
ここは三木市の中でも歴史的スポットとされているところである。話は5世紀というから、古事記や日本書紀に書かれた時代だが、当時天皇の位の継承権をめぐる激しい争いが繰り広げられ、雄略天皇派に父を殺された二人の皇子が一時この石室に身を隠していたという。後に、雄略天皇の死後に二人の皇子は権力を持ち、兄は23代の顕宗天皇、弟は24代の仁賢天皇と称されている。当時、播磨の中央に有力な豪族でもいたのだろうか。







この御坂サイフォンは、明治時代にイギリスの技術者・パーマーの手によるもので、淡河川の疎水工事の一環である。水田耕作の水を安定して供給するために行われた疎水工事、山から山へ水を流すにあたり、その間の谷を通すのに使われたサイフォン技術。志染川を渡るために橋が掛けられ、水路が設けられた。この淡河疎水は、琵琶湖疎水、安積疎水と並んで日本三大疎水とされているが、琵琶湖と安積が国の政策だったのに対し、淡河川は地元の人たちが金を出して造ったという。播磨の国は土地も広く、米作りにも適した地域のイメージがあるが、実は水の確保には苦労した歴史があるとのこと。一帯には池も多いが、それらも元々は水源確保のための溜池である。












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