まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第3番「粉河寺」~西国三十三ヶ所巡り・2

2014年09月28日 | 西国三十三所
パ・リーグの優勝争いがいよいよ混沌としてきた。この28日の両チームの勝敗が命運を大きく作用するが、もちろん最後の直接対決はどうなるか見当がつかない。「近鉄」のこれまでの優勝と言えばだいたいが最後までもつれ、劇的なシーンが入っている(平野のバックホームに始まり、ブライアント4連発、ローズ55号&中村ノリの逆転サヨナラ、そして北川の代打逆転サヨナラ満塁本塁打・・・)。また優勝を逃しても「10・19」というのもあるし・・・。何だか最後に、後々まで語られる何かが起こりそうだ。

さすがに現地応援とまでいかず、平日はテレビ観戦も無理。だからというわけではないが、何かできることとして、ここはかつての本拠地からということで、また葛井寺に参詣。観音さんに願掛けをしてきた。果たしてどうなるか・・・。

という前置きの後で、話は8月までさかのぼる。

西国三十三ヶ所巡りの第一番ということで葛井寺を訪れた。9月の青岸渡寺に行く前のことで、とりあえずはまあ、こんなものかというところである。

そして手元には青春18きっぷの1回分が残っている。ならば日もあることだし、もう1日JRの沿線に出かけることにする。・・・となると、第2番の紀三井寺と第3番の粉河寺を1日で回るのがいいかな。

札所の順番で行けば先に紀三井寺に行くのだが、ここはあえて粉河寺から行ってみる。藤井寺からだと近鉄で河内長野、南海で橋本まで行きJR和歌山線というのが近いのだろうが、さらに遠回りして近鉄で一旦御所まで行き、御所からJR和歌山線に乗る。なかなか乗る機会のない線であるし、青春18きっぷの効力を少しでも発揮させようというところである。

8月末の朝、近鉄の御所に降り立つ。JRの御所駅は歩いて3分のところにある。次の列車はおよそ30分後。少し駅前を歩く。

シャッター通りの商店街を抜けると「御所まち」というのが広がる。かつての高野街道に沿って栄えた陣屋町であり、今でも古い町並みが保存されている。観光地化されたというより、普段の生活とともにある町である。

JRの御所駅もそんな「御所まち」の雰囲気に合わせたかのような木造駅舎である。ここから乗るのはブルー一色の105系。これで延々と粉河まで下って行く。

吉野口で列車行き違いのため停車。ここは近鉄吉野線とホームが共同で使われている。近鉄側も列車の行き違いのようで急行が停車中で、のんびりした時間が流れる。一度駅舎の外に出る。「世界遺産吉野へは、近鉄で終点吉野までお越しください」という表示がある。吉野口はだいぶ手前である。

ただそんなローカル駅であっても観光地の玄関口であるためか、JRと近鉄のジャンクションであるためか、ホーム待合室には売店があり、駅弁も売られている。ここで小腹用に「柿の葉寿司」を買い求める。これだとちょいとつまむのに適している。

五条を過ぎ、和歌山県に入って橋本に到着する。ここで4両編成の後2両を切り離して身軽になる。これから和歌山に向けて客も増えると思うのだが逆に切り離すとはねえ。橋本から南に向かえば高野山である。西国三十三ヶ所札所はいろんな宗派の寺院があるが、その中でも真言宗が多い。御礼参りは善光寺でなく高野山でもよいとする考えもあるそうだ。

紀ノ川に沿って走り、粉河に到着。なんやかんやで自宅から3時間近くかかった。やはり大回りすると時間がかかる。和歌山から粉河までの区間列車の設定もある。

改札を出る。今は係員がいるが、時間帯によっては昼間でも無人となるため、三十三ヶ所の駅でのスタンプは外に出されている。本当は朱印を受けた後で係員に朱印帳を見せてスタンプを押してもらうのだが、ここもフリーである。忘れないうちに先に押しておく。

粉河寺までは歩いて10分ほど。駅から一本道である。かつては参道で、門前町の風情もあったと思われるが、今は立派な車道が続く。両サイドの歩道には「粉河寺縁起絵巻」のパネルが並ぶ。駅から右側の歩道を歩くのだが、ただこれ、いきなり「娘の病が癒えた長者の一族が剃髪して・・・」とあり、話の展開が唐突である。どうやら逆の左手の歩道から話が始まり、一巡して右側の歩道を通って駅に戻る仕組みである。やれやれ。

人通りもほとんどなく、太陽がギラギラした中を歩いて粉河寺に到着。朱塗りの大門をくぐるが、車道が大門の脇を通っており、クルマもバンバン通る。その中ようやく車両進入禁止のエリアに入る。広い境内である。江戸時代には紀州徳川家の庇護を受け、現存する建物のほとんどが江戸期のものである。大門に続く中門があるのも、西国三十三ヶ所の札所の中ではここくらいである。「風猛山」の額も徳川の殿様の手によるとか。

本堂に入る。この本堂も西国三十三ヶ所では最大級のものとか。まずはお参り。ここで初めて「勤行次第」を取り出してブツブツと唱える。

本堂の中は400円で見ることができる。せっかくなので中に入らせていただく。ここの本尊である千手観音は秘仏とされており、姿を見ることはできない。同じように本尊を非公開としている札所は多いが、それでも毎月1回とか、年のうち何日間かとか限定で公開している。ただこの粉河寺は、地下に収められているとかで一度も公開されたことがないそうである。本当の秘仏である。数年前に千手観音が217年ぶりに開帳したそうだが、これは隣の千手堂のもの。何だか、そこまで言われると本当に本尊はいるのか?と勘ぐってしまう。ひょっとして本堂の下でミイラにでもなってたりして・・・って、そんなことを言ってはいけない。本尊が出ないからというわけではないだろうが、一六羅漢やその他の仏像、さらに左甚五郎の作という虎の彫刻などがズラリと並ぶ。

さすが最大級の寺院やなと感心してご朱印をいただく。係の人はパラパラとめくり、「大きく書く感じでいいですか?」と訊く。やはり、よく出回っているよりサイズが大きいのかな。葛井寺の朱印を見つけて納得した様子で筆を取る。

本堂の前には庭園がある。枯山水を表しているというが、龍安寺の石庭のような「わびさび」を表現するというよりは、大きな石を豪快に並べているし、植物もソテツなど大胆に使っている。庭園の作者や年代は不明とされているが、豊臣秀吉の根来攻めの時に焼失してから以降の、派手な桃山文化の香りが残る江戸初期のころの制作ではないかと言われている。

規模の大きな寺院を拝観して、参道を再び粉河駅まで戻る。歩道にあった「粉河寺縁起絵巻」の後半部分の紹介があり、駅に戻ってなるほど長者一族が剃髪したいきさつもわかったというものである。

粉河からは和歌山線で和歌山に出て、紀三井寺に行くことにする。思ったよりも早い時間に行くことができそうで、昼食の前に参詣をすることに・・・・。
コメント    この記事についてブログを書く
« バファローズ対カープの日本... | トップ | 10月の「ミラクルバファロ... »

コメントを投稿