのだ。』と締めくくられている。

本当のピュシスからロゴスへの延長線はここにしかないのであると著者は言いたかったのだと思うのだ。

この本の本筋とはまったく関係がないが、面白い箴言をふたつみつけた。これはきっと魚釣りの道にも通じるものに違いないとおもうので最後に記しておきたいと思う。

ひとつは、研究者の心得として書かれていたものだ。
「試すこと。待つこと。そして諦めること。」
もうひとつは、
デュマの小説、「モンテ・クリスト伯」の最後の台詞。
「待て、しかして希望せよ。」

諦めるか希望を持ち続けるか・・・。午前10時を過ぎる頃、いつも悩んでいるのである・・。

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