イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「笑いのこころ ユーモアのセンス」読了

2018年05月11日 | 2018読書
織田正吉 「笑いのこころ ユーモアのセンス」読了

笑いのメカニズムみたいなものを分析した本だ。最近笑えることがあまりにも少なくなりこういう本を読めばすこしは笑いを取りもどせるかもしれないと手に取ってみた。

人はどういうときにおかしく思いそれが笑いにつながるか。
予想通りの答えだが、自分の常識からかけ外れたものに出会うところにおかしさが現れる。それを利用してギャグやナンセンスを作り出すというのがお笑いである。
そしてこの本は常識に囚われることに対して警鐘を鳴らす。ある一つの考え方に固執していては新しい考えが出て来ないし、他人の考えを受け入れることができない。それを荘子やガウディ、三島由紀夫などのエピソードや作品を例に上げて説明をしている。それを理解できるのがユーモアのセンスである。

そういう意味ではユーモアのセンスを磨くには知性と知識が必要である。最近は誰かが何かを言うとすぐに揚げ足を取って批判をする人ばかりだ。僕はセクハラを容認しているわけではないが、アソウさんなんかはユーモアたっぷりの話し方をすると思っている。日本の国の大半の人たちはそのユーモアを理解する余裕も知性も知識も持ち合わせていないようだ。まあ、発現する場所を考えない(考えてわざとやっているのか?)というのがアソウさんの最も悪い所ではある。ただ、あれだけ部下を守ってくれる上司は今時いないとも思う。なんたって叔父さんはあの吉田健一だ。センスと知性と知識は本物だろう。
野党の方々やネットを炎上させる方々も、同じである。クレーマーの方々もしかり。どんどん世知辛い世の中になってくる。言論統制をされている独裁国家のようだ。自由を叫ぶ人ほどユーモアのセンスがないのじゃなかろうか・・・。

柳田國男は笑いが嫌いだったそうだ。笑いというのは敵に勝った時に笑い、騙されたときに笑われる。笑いは攻撃の方法であるというのだ。笑われるものは精神的に傷つき、笑いに飢えたものは笑われるものを求める。その対象は弱者に向けられる。これはユーモアではない笑いの種類になるけれども、僕も同じように、釣り番組で魚を釣り上げてバカ笑いするアングラーに好感を持てない。命のやり取りの場に笑いは要らないだろうと思うのだ。だから僕はけっこうブスッとした顔で釣りをしていることが多いと思う。決して釣りが面白くないわけではない。

そして最近の僕の笑いは愛想笑いばかりだ。いつも嫌味を言われる会議でボスの面白くない冗談だかなんだかわからないものにとりあえずひきつった笑いを浮かべる。通路ですれ違ったときにも表面だけ愛想笑いで逃げ腰に針路を変える。笑いは免疫力を高めて寿命を伸ばす効果があるなどともいうけれどもひきつった笑いはきっと寿命を縮めているに違いない。

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