イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2018年05月15日 | 2018釣り
場所:水軒沖
条件:大潮 5:44満潮
釣果:ボウズ

例年ならすでにアジとサバが水軒沖に回遊している時期であるが、今年は未だいい話を聞かない。(まあ、去年も大漁だったのはもう少し後ではあったのだが・・)それでも一縷の望みをかけて水軒沖に出かけてみた。

まあ、結果は自ずとまったくダメ。空も魚探のモニターも一点の曇りもない。

 

やっぱり群れはまだ到着していないようだ。元々今日は長居をするつもりはなかった。義理の父親が入院したので午前中に様子を見に行きたかったのだ。



ただ、僕以外に3艘のチョクリの船が出ていたので、まったく釣れないわけでもなかったのではなかろうかと思ったりもするのである。



半月ほど前であろうか、どうも胸の調子が悪いということで検査をして、やっと入院することになった。あまり症状はよくないようで、本人もかなり弱気になっている。ポッとつぶやいた言葉が、「やることはやってきたから・・」であった。多分、その後ろには、「悔いはない。」という言葉が続くのであったのだろう。僕はただ、あぁ、そう言えるんだ・・・。としか思いが浮かばなかった。僕が知る限り、とにかく家族第一で過ごしてきたように思う。僕はまったく大したことがない息子であったけれども、娘はたったひとりの孫を医学部に合格させ、妹も旦那のほうが再婚とはいえ開業医に嫁ぐことができた。表向きは姉妹ともいいところまで行かせることができたというのがその言葉の裏にあるのだろうか・・・。

そして誰が見ても真面目一筋のような人であった。義理の母の葬儀の時、火葬場で火をつけるボタンを押す際、人差し指をくるっと一回りさせて指差し確認をしてからボタンを押したのを見て、あぁ、多分、この人は家族のために仕事だけをひたすら頑張ってきたんだろうなとそれだけを思った。会ってもあまり話すことがないのでなんとなく苦手であった。
だから、そういう言葉を聞いて、「あぁ、そう言えるんだ・・・。」と思ってしまう。僕とは正反対なのだ。家族と仕事はまあ、適当に、僕は僕でやりたいことをやりたい。僕の父親は亡くなる前、病院のベッドの上で、「まだまだやりたいことがいっぱいあるんだ。」と言っていた。べつに何かの野望があったのではなく、細かな遊びをセコセコともっとやりたいとそんな意味だったと思う。だから、きっとこの世に未練を残しながらあの世へ行ったのだろうなと思っている。そういうのが普通なのだとずっと思っていた。僕自身もそんな感じで悶えながら死んでいくのだと思っているので「やることはやってきたから・・」という言葉が複雑に伝わってきた。誰かのために生きているのかどうかということだろうか・・・。やることはやってきたとはいえ、まあ、もう少しは余生を楽しんでもらいたいとは思うのである。

病室を訪ねて間違えて開けたカーテンの先のベッドに座っていたのが、あのオジイやんズのメンバーのひとりであった。最近全然港で見かけなくて、どうも体を壊していると聞いていたけれども本当に入院していたらしい。世間は狭いね~と話し合ったのだけれども、まあ、明後日めでたく退院ということで、こっちは何よりである。ただ、もう船に乗るのもしんどいので買いたい人があったら売りたいんだよということだ。これはこれで寂しくなる。港では今では最長老格のひとであるので、そんなひとがまた引退を考えなくてはならないというのは悲しくもあるのである。
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