まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第32番「観音正寺」~西国三十三ヶ所巡り・33(繖山に挑む・上り)

2015年10月10日 | 西国三十三所
私事ながら、昨日10月9日は誕生日。年齢は・・・さておくとして、まあ、今更誕生日を祝ってどうのこうのという歳でもない。

ただ、これを機に何かけじめになるようなことをしたい。ならばということで、そろそろ終盤戦を迎える西国三十三所巡りである。誕生日の翌日である10日に出かける。ちょうど、これからの身体健全を祈るにはいいかもしれない。行き先は前回の丹後の松尾寺でのサイコロの出目により、安土にある観音正寺である。

この観音正寺、安土の繖山(きぬがさやま)の山中にある。標高は433メートル。山の上にあることの多い西国の札所にあって最難関の一つとされている。身体に負荷をかけてこういう山を登るのも、誕生日を迎えて新たに気を引き締めるのにいいだろう。

観音正寺そのものは聖徳太子により開創されたとあるが、名前として広まっているのは「観音寺城」である。以前、「信長の野望」のゲームをやっていたが、南近江の領主は観音寺城を本拠とする六角氏である。ただこの六角氏が弱小大名の設定で、ゲームでもすぐに滅ぼされてしまう。逆に六角氏でプレーして全国制覇をするのは至難の業とされている。そんなこともあって名前は以前から聞いたことがある。ただ実際にそこに行くのは初めて。

観音正寺へのアクセス方法だが、クルマなら山の中腹まで林道を上ることができる。ただ公共交通機関となると、JRの能登川駅からバスで麓のバス停まで出て、裏参道を40~50分上るとある。一方で表参道もあるのだが、上り口の石寺集落は安土駅から4キロほどのところにある。そしてそこから1200段の石段が続く。また、安土駅から安土城近くの文芸の郷まで30分ほど歩き、そこから桑實寺を経て繖山を登るルートもある。さてどのルートを通るか。

能登川からバス利用も考えたが、どのルートでも結局は繖山に登らなければならないのだから、表参道から行くことにする。安土駅から麓の石寺集落にたどり着くまでが時間がかかるが・・・・。

朝に大阪から新快速に乗車。しかし安土は新快速が停まらない駅である。一つ前の近江八幡で下車して、10分以上待って次の列車に乗り(それならば、もう少し後に大阪を出る快速に乗ればそのまま来れた)、安土で下車する。私は安土のことを「安土町」だと認識していたのだが、平成の大合併で、実はここも近江八幡市に合併されたというのに初めて気づいた。商人の町として知られる近江八幡と、織田信長の安土というのが一緒になるというのはイメージしにくいが、近江八幡とすれば信長という魅力的な観光スポットを手にしたというくらいのものだろう。

窓口の横に、西国巡りのJRのスタンプがあったので先に押す。スタンプは安土駅と観音正寺境内にある。駅でのスタンプは改札または窓口の係員に言って押してもらうのだが、安土駅は時間帯によっては窓口が閉まり、係員も不在となるようだ。そのため、スタンプは窓口の外に出して自由に押せるようになっている。

駅前には織田信長の銅像が出迎える。レンタサイクルの店もある。一応は観光地の玄関のようではあるが静寂な感じである。駅舎は線路の北側にあるが、繖山は線路の南側。まずは徒歩で観音正寺を目指すということで、地下道をくぐり南側に出る。ここから石寺を目指すのだが、「ぐるっときぬがさコース」として、自転車、歩行者向けに繖山の周りをぐるりと回る形での散策コースが設定されている。

駅から10分ほどのところで、由緒ありげな林に出る。沙沙貴神社(ささきじんじゃ)。少彦名神を祀るとともに、平安時代からは佐々木源氏一族の氏神として信仰を集めたところである。境内に入るとちょうど祈願が行われており、弊殿内の神主の祝詞がスピーカーで境内全域に聞こえている。私も、観音正寺参詣を前に、ここで手を合わせる。

本殿の横には権殿がある。ここには日露戦争の二〇三高地の激戦で知られる乃木希典も祀られている。説明を読むと、乃木というのも佐々木源氏をルーツに持つ一族であり、明治天皇没後の殉死で神格化されたようなところもあってここで祀られることになったようだ。権殿の前には乃木希典のお手植えの松もある。いや、安土に来てこの人の名前に触れるとは全く予想していなかった。

目指す繖山はこのような形。あの頂上まで登らなければならないというのは結構ハードに思う。それでも、ここまで来れば歩いて行かなければならない。

旧安土町庁舎(現在は近江八幡市役所の支所扱い)を過ぎ、集落を歩く。田園が開けるところに出る。進行右手の先に、新幹線の線路が姿を現す。場所で言えば、線路の南側はロッテの工場である。新幹線に乗った時のこの辺りの車窓を思い起こすことができるような方であれば、「あの辺か」とお気づきだろう。

しばらくは新幹線の高架を遠くに見て歩くが、さすが東海道新幹線。数分おきに新大阪方面、あるいは名古屋・東京方面から列車がやって来る。しばらくヒュンヒュンという通過音を響かせて遠ざかって行くが、その頻度というのが実に数分おきなのである。確かに「のぞみ」「ひかり」「こだま」の三種が並んでおり本数は多い。実際に歩くだけでも何本もの列車の通過が見られる。最初こそカメラに収めたが、そのうち慣れて気にならなくなった。

ただ逆に目をやると、繖山である。ちょうど山上近くにお堂のようなものが見える。そこが、これから目指す観音正寺である。

石寺に到着。地元産の野菜などの直売もある石寺楽市の建物。ここ石寺は日本で最初の楽市が開かれたとされるところ。今は観音正寺の表参道の玄関口である。店の前には竹杖が相当数置かれているが、この日は繖山に登った帰りは反対側の桑實寺経由のルートで駅に戻るつもり。たから杖を借りても元に戻すのはかなり後になりそう。

集落の歩道脇に、観音正寺まで十二丁の距離というのを示した石標がある。これまで西国巡りをする中で、いくつかの札所はこうした山道で「○丁」という石標を頼りに、あるいは励みに登ったものである。今回の十二丁はそれらより短いように思うが・・。

コンクリートの坂道を上り、日吉神社に着く。ここまでは軽トラくらいなら坂道をクルマで登ることができる。ただその坂道も途切れ、石段が続く。距離はそれほどでもないのだろうが、勾配はキツイ。このところ歩行不足もあるのだが、これは結構キツイ。そんな中、上から軽快に「こんにちは~!」と声をかけて降りてくる人もいる。

表参道の途中で駐車場に出る。クルマでの参詣なら林道で上がってくることができる。ただ最後は石段を歩くことになる。もっとも駐車場から上は石段の真ん中に手すりも設けられており、手すりには法話というかことわざを書いた木札がぶら下がる。下から33番で、番号をさかのぼる。こういうのを見るのも励みだが、それでも時折立ち止まる。石寺までの1時間の歩きの影響もあるのかもしれない。

途中立ち止まったりはしたが、結局石寺からは30分弱で境内にたどり着く。参詣客はクルマで来たとおぼしき人もいる中で、完全なハイキングスタイルの人も。私も下から徒歩で上がってきたというものの、出で立ちはそうしたハイキングスタイルではなく、ただの町歩きの延長である。気候はすっかり秋だが、ここまでの歩きで汗びっしょり。まあ、前回の松尾寺は独立リーグ観戦がセットだったといえクルマで山上まで登ったこともあり、その分も安土駅~観音正寺まで歩いたということにしておこう。

これから参詣である・・・。
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